ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

証金剛院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
-
[[鳥羽離宮]]の付属寺院の一つ。白河上皇が康和3年(1101)に南殿内に設けた。南殿は離宮で最初に造営された場所。現在の鳥羽離宮跡公園のあたり。南殿の北側にあり、阿弥陀堂に祀られた丈六の[[阿弥陀如来]]像が本尊だと考えられている。1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000120/120267/14.pdf])
+
'''証金剛院'''(しょうこんごういん)は京都府京都市伏見区中島前山町(山城国紀伊郡)にあった寺院。[[鳥羽離宮]]南殿の付属御堂で[[白河上皇]]の[[御願寺]]。本尊は丈六の[[阿弥陀如来]]像。現在の鳥羽離宮跡公園のあたりにあった。
 +
 
 +
== 歴史 ==
 +
南殿は鳥羽離宮の諸殿の中でも最初に造営された場所。南殿の北側にあった。
 +
白河上皇が発願して康和3年(1101)3月29日に落慶。法要の導師を顕儀が務めた。僧侶5口が設置された。
 +
1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000120/120267/14.pdf])
[[category:京都府]]
[[category:京都府]]

2019年12月6日 (金) 時点における版

証金剛院(しょうこんごういん)は京都府京都市伏見区中島前山町(山城国紀伊郡)にあった寺院。鳥羽離宮南殿の付属御堂で白河上皇御願寺。本尊は丈六の阿弥陀如来像。現在の鳥羽離宮跡公園のあたりにあった。

歴史

南殿は鳥羽離宮の諸殿の中でも最初に造営された場所。南殿の北側にあった。 白河上皇が発願して康和3年(1101)3月29日に落慶。法要の導師を顕儀が務めた。僧侶5口が設置された。 1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[1]

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A8%BC%E9%87%91%E5%89%9B%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール