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観世音寺戒壇院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年12月15日 (火)

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観世音寺戒壇院は、福岡県太宰府市の観世音寺にある戒壇院。本尊は盧舎那仏東大寺戒壇院下野・薬師寺戒壇院と共に三戒壇の一つ。元は観世音寺四十九院の一つ。現在は独立寺院で、臨済宗妙心寺派。山号は宝珠山。

歴史

天平宝字5年(761)観世音寺の西南隅に建立。 康和4年(1102)8月、暴風で倒壊。 保安元年(1120)、観世音寺が東大寺末となる。年2回、4月8日と11月28日に行われた。 中世末には衰退。近世初頭には草堂が残るだけだったが、寛文9年(1669)、崇福寺の智玄が来訪し、勧進して本尊を修復。 同じ頃、福岡藩家老鎌田昌勝が戒壇堂を再建。 延宝6年(1678)法隆寺の正洞が来住して以後、律僧が住する。 延宝8年(1680)天王寺屋浦了夢が戒壇堂を改築。この頃から神鳳寺の末寺となる。 この頃から聖福寺承天寺崇福寺妙楽寺の4禅寺の支配を受けるようになる。 4寺と観世音寺は争論を経て、元禄16年(1703)6月9日、戒壇院を独立の寺院とする

天明2年(1782)、法忍が退任して禅僧の住職となるが、寛政9年(1797)快厳が入り再び律宗となった。 しかしまた臨済宗寺院となったらしい。 (日本歴史地名大系)

組織

歴代住職

  • 1正洞永覚()<>:真政円忍(神鳳寺中興。高野山円通寺2世。法隆寺北室院3世)の弟子。1678年(延宝6年)戒壇院復興。1692年(元禄5年)6月20日死去。
  • 2智円覚湛()<>:
  • 3運照恵燈()<1692-1715>:1720年(享保5年)1月9日死去。
  • 4湛明元江()<>:1727年(享保12年)9月28日死去。
  • 5覚了篤雄()<>:1734年(享保19年)3月26日死去。
  • 9慈燈覚邦()<>:1747年(延享4年)5月就任。1769年(明和6年)退任。1769年(明和6年)10月(11月とも)7日死去。
  • ?覚天性光()<>:1740年(元文5年)8月30日死去。
  • 11等空法忍()<?-1782>:1770年(明和7年)2月就任。1783年(天明3年)退任。1784年(天明4年)9月11日死去。
  • 快厳()<1797-?>:照光寺住職。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A6%B3%E4%B8%96%E9%9F%B3%E5%AF%BA%E6%88%92%E5%A3%87%E9%99%A2」より作成

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