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赤妻神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''赤妻神社'''(あかつま・じんじゃ)は、山口県山口市赤妻町にある'''錦小路頼徳'''を祀る[[霊社]]。[[官祭招魂社]]。[[赤妻官修墳墓]]がある。'''錦小路神社'''。 | '''赤妻神社'''(あかつま・じんじゃ)は、山口県山口市赤妻町にある'''錦小路頼徳'''を祀る[[霊社]]。[[官祭招魂社]]。[[赤妻官修墳墓]]がある。'''錦小路神社'''。 | ||
錦小路頼徳は1864年4月25日、下関の白石正一郎邸で死去。 | 錦小路頼徳は1864年4月25日、下関の白石正一郎邸で死去。 | ||
- | + | 藩主毛利敬親が喪主となって山口の赤妻に埋葬した。神社は『靖国神社誌』によると、1864年(元治1年)12月の創建とある。官祭招魂社となったものとしては最古。 | |
明治3年、三条実美らが発起して墓の後方に記念碑を建立した。 | 明治3年、三条実美らが発起して墓の後方に記念碑を建立した。 | ||
「贈正四位丹波頼徳朝臣墓」とある。 | 「贈正四位丹波頼徳朝臣墓」とある。 |
2022年2月6日 (日) 時点における版
赤妻神社(あかつま・じんじゃ)は、山口県山口市赤妻町にある錦小路頼徳を祀る霊社。官祭招魂社。赤妻官修墳墓がある。錦小路神社。 錦小路頼徳は1864年4月25日、下関の白石正一郎邸で死去。 藩主毛利敬親が喪主となって山口の赤妻に埋葬した。神社は『靖国神社誌』によると、1864年(元治1年)12月の創建とある。官祭招魂社となったものとしては最古。 明治3年、三条実美らが発起して墓の後方に記念碑を建立した。 「贈正四位丹波頼徳朝臣墓」とある。 社殿は現在地より山手にあったが、開発により墓碑のそばに遷座した。
明治4年に東京で暗殺された広沢真臣夫妻の墓もある。