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豊前・護国寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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護国寺(ごこくじ)は、福岡県豊前市の求菩提山にあった天台宗寺院。聖護院末となり、座主の格式を持ったが、明治維新で寺は廃絶。現在、豊前・国玉神社がある。(参考:同名寺院護国寺_(同名))
組織
座主
座主坊として学王院があった。
- 宗心()<>:大聖院。応永頃の座主。
- 宗親()<>:天龍院。嘉吉文安頃の座主。
- 道閑()<>:東寺の僧。法菩提院。
- 貞清()<>:順長院。宇都宮氏の史料にはみえるが求菩提山の史料にはみえず。
- 1道達(-1702)<>:小笠原系初代。知徳院。小笠原忠真の弟、因幡貞政の子。元禄5年に入寺。1702年(元禄15年)死去。
- 2道海()<>:台教院。
- 3道応()<>:教王院。
- 4道祐()<>:清教院。
- 5長宥()<>:学王院。
- 6俊宥(-1863)<>:清浄光院。1863年死去。
- 7俊政(-1900)<>:延寿王院。立石木下家出身。俊正とも。慶応2年6月、継承。還俗して三好久弥麿と称する。明治33年死去。