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要法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
要法寺
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[[file:Kokudo0250.jpg|thumb|300px|要法寺(国土地理院空中写真より)]] '''要法寺'''(ようほうじ)は、京都府京都市左京区にある[[日蓮宗]]の[[日蓮宗の本山寺院|本山寺院]]。[[日蓮本宗]]の本山で、寺内に同宗の宗務院が設置されている。[[富士門流]]の拠点[[日興門流八本山]]の一つ。[[日興]]弟子の'''日尊'''が建てた[[上行院]]が起源とされる。天文法華の乱で共に焼失した[[住本寺]]と合併し、'''要法寺'''となった。 起源となる2寺は[[洛中法華二十一寺]]。 == 歴史 == ===天文法華の乱と要法寺の成立=== 1333年(元弘3年/正慶2年)に死去した日興の遺命を受け、日目は「上洛天奏」の旅に赴いたが、同年11月15日、垂井宿にて死去。その弟子日尊は代わって京都で後醍醐天皇に謁見。六角油小路に寺地を賜り、1339年(延元4年/暦応2年)、[[上行院]]を創建したとされる。上行院は弟子の日尹が継いだが、もう一人の弟子の日大は冷泉西洞院に1345年(興国6年/貞和1年)、法華堂を建立し、後の[[住本寺]]となった。 約200年後の1536年(天文5年)の天文法華の乱で、六角家の支援を受けた[[比叡山]]軍に京都の日蓮宗寺院は焼き打ちに会い、上行院と住本寺も7月27日に焼失、[[堺]]に逃れた。1542年(天文11年)11月、[[後奈良天皇]]の帰洛再興勅許を受け、上行院と住本寺は京都に帰還したが復興は容易ではなかったため、1548年(天文17年)、両寺は合併し'''要法寺'''と改称した。1550年(天文19年)、綾小路堀川の地に日辰はようやく伽藍再興を果たした。 ===近世・近代=== 1591年(天正19年)、豊臣秀吉の都市整備のため、二条朱雀(寺町二条)に移転を命じられた。現在も跡地周辺に「要法寺前町」の地名が残る。1587年(天正15年)、[[大石寺]]と「両山一寺」の盟約を結び、100年以上にわたり、大石寺歴代を送り出した。1658年(万治1年)、22世日祐は山科[[本経寺]]に'''小栗栖檀林'''を設置。1708年(宝永5年)3月8日、京都大火で焼失。東山三条の現在地に移転。26世日眷は勧進して、1742年(寛保2年)1月起工。焼失より66年後の1774年(安永3年)3月にようやく落慶した。1795年(寛政7年)11月、京都15本山と対立し、要法寺僧侶が奉行所に逮捕された(寛政法乱)。1807年(文化4年)5月に和解した。1830年(天保1年)11月、開山堂を再建。1857年(安政4年)9月から翌年5月にかけて38世日生は「天下無宿の日生」と名乗り、三度幕府を諫暁。明治維新後、[[日蓮宗興門派]](のち本門宗と改称)に所属し、戦時期に合同日蓮宗に合併したが、戦後の1950年(昭和25年)10月28日、独立して'''[[日蓮本宗]]'''を設立し、その本山となった。 ==歴代住職== 住職というより法系の歴代といったほうが正確であろう。 ===初期=== *1[[日蓮]](1222-1282):[[日蓮宗]]の開祖。 *2[[日興]](1246-1333):[[日興門流]]の開祖。 *3日目(1260-1333): *4日尊(1265-1345):要法寺開山とされる。元は天台僧。久成房。大夫阿闍梨。一時期、日興の絶縁を受けるが、全国行脚して36寺を創建し、その功績により復縁。鳥辺野に逆修塔を立てのち[[実報寺]]となる。 ===上行院=== *5日尹 *6日円 *7日従 *8日得 *9日厳 *10日遵 ===住本寺=== *5日大 *6日源 *7日元 *8日長 *9日禅 *10日広 *11日法 *12日在 ===要法寺=== *13日辰(1508-1576):上行院と住本寺を合併して要法寺とした。要法寺中興。 *14日〓:二条朱雀に移転。(〓=「貝+周」) *15日性(1554-1614):[[後陽成天皇]]侍講。注釈書を多数執筆。直江兼続と協力して活字出版を実施。その出版物は「要法寺版」と呼ばれる。 *16日恩:布教の大家と呼ばれる。 *17日堯:[[豊臣秀頼]]の学師。 *18日陽 *19日成 *20日瑶 *21日体 *22日祐:山科本経寺に[[小栗栖檀林]]を設置。 *23日詮:檀林整備に尽力。 *24日饒 *25日舒 *26日眷 *27日奠 *28日全 *29日慈 *30日良 *31日住 *32日立 *33日勝 *34日〓:(〓=「日+周」) *35日庸 *36日恵 *37日愿 *38日生 *39日進 *40釈日貫:日蓮宗興門派初代管長 *41葦名日周(1828-1884)<1883->:元は日什門流の妙満寺貫首(除歴)。 *42驥尾日守(1846-1906) *43坂本日珠 *44日海 *45瀬島日済 *46竹部日正 *(加歴)玉野日志 *(加歴)日高 *(加歴)近藤日義 *47足立日城 *48高橋日誨:合同日蓮宗より独立して日蓮本宗を設立。 *49原日認 *50 *51嘉儀日有 *55丹治日遠 (49まで『日本仏教基礎講座』より) *未見『日蓮宗年表』「諸大本山歴世表」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123633/161] == 子院 == *信行院: *法性院: *顕寿院: *実成院: *恵光院: *良善院: *妙種院: *真如院: *本地院: *本行院: *智見院: *随信院: *動持院: *恵明院: *自成院: (以上『政教中正論』[https://books.google.co.jp/books?id=6zab73f81bUC&pg=PP179]) ==画像== <gallery> ファイル:Sdre-078.JPG ファイル:Sdre-079.JPG ファイル:Sdre-080.JPG ファイル:Sdre-081.JPG </gallery> == 参考文献 == *『日本仏教基礎講座』 [[Category:京都府]]
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