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豊宮崎文庫
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月1日 (月)
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[[林崎文庫]]と合併して[[神宮文庫]]となった。[[伊勢神宮関連旧跡]]。'''宮崎文庫'''。 | [[林崎文庫]]と合併して[[神宮文庫]]となった。[[伊勢神宮関連旧跡]]。'''宮崎文庫'''。 | ||
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- | + | 高神山のすそにある。1648年12月28日[[外宮]]神職の出口延佳ら有志70人が出資して設立。 | |
神典・国文・国史・古記・医書・漢籍などを収蔵したほか、子弟の教育、学者の講義も行われた。 | 神典・国文・国史・古記・医書・漢籍などを収蔵したほか、子弟の教育、学者の講義も行われた。 | ||
公家、武家、学者からの寄贈書も多かった。 | 公家、武家、学者からの寄贈書も多かった。 | ||
明治11年2月、失火で講堂を焼失したが蔵書は被害を免れた。 | 明治11年2月、失火で講堂を焼失したが蔵書は被害を免れた。 | ||
施設内に宮崎学校・宮崎郷学校・度会県師範学校が置かれた時期もある。 | 施設内に宮崎学校・宮崎郷学校・度会県師範学校が置かれた時期もある。 | ||
- | + | 明治44年、蔵書2万745冊が神宮文庫に寄贈された。現在は門と築地塀のみが残る。 | |
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- | + | (『国史大辞典』、『お伊勢まいり』ほか) | |
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2019年7月1日 (月) 時点における最新版
豊宮崎文庫(とよみやざき・ぶんこ)は三重県伊勢市にあった私設の学術教育機関。書庫や講堂があった。 林崎文庫と合併して神宮文庫となった。伊勢神宮関連旧跡。宮崎文庫。
歴史
高神山のすそにある。1648年12月28日外宮神職の出口延佳ら有志70人が出資して設立。 神典・国文・国史・古記・医書・漢籍などを収蔵したほか、子弟の教育、学者の講義も行われた。 公家、武家、学者からの寄贈書も多かった。 明治11年2月、失火で講堂を焼失したが蔵書は被害を免れた。 施設内に宮崎学校・宮崎郷学校・度会県師範学校が置かれた時期もある。 明治44年、蔵書2万745冊が神宮文庫に寄贈された。現在は門と築地塀のみが残る。 大正12年3月7日、史跡指定。延佳霊社があった。 (『国史大辞典』、『お伊勢まいり』ほか)