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警察英霊祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
警察英霊祠
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[[ファイル:警察英霊祠・満洲国警察史001.jpg|thumb|500px| ]] '''警察英霊祠'''は満洲国[[新京]]の中央警察学校にあった満洲国警察の[[招魂社]]。警察協会が建てたものであり、半公的なもの(明確な法的位置付けがないもの)だったのだろう。9月に治安部大臣(警察協会会長)を祭主に祭典。中央警察学校の日課行事として毎朝、[[皇居]]遥拝、帝宮遥拝の後に拝礼を行っていたという[https://dl.ndl.go.jp/pid/11933285/1/158]。神式で行われたというが神職が関与していたのかは不明。 ==歴史== *1939年8月:場所を中央警察学校校庭と決定。薄田総務庁次長が治安部次長当時于大臣らと図って発起。 *1939年(昭和14年)9月9日:大同公園で第1回全国殉国警察官慰霊祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/135] *1939年9月:起工。主体となったのは満洲国警察協会で、会員から2万円の工事費を集めた。 *1940年4月17日:午前10時半から神殿祭・鎮座祭。この時、鎮座したのは吉林省警務庁長の森豊以下2947柱だったという[https://dl.ndl.go.jp/pid/11933285/1/161]。全満警務庁長会議開催に合わせて挙行だった。遺族代表や官吏、于大臣、松井最高顧問ら1000人が参列。柔道剣道相撲の演武奉納があった。「祠廟の様式を日本の神社社殿に模した春日造とし」とあるが流造の社殿の写真が残されている。日本産檜、熊岳城産花崗岩を用いたという。4月13日現在で合計3843人とも(忠霊塔の合祀数の誤りか[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/135]) *1940年9月13日:第2回全国殉職警察官合同大慰霊祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/141] *1942年(昭和17年)1月:月次慰霊祭で阿部警長を合祀[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/142]。 *1942年(昭和17年)2月:月次慰霊祭で新祭神に合祀[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/142]。 *1942年(昭和17年)3月1日:『芳魂録』を編纂調製[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/142][https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/164]。担当は治安部警務司。以下、毎月のように合祀。 *1942年(昭和17年)9月5日:第4回殉職警察官慰霊祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/147]。警察協会会長の祭文[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/143]。この時点で殉難者総数4471人[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/154](合祀数とは異なるか)。 *1943年(昭和18年)9月4日:第5回全満殉職警察官慰霊祭。新合祀数は261人。総数4714人。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/151]。 *1944年(昭和19年)9月:第6回の祭典の開催の有無は不明。 ==資料== *1940「大陸の礎三千余柱―警察英霊祠」警防 6(5)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1537813/1/29] *1942『満洲国警察史』:1976年復刻 **「警察英霊祠合祀」[https://dl.ndl.go.jp/pid/11933285/1/111] **「警察英霊祠の創建」[https://dl.ndl.go.jp/pid/11933285/1/161] *加藤豊隆1968『満洲国警察小史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3447516/1/1] [[category:中華人民共和国吉林省]]
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