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西教寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
西教寺
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'''西教寺'''(さいきょうじ)は、滋賀県大津市の[[比叡山]]東麓にある[[天台宗]]の[[天台宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は阿弥陀如来。[[持戒]][[念仏]]を旨とする[[天台真盛宗]]の総本山。天台宗に伝わる[[黒谷流]]円頓戒の正統、[[法勝寺]]を併合し、その法脈を受け継ぐとされる。天台宗の[[真盛]]が中興開山した。[[良源]]、[[源信]]、[[円観]]の旧跡とされる。山号は戒光山。(参考:同名寺院[[西教寺_(同名)]]) ==歴史== ===浄土教の道場=== 寺伝によれば、[[聖徳太子]]の創建という。一般には浄土教の先駆者、良源と源信が興したと言われる。正中2年(1325)、円観が後宇多天皇の追善のために後醍醐天皇の勅を得て整備。嘉暦2年(1327)、円観が入寺して黒谷流円頓戒の道場となり、法勝寺の末寺となる。 ===真盛の入寺=== くだって室町時代の文明18年(1486)、持戒念仏に励んだ真盛が源信を崇敬したこともあり、請われて入寺。同年、真盛が生源寺で行った説教に横川戒心谷の僧らが感涙して招請したのであった。以後、畿内、近江、伊勢、越前などに末寺を擁し、一派の拠点として興隆。室町幕府や近江守護の庇護を受けた。元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちで焼失するが、明智光秀に支援を得て復興。天正2年(1674)、仮本堂を建立。 ===黒谷流円頓戒の継承=== 天正18年8月22日、後陽成天皇の勅で、既に衰退していた京都法勝寺の寺籍を西教寺に合併させ、法脈を継がせ、寺宝を移した。 文禄3年(1594)、法勝寺流に属した飯室谷の松禅院、山本坊、長寿院、円乗院の願で、同じく同流の拠点だった[[帝釈寺]]の寺地山林を継いだ。 ===山門支配と独立=== 江戸時代、明暦元年(1655)、寛永寺・日光山に輪王寺門跡が設置されると、その支配を受けた。山門執行代が管轄した。元文4年(1739)、現在の本堂を再建。寛政2年(1790)に勧学寮を設置。 明治4年、延暦寺勢は西教寺を傘下に留めようと、延暦寺別院としたが、西教寺側は反発。明治11年、天台宗真盛派として独立し、総本山を称する。昭和21年、宗名を天台真盛宗とした。 (日本歴史地名大系、国史大事典) ==伽藍・塔頭== ===伽藍=== *本堂 *大師殿 *客殿:法勝寺の薬師如来を祀る。 *万日供養塔 *真盛墓:御廟と呼ばれる。 *明智光秀墓 *真慧墓:[[浄土真宗]][[専修寺]]中興の真慧の墓。真慧は真盛と懇意だったため西教寺に葬られた。 ===塔頭=== *徳乗坊:現存 *実成坊:現存 *禅教坊 *禅林坊:現存 *禅智坊:現存 *禅明坊:現存 *聞証坊:現存 *蓮心坊 *常禅坊 *実相坊 *安養院:現存 ==組織== ===住職=== *1[[真盛]](1443-1495) *2盛全 *3真恵(1445-1519):大清寺を開く *4真叡 *5真覚 *6真海 *7真光 *8真源 *9真智:法勝寺を併合する。 *10真照 *11真円 *12真乗 *13真乾(-1607) *14真尊 *15真迢(1596-1659):近世を代表する学僧の一人。元は[[日蓮宗]]の僧侶で日迢と称した。[[京都・妙蓮寺]]16世だったが除歴された。 *16真然 *17真境 *18真秀 *19真典 *20真際 *21真証 *22真如 *23真啓 *24真鳳 *25真梁 *26真雄 *27真尚 *28真融 *29真順 *30真朗:天台宗真盛派として独立。 *31真童 *32真全 *33真託 *34覚湛 *古泉性信(1856-1919) *古市義秀(1896-1985) (『望月仏教大辞典』ほか) [[Category:滋賀県]]
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