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護王神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月21日 (日)

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護王神社拝殿

護王神社(ごおう・じんじゃ)は、京都府京都市上京区桜鶴円町の京都御所隣地にある、古代の忠臣和気清麻呂を祀る霊社神護寺清麻呂の墓元宮がある。別格官幣社神社本庁別表神社神護寺関連旧跡

目次

奉斎

護王神社(国土地理院空中写真より)
  • 和気清麻呂
  • 和気広虫
  • 配祀:藤原百川
  • 配祀:路豊永

歴史

  • 1851年(嘉永4年)3月15日:孝明天皇神護寺護王社に「正一位護王大明神」を授ける。
  • 1874年(明治7年)12月22日:護王神社と改称して別格官幣社に列格。
  • 1875年(明治8年)1月29日:初代宮司任命。
  • 1875年(明治8年)2月1日:勅使参向
  • 1875年(明治8年)3月13日:例祭日を4月4日と定める
  • 1880年(明治13年)7月19日:賢所仮殿建物下賜の沙汰。
  • 1881年(明治14年)12月:京都御所で、火災。下賜木材焼失。
  • 1884年(明治17年)9月:現在地の、中院家跡に社殿造営が決まる。
  • 1884年(明治17年)11月:起工
  • 1886年(明治19年)11月3日:神護寺境内から現在地に遷座。、3神合祀
  • 1898年(明治31年)3月10日:明治天皇、和気清麻呂に正一位を贈る。神階としては既に正一位だったが人物としての贈位と思われる。
  • 1898年(明治31年)3月23日:墓前に報告。
  • 1898年(明治31年)4月15日:1100年祭
  • 1898年(明治31年):神護寺内の墓所修復
  • 1915年(大正4年)11月10日:大正天皇の勅旨を得て広虫を主祭神として合祀
  • 1946年(昭和21年):京都府庁から警察消防招魂社を遷座。
  • 1964年(昭和39年)4月27日:久邇宮家から御霊殿を遷座

境内

京都御苑(国土地理院空中写真より)
神護寺境内にある元宮

組織

宮司

代数 名前 生没 在職 略歴
1 半井真澄 1843-1917 1875-1880 愛媛県士族。1843年(天保14年)生。1874年(明治7年)教導の儀を建白[1][2][3]。1875年(明治8年)1月29日、護王神社宮司。1880年(明治13年)10月15日退任。京都府属。1900年(明治33年)11月30日、霊山神社宮司。1907年(明治40年)3月6日、護王神社宮司に再任。1917年(大正6年)4月15日死去。同日正六位。著書『神職宝鑑』[4][5][6]、『挿解社寺法規』[7]
2 新納立夫 生没年不詳 1880-1884 鹿児島藩士。宮内大録。1871年(明治4年)11月、宮内少丞。宮内権大丞。宮内大丞。1880年(明治13年)10月18日、護王神社宮司。1884年(明治17年)10月24日退任。1887年(明治20年)4月12日(5日)、護王神社宮司再任。吉田神社宮司と白峰宮宮司も兼務[8]。1890年(明治23年)5月退任。1890年(明治23年)4月4日、久邇宮家令。妻は大久保利通の姉。新納嘉藤次。『新納立夫日記』が伝わる。
3 秋山武教 生没年不詳 1884-1887 茨城県士族。1873年(明治6年)2月28日、広瀬神社少宮司。1877年(明治10年)現在、丹生川上神社少宮司。丹生川上神社禰宜。1884年(明治17年)10月25日、護王神社宮司。1887年(明治20年)3月17日廃官。
4 新納立夫 生没年不詳 1887-1890 1887年(明治20年)4月12日、護王神社宮司再任。吉田神社宮司と白峰宮宮司も兼務。1890年(明治23年)5月退任。
5 西洞院信愛 1846-1904 1890-1897 子爵。西洞院時名の長男。1846年(弘化3年)生。1857年(安政4年)正五位。1884年(明治17年)子爵。松尾大社宮司、平野神社宮司。下鴨神社宮司。敢国神社宮司。1890年(明治23年)6月、護王神社宮司。1897年(明治30年)7月1日退任。1904年(明治37年)6月6日死去。59歳。(略歴は、賀茂御祖神社#組織を参照)
6 田部等 生没年不詳 1897-1907 大分県士族。内閣属。1896年(明治29年)11月14日、梨木神社宮司。1897年(明治30年)7月1日、護王神社宮司。正七位。1907年(明治40年)3月6日退任。
7 半井真澄 1843-1917 1907-1917 1907年(明治40年)3月6日、護王神社宮司に再任。1917年(大正6年)4月15日死去。
8 高橋万次郎 1877-? 1917-1919 1917年(大正6年)4月30日から1919年(大正8年)8月18日まで護王神社宮司。平野神社宮司、大神神社宮司、枚岡神社宮司。(略歴は、大神神社#組織を参照)
9 田村晴胤 1890-1945 1919-1924 1919年(大正8年)8月18日から1924年(大正13年)6月9日まで護王神社宮司。賀茂御祖神社宮司、平野神社宮司、弥彦神社宮司、生田神社宮司、台湾神社宮司を歴任した。(略歴は、賀茂御祖神社#組織を参照)
10 島田瑞穂 1868-? 1924-1927 1868年(明治1年)生。1899年(明治32年)広瀬神社主典。1907年(明治40年)丹生川上神社禰宜。1914年(大正3年)大神神社禰宜。1914年(大正3年)従七位。1916年(大正5年)龍田神社禰宜。1917年(大正6年)橿原神宮禰宜。1924年(大正13年)6月9日、護王神社宮司。1927年(昭和2年)8月13日退任。息子に浄土真宗僧侶の東福義雄がいる。
11 渡辺慶次 1890-? 1927-1930 栃木県雀宮村下横田出身。1890年(明治23年)[9](1889年(明治22年)とも[10])生。1914年(大正3年)国学院大学卒。1916年(大正5年)竈門神社主典。1917年(大正6年)平安神宮主典。1921年(大正10年)平安神宮禰宜。1924年(大正13年)3月15日、丹生都比売神社宮司。1927年(昭和2年)8月13日、護王神社宮司。1930年(昭和5年)2月6日、伊佐須美神社宮司。1941年(昭和16年)2月21日から1946年(昭和21年)まで箱根神社宮司。
12 下田新左衛門 1882-? 1930-1933 静岡県伊東出身。下田義照の子。1882年(明治15年)生。1906年(明治39年)湊川神社主典。賀茂別雷神社主典。日光東照宮主典。伊勢神宮権禰宜。1928年(昭和3年)9月17日、神宮神部署神部。1930年(昭和5年)2月6日、護王神社宮司。1933年(昭和8年)5月22日、大県神社宮司。1937年(昭和12年)11月29日退任。朝鮮の全州神社社司、助村神社社掌。戦後は八幡宮来宮神社宮司[11]。著書『護王神社誌』。画家としても活躍した[12]
13 小松行一 1893-1985 1933-1936 男爵。奈良華族。小松行正の三男。1893年(明治26年)生。1899年(明治32年)襲爵。侍従。掌典職。1930年(昭和5年)12月26日、敢国神社宮司。1933年(昭和8年)5月22日、護王神社宮司。1936年(昭和11年)10月豊国神社宮司。1938年(昭和13年)10月1日、鎌倉宮宮司。1985年(昭和60年)死去。
14 別所猶一 1894-? 1936-1943 兵庫県出身。1894年(明治27年)生。鎮座前の明治神宮出仕となり、明治神宮禰宜。1936年(昭和11年)11月3日から1943年(昭和18年)9月13日まで護王神社宮司。のち南洋神社宮司、梨木神社宮司、鵜戸神宮宮司を歴任。(略歴は、南洋神社#組織を参照)
15 竹内武雄 1898-1963 1943-1951 1898年(明治31年)生。伏見稲荷大社、明治神宮、平安神宮、寒川神社を経て1943年(昭和18年)9月14日、護王神社宮司。1951年(昭和26年)、寒川神社宮司に再任。1963年(昭和38年)11月26日、在職で死去。65歳。(略歴は、寒川神社#組織を参照)
16 大宮公孝 1910-? 1951-1956 子爵大宮以季の養子。子爵小倉英季の子。1908年(明治41年)生[13]。1930年(昭和5年)国学院大学神道部卒。吉田神社賀茂御祖神社に奉仕。1947年(昭和22年)北野天満宮禰宜。1949年(昭和24年)吉田神社権宮司。1951年(昭和26年)11月16日から1956年(昭和31年)12月5日まで護王神社宮司。
17 酒井利行 1921-? 1956-1981 岐阜県出身。1921年(大正10年)生。国学院大学卒。明治神宮権禰宜、神社本庁主事を経て1956年(昭和31年)12月5日から1981年(昭和56年)7月2日まで護王神社宮司。1981年(昭和56年)から1994年(平成6年)まで湊川神社権宮司。
18 渡辺幸平 ?-1983 1981-1983 1981年(昭和56年)7月2日、護王神社宮司。1983年(昭和58年)2月6日死去。73歳。
19 有田博重 1913- 1983-1997 福岡県出身。1913年(大正2年)生。1933年(昭和8年)国学院大学卒。同年、白山比咩神社出仕。のち禰宜。1944年(昭和19年)皇典講究所書記。1946年(昭和21年)神社本庁主事。石川県神社庁参事。1953年(昭和28年)有田輪業社長。1962年(昭和37年)伏見稲荷大社禰宜。のち権宮司(1977年(昭和52年)まで)。1983年(昭和58年)8月26日、護王神社宮司。
20 文室隆紀 1940- 1997-2019 1940年(昭和15年)生。1960年(昭和35年)京都国学院卒。松尾大社に奉職。1992年(平成4年)松尾大社権宮司。1997年(平成9年)3月1日、護王神社宮司。
21 本郷貴弘 1971- 2019- 岡山県出身。1971年(昭和46年)生。皇学館大学文学部国史学科卒。1993年(平成5年)護王神社に奉職。2019年(令和1年)護王神社宮司。

(『護王神社』1993年(平成5年)ほか)

権宮司

  • 大矢田秋彦()<>:1875年(明治8年)11月在職。

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AD%B7%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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