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西来寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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西来寺(さいらいじ)は、三重県津市乙部にある真盛ゆかりの天台宗寺院。本尊は阿弥陀如来天台真盛宗別格本山

歴史

延徳2年(1490)、真盛が安濃津の観音寺で90日の説法を行った時、請われて西来寺を創建したという。 当初は小丹の塩屋というところにあったが、明応の大地震の後、安濃津に移り、のち釜屋町に移った。 慶長5年(1600)の安濃津城の戦いで、東軍が西来寺を砦としたため、戦場となり焼失。 翌年、津藩藩主富田信高の計らいで現在地が与えられ、再建された。徳川家康の側室清雲院の帰依を得て方丈などが建てられた。 昭和20年、空襲で伽藍焼失。のち再建。 (日本歴史地名大系)

組織

住職

  • 1真盛
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6真照(?-1597)<1590-1594>:西教寺10世。
  • 7真円(?-1598)<1594-1597>:西教寺11世。
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14秀全
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 32
  • 33
  • 34
  • 35真童(1818-)<1879-1892>:西教寺31世。元は山門派の僧侶で大光普照寺57世。金鑚広貫。
  • 39真恂()<>:西教寺36世。西村冏念。
  • 40真慶()<>:西教寺38世。蛭薙詮順。
  • 辻井徳順(1864-1952)<1912-1924>:山門派の僧侶。自坊は観音正寺教林坊。(「早稲田大学図書館蔵教林文庫目録稿」[1]
  • 寺井良宣(1949-)<>:叡山学院教授。天台真盛宗勧学。著書に『天台円頓戒思想の成立と展開』。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%A5%E5%AF%BA」より作成

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