ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
讃岐・吉祥院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
讃岐・吉祥院
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''吉祥院'''は讃岐国塩飽本島笠島(香川県丸亀市塩飽本島町笠島)にあった[[天台]][[修験]]寺院。[[修験道本山派]]。[[五流尊瀧院]]末の有力寺院。[[五流尊瀧院関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[吉祥院]]) ==歴史== 1705年に[[五流報恩院]]から分かれて成立したという(『再訂増補岡山藩山伏留』)。宝永年間に塩飽島勝知院に長床吉祥院の名跡を与えたものともいう(尊瀧院系図)。 霞(檀那場)は、塩飽七島と、松山を除く備中国を五流尊瀧院や五流伝法院(備中国浅口郡を霞としていた)から受け継いだ(『長床縁由興廃伝』) 1725年頃、吉祥院玄仙が『修験本当偽邪弁論』を記す。 先達に昇進した時に[[讃岐・正覚院]]末の光厳寺の寺地を借りた(「山伏吉祥院之事」『塩飽島諸事覚』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918197/208])。現在も光厳寺山という山が町の南にあるのでその辺りか。 1736年の[[聖護院]]の葛城修行次第では32寺のうちに他の児島五流寺院6寺と共に加えられており、[[本山派]]の有力寺院となっていた。 廃絶時期は不明。 (岡野浩二2019「備前国児島の五流修験」『中世地方寺院の交流と表象』 ほか) ==組織== ===歴代住職=== *玄栄()<>:1160年(永暦1年)、後白河院の熊野先達を務めたという(『新熊野権現御伝記』)。 *玄仙()<>:1704年(宝永1年)8月入峰、新先達。1705年(宝永2年)宿老。『修験本当偽邪弁論』を著す。 *玄真()<>:1713年(正徳3年)初入峰。1731年(享保16年)8月、宿老として入峰。南明院とも。 *玄由()<>:1768年(明和5年)11月18日、木蘭色衣免許。 *玄信()<>:1816年(文化13年)8月、入峰、新先達、四度。1830年(天保1年)8月、宿老として入峰。 *周興()<>:五流尊瀧院の一族(尊瀧院系図)。1838年(天保9年)8月、入峰、初度。1849年(嘉永2年)2月25日、宿老御免。 *隆長()<1866->:1866年(慶応2年)7月26日、住職。 *隆興()<>:五流尊瀧院34世。1867年(慶応3年)以降に吉祥院を兼務。 (『修験道聖護院史要覧』) [[category:香川県]]
讃岐・吉祥院
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ