ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

観音正寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年9月30日 (木)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
8行: 8行:
正慶2年(1333)、六波羅探題北条仲時が光厳天皇を奉じて京都を脱出。観音正寺を「一夜の皇居」としたという。
正慶2年(1333)、六波羅探題北条仲時が光厳天皇を奉じて京都を脱出。観音正寺を「一夜の皇居」としたという。
-
中世、六角氏の庇護を受けた。山中に建てられた観音寺城の拡大で山麓の観音谷に移転。中世末、伽藍焼亡するが、要因と年代は諸説ある。慶長11年(1606)、山上に戻る。正保年間、本堂再建。寺領178石を領した。明治15年、本堂再建。
+
中世、六角氏の庇護を受けた。山中に建てられた観音寺城の拡大で山麓の観音谷に移転。中世末、伽藍焼亡するが、要因と年代は諸説ある。慶長11年(1606)、山上に戻る。正保年間、本堂再建。寺領178石を領した。明治15年、本堂再建。1993年焼失。
山麓に[[奥石神社]]、[[石馬寺]]、[[桑実寺]]がある。[[安土城]]も近い。
山麓に[[奥石神社]]、[[石馬寺]]、[[桑実寺]]がある。[[安土城]]も近い。
(日本歴史地名大系)
(日本歴史地名大系)
 +
==子院==
 +
*教林坊:現存。
 +
*観泉坊
 +
*徳万坊
 +
*松林坊
 +
*宝泉坊
 +
*松寿坊
 +
*福泉坊
 +
*光林坊
 +
*定円坊
 +
*本乗坊
 +
[[category:滋賀県]]
[[category:滋賀県]]

2021年9月30日 (木) 時点における最新版

観音正寺(かんのんしょうじ)は、滋賀県近江八幡市安土町にある観音信仰天台宗寺院。天台宗単立。西国三十三所観音霊場第32番札所。本尊は、千手千眼観世音菩薩。光厳天皇、花園天皇、後伏見天皇の行宮。山号は繖山。(参考:同名寺院観音寺


歴史

聖徳太子の創建と伝える。山頂周辺には磐座があり、聖地としての起源と推定される。

後宇多法皇や後醍醐天皇ら、天皇や貴族がたびたび祈願している。

正慶2年(1333)、六波羅探題北条仲時が光厳天皇を奉じて京都を脱出。観音正寺を「一夜の皇居」としたという。 中世、六角氏の庇護を受けた。山中に建てられた観音寺城の拡大で山麓の観音谷に移転。中世末、伽藍焼亡するが、要因と年代は諸説ある。慶長11年(1606)、山上に戻る。正保年間、本堂再建。寺領178石を領した。明治15年、本堂再建。1993年焼失。

山麓に奥石神社石馬寺桑実寺がある。安土城も近い。 (日本歴史地名大系)

子院

  • 教林坊:現存。
  • 観泉坊
  • 徳万坊
  • 松林坊
  • 宝泉坊
  • 松寿坊
  • 福泉坊
  • 光林坊
  • 定円坊
  • 本乗坊
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E6%AD%A3%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール