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豊国信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*豊国神社:新潟県上越市清里区馬屋。1909年(明治42年)、十二社に諏訪社・神明社・箱石社を合祀して改称。(日本歴史地名大系)
*豊国神社:新潟県上越市清里区馬屋。1909年(明治42年)、十二社に諏訪社・神明社・箱石社を合祀して改称。(日本歴史地名大系)
*豊国神社:大阪府大阪市東淀川区大道南。大宮神社に合祀。(日本歴史地名大系)
*豊国神社:大阪府大阪市東淀川区大道南。大宮神社に合祀。(日本歴史地名大系)
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==資料==
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*滋賀県立安土城考古博物館『武将たちは何故、神になるのか』
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*久世奈欧2015「近世期京都における豊国大明神の展開」[https://doi.org/10.20720/cuhreview.34.2_11]
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*久世奈欧2016「新日吉神宮における豊国社神体の発見」[https://doi.org/10.34440/kinseikyoto.0.2_93]
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*野村玄2012「豊国大明神号の創出過程に関する一考察」[https://doi.org/10.24471/shigaku.121.11_1878]
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*池田智文2010「近代日本における豊臣秀吉認識」[https://doi.org/10.24471/shigaku.119.1_107]
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*木村展子1998「豊臣秀頼の作事体制について」[https://doi.org/10.3130/aija.63.185_5]
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*木村展子1997「豊臣秀頼の寺社造営について」[https://doi.org/10.3130/aija.62.171_3]
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*加藤悠希2012「聚楽第・伏見城・豊国廟遺構説の萌芽」[https://doi.org/10.3130/aija.77.1201]
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*井上智勝2014「近世日本武家霊廟論序説:神・仏・儒のあいだ」[https://doi.org/10.20716/rsjars.87.Suppl_293]
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2021年4月8日 (木) 時点における版

豊臣秀吉(とよとみのひでよし)(1536-1598)は安土桃山時代の天下人・武将。豊国大明神として神格化された。 豊臣氏の祭祀も参照。正辰祭は豊国祭・太閤忌・太閤祭と呼ばれる。


  • 豊国大明神の神号の由来は日本国の上代の雅称「豊葦原中津国」に基づくという。『豊国大明神臨時御祭礼記録』に「日本之総名豊葦原中津国云へる故也。太閤大相国秀吉公者、依為和朝之主、奉号豊国大明神」とある。


  • 豊臣秀吉の神格化を示すものとして豊国大明神画像が挙げられる。慶長年間作とみられる初期の画像32点のうち24点が神殿内に秀吉が坐す画面構成を取っている。高台寺甲本など9本の構成が代表的なパターンで、頭部や手先に比べて身体を長大に描き、唐冠・直衣を着用し、軒、御簾、幕、勾欄を周囲に描く。このような武将像は秀吉像以前にはなかった。それまでの武将画像では上畳の上に人物を描き、背景や装飾を描かないのが普通だった。神格化した藤原鎌足を描く多武峰曼荼羅図や一部の天神像にみられる要素を取り込んで神格化を表現したとみられている。神殿内に描くことは急速に各大名家に広がり、武将神影像というジャンルが成立した。神道曼荼羅などの神像画でも社殿の中に人物像を描くことが多いが階段や狛犬を描くものも少なくない。しかし、初期の秀吉像32点には狛犬や階段を描くものは一つもなく系統が異なることを示す。東照大権現画像には狛犬と階段が描かれるようになり武将神影像のスタイルが完成する。

目次

歴史

一覧

  • 京都豊国神社:京都府京都市東山区茶屋町。別格官幣社。別表神社。
  • 大阪豊国神社:大阪府大阪市中央区大阪城。府社。
  • 名古屋豊国神社:愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷。生誕地。
  • 長浜豊国神社:滋賀県長浜市南呉服町。県社。
  • 金沢豊国神社:石川県金沢市東御影町。郷社。
  • 博多豊国神社:福岡県福岡市博多区奈良屋町。1886年(明治19年)創建。
  • 徳島豊国神社:徳島県小松島市中郷町。蜂須賀家政が創建。のち日吉神社と称した。別当豊林寺があった。
  • 海津豊国神社:岐阜県海津市平田町者結。この地の神保平内という人物が幼少の秀吉を預かっていたという。
  • 松江豊国神社:島根県松江市西川津町市成。堀尾吉晴が創建するがすぐに廃絶。別当の願応寺は普門院として存続。
  • 豊国大明神宮:熊本県熊本市中央区黒髪。加藤清正が1599年(慶長4年)創建。1615年(元和1年)頃廃絶。1925年(大正14年)、金箔を施した瓦が出土した。(日本歴史地名大系)
  • 豊島神社:長崎県長崎市琴海村松町。かつては豊国大明神と称した。朝鮮出兵と関連するか。(日本歴史地名大系)
  • 豊国大明神:広島県福山市山手町。三宝寺の西に「太閤屋敷」という地名が残り、秀吉が朝鮮出兵に向かう途中に滞在したところという。豊国大明神の祠があったが、幕府をはばかって荒神と称したという。現状不明。(日本歴史地名大系)


  • 境内社
    • 厳島豊国神社:広島県廿日市市宮島町。厳島神社末社。千畳閣と呼ばれる。
    • 日光東照宮合祀。
    • 日吉東照宮合祀。
    • 久能山東照宮合祀。
    • 大垣豊国神社:岐阜県大垣市墨俣町墨俣。白鬚神社境内。
    • 新日吉神宮 豊国神社
    • 日出若宮八幡神社 愛宕神社合祀。日出藩木下家ゆかり。
    • 天神神社:佐賀県唐津市鎮西町名護屋。豊臣秀吉を合祀。村社。豊国神社とも。
    • 豊国神社:滋賀県長浜市高月町森本。森本神社境内。課役免除への報恩として祀ったという。
  • 霊廟
    • 大光寺霊廟:岡山県岡山市。足守藩木下家の菩提寺。
    • 高台寺霊屋:京都府京都市東山区下河原町。

同名

  • 豊国神社:大分県中津市耶馬渓町東谷。詳細不明。(日本歴史地名大系)
  • 豊国神社:岡山県美作市北山。郷社。惣社山王権現。(日本歴史地名大系)
  • 豊国神社:滋賀県東近江市池庄町。1393年(明徳4年)以前の創建。池庄八幡社。豊国郷11村の産土神。(日本歴史地名大系)
  • 豊国神社:新潟県上越市清里区馬屋。1909年(明治42年)、十二社に諏訪社・神明社・箱石社を合祀して改称。(日本歴史地名大系)
  • 豊国神社:大阪府大阪市東淀川区大道南。大宮神社に合祀。(日本歴史地名大系)

資料

  • 滋賀県立安土城考古博物館『武将たちは何故、神になるのか』
  • 久世奈欧2015「近世期京都における豊国大明神の展開」[1]
  • 久世奈欧2016「新日吉神宮における豊国社神体の発見」[2]
  • 野村玄2012「豊国大明神号の創出過程に関する一考察」[3]
  • 池田智文2010「近代日本における豊臣秀吉認識」[4]
  • 木村展子1998「豊臣秀頼の作事体制について」[5]
  • 木村展子1997「豊臣秀頼の寺社造営について」[6]
  • 加藤悠希2012「聚楽第・伏見城・豊国廟遺構説の萌芽」[7]
  • 井上智勝2014「近世日本武家霊廟論序説:神・仏・儒のあいだ」[8]
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