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諸国国分寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*[[東大寺]]は創建時の伽藍が一部現存している。[[周防国分寺]]では現存寺が古代の伽藍とほぼ同じ配置で建てられている。
*[[東大寺]]は創建時の伽藍が一部現存している。[[周防国分寺]]では現存寺が古代の伽藍とほぼ同じ配置で建てられている。
*大規模な国分寺としては、[[東大寺]]や[[武蔵国分寺]]があった。塔では[[上野国分寺]]が最大級の塔を持っていた。僧坊の最大級は[[讃岐国分寺]]だった。
*大規模な国分寺としては、[[東大寺]]や[[武蔵国分寺]]があった。塔では[[上野国分寺]]が最大級の塔を持っていた。僧坊の最大級は[[讃岐国分寺]]だった。
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*国分尼寺では[[三河国分尼寺]]や[[上総国分尼寺]]が最大規模だった。
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*国分尼寺では[[三河国分尼寺]]や[[上総国分尼寺]]が最大級だった。
*[[信濃国分寺|信濃]]、[[伯耆国分寺|伯耆]]、[[豊後国分寺|豊後]]では僧寺と尼寺が近接して設けられた。
*[[信濃国分寺|信濃]]、[[伯耆国分寺|伯耆]]、[[豊後国分寺|豊後]]では僧寺と尼寺が近接して設けられた。
*[[若狭国分寺]]は巨大古墳のそばに造られた。
*[[若狭国分寺]]は巨大古墳のそばに造られた。
*[[皇宮]]を転用した国分寺がある。[[山城国分寺]]は恭仁京大極殿を転用した。[[隠岐国分寺]]は[[後醍醐天皇]]の行在所だったという伝承がある。
*[[皇宮]]を転用した国分寺がある。[[山城国分寺]]は恭仁京大極殿を転用した。[[隠岐国分寺]]は[[後醍醐天皇]]の行在所だったという伝承がある。
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*僧寺で既存の寺院が指定された例は少なく、[[加賀国分寺]]、[[能登国分寺]]、[[和泉国分寺]]があった。国分尼寺でもいくつかある。
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*僧寺で既存の寺院が指定された例は少なく、[[加賀国分寺]]、[[能登国分寺]]、[[和泉国分寺]]、[[第2次・尾張国分寺]]、[[第2次・伊豆国分寺]]、[[第3次・近江国分寺]]があった。国分尼寺でもいくつかある。
*[[聖武天皇]]の詔から百年後に定められた[[加賀国分寺]]や[[能登国分寺]]のような例もある。
*[[聖武天皇]]の詔から百年後に定められた[[加賀国分寺]]や[[能登国分寺]]のような例もある。
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*古代に場所の移転があったことが確実な僧寺は[[近江国分寺]]のみで、他はよく分かっていない。
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*古代に場所の移転があったことが確実な僧寺は[[近江国分寺]]で、他はよく分かっていない。[[石見国分寺]]も移転があったとされるが、はっきりしない。[[尾張国分寺]]、[[伊豆国分寺]]は焼損の後、別の既存の寺が僧寺に指定されたという。
*四国の国分寺4寺([[阿波国分寺|阿波]]、[[讃岐国分寺|讃岐]]、[[伊予国分寺|伊予]]、[[土佐国分寺|土佐]])は全て[[四国霊場]]に含まれる。
*四国の国分寺4寺([[阿波国分寺|阿波]]、[[讃岐国分寺|讃岐]]、[[伊予国分寺|伊予]]、[[土佐国分寺|土佐]])は全て[[四国霊場]]に含まれる。
*中世、[[叡尊]]やその門下による復興が行われた。
*中世、[[叡尊]]やその門下による復興が行われた。

2015年10月5日 (月) 時点における版

国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)は、聖武天皇が全国に設置した国家仏教の寺院。奈良の東大寺総国分寺法華寺総国分尼寺とされる。同様の制度は、中国の歴代王朝やブータンなど各国にある。室町時代の安国寺利生塔も似た制度である。


目次

概要

歴史

調査研究と整備

一覧

国分寺

国分尼寺

比較表

現存寺

参考文献

  • かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版
  • 各国分寺関係の資料
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA」より作成

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