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讃岐先賢堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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先賢堂は香川県高松市の表誠館にあった祖霊社。戦後、香川・乃木神社に合祀された。

祭神

  • 神櫛王
  • 空海
  • 円珍
  • 菅原道真
  • 岡田牛養 :
  • 松平頼恭:
  • 松平頼恕:
  • 松平頼纘:
  • 松平頼重:
  • 松平左近:
  • 松平大膳:
  • 柴野栗山:
  • 柴野平次郎:
  • 木内順二:
  • 村岡宗四郎:
  • 美馬援造:
  • 藤川将監:
  • 奈良専二:
  • 太田次郎:
  • 後藤弥兵衛:
  • 長町徳兵衛:
  • 長谷川速水:
  • 友安良介:
  • 生駒親正:
  • 西島八兵衛:
  • 梶原九郎右衛門:
  • 木村亘:
  • 玉楮敬造:
  • 松崎渋右衛門:
  • 長谷川宗右衛門:
  • 青葉士弘:

ほか

歴史

1911年、商議員会で建議され、県会と高松市会の補助金を得て大正6年11月3日、香川県教育会の表誠館の建設と同時に創建された。設計建設は久保田富五郎。 大正2年10月17日制定の「讃岐先賢堂規定」によって祭祀基準が定められた。創建時の祭神は51柱だった。大正13年11月3日、松平頼恕、柴野平次郎、木内順二、村岡宗四郎、美馬援造、藤川将監、奈良専二、太田次郎の8柱を合祀。昭和4年3月6日、松平大膳ら7柱を合祀。

昭和13年11月15日、屋根葺き替えのため、中野天満宮に仮遷座。 昭和14年4月22日、正遷座した。

1933年の『高松市史』には66柱、1939年の『香川県教育会五十年史』では73柱とある。

昭和20年、空襲で焼失。昭和21年に善通寺乃木神社に合祀された。 明治100年の1968年にも合祀が行われた。 平成末の時点で103柱を祀る。 山口県山口市には防長先賢堂、広島県には郷賢祠がある。

資料

  • 『讃岐高松名勝図絵』
  • 『讃岐郷土研究』
  • 1933『高松市史』[1]
  • 1935『讃岐先賢堂祭神小伝』
  • 1936「香川県教育会先賢堂祭神」『讃岐史談』1-1
  • 1939『香川県教育会五十年史』[2]
  • 1939『讃岐先賢堂追祀先哲小伝』
  • 1961「村上源氏中院少将源雅平卿 御事績の概要 : 香川県善通寺市に鎮座讃岐宮先賢堂祭神」
  • 1966『新修高松市史第2巻』:一覧がある。
  • 「讃岐宮先賢堂と新祭神五柱」『讃岐公論』49-4
  • 「讃岐宮先賢堂の祭神」『讃岐公論』49-5
  • 「讃岐先賢堂祭神(続)」『讃岐公論』49-6
  • 「香川県郷土教育史研究序説」[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E5%85%88%E8%B3%A2%E5%A0%82」より作成

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