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讃岐・吉祥院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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1725年頃、吉祥院玄仙が『修験本当偽邪弁論』を記す。
1725年頃、吉祥院玄仙が『修験本当偽邪弁論』を記す。
先達に昇進した時に[[讃岐・正覚院]]末の光厳寺の寺地を借りた(「山伏吉祥院之事」)。現在も光厳寺山という山が町の南にあるのでその辺りか。
先達に昇進した時に[[讃岐・正覚院]]末の光厳寺の寺地を借りた(「山伏吉祥院之事」)。現在も光厳寺山という山が町の南にあるのでその辺りか。
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1736年の[[聖護院]]の葛城修行次第では32寺のうちに他の児島五流寺院6寺と共に加えられており、[[本山派]]の有力寺院となっていた。
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廃絶時期は不明。
廃絶時期は不明。

2020年8月12日 (水) 時点における版

吉祥院は讃岐国塩飽本島笠島(香川県丸亀市塩飽本島町笠島)にあった天台修験寺院。五流尊瀧院末の有力寺院。五流尊瀧院関連旧跡


1705年に五流報恩院から分かれて成立したという(『再訂増補岡山藩山伏留』)。 霞(檀那場)は、塩飽七島と、松山を除く備中国を五流尊瀧院や五流伝法院(備中国浅口郡を霞としていた)から受け継いだ(『長床縁由興廃伝』) 1725年頃、吉祥院玄仙が『修験本当偽邪弁論』を記す。 先達に昇進した時に讃岐・正覚院末の光厳寺の寺地を借りた(「山伏吉祥院之事」)。現在も光厳寺山という山が町の南にあるのでその辺りか。 1736年の聖護院の葛城修行次第では32寺のうちに他の児島五流寺院6寺と共に加えられており、本山派の有力寺院となっていた。

廃絶時期は不明。

  • 「山伏吉祥院之事」『塩飽島諸事覚』[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E3%83%BB%E5%90%89%E7%A5%A5%E9%99%A2」より作成

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