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証金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000120/120267/14.pdf]) | ||
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2019年12月6日 (金) 時点における版
証金剛院(しょうこんごういん)は京都府京都市伏見区中島前山町(山城国紀伊郡)にあった寺院。鳥羽離宮南殿の付属御堂で白河上皇の御願寺。本尊は丈六の阿弥陀如来像。現在の鳥羽離宮跡公園のあたりにあった。
歴史
南殿は鳥羽離宮の諸殿の中でも最初に造営された場所。南殿の北側にあった。 白河上皇が発願して康和3年(1101)3月29日に落慶。法要の導師を顕儀が務めた。僧侶5口が設置された。 1960年代に京都府教育委員会が発掘調査を行い、跡地と推定される遺構が確認されている。(京都市「京都歴史散策マップ」[1])