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近衛天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月7日 (日)

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京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町にある[[近衛天皇]]の[[陵墓]]。
1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく紫野の[[京都・知足院|知足院]]に安置され、1163年(長寛1年)に[[鳥羽離宮]][[安楽寿院]]多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は[[高野山]]に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に[[豊臣秀頼]]によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には[[阿弥陀如来]]坐像が、その前の壇上には[[大日如来]]坐像が納められている(文久山陵図225)。
1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく紫野の[[京都・知足院|知足院]]に安置され、1163年(長寛1年)に[[鳥羽離宮]][[安楽寿院]]多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は[[高野山]]に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に[[豊臣秀頼]]によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には[[阿弥陀如来]]坐像が、その前の壇上には[[大日如来]]坐像が納められている(文久山陵図225)。
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2024年1月7日 (日) 時点における最新版

京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町にある近衛天皇陵墓。 1155年(久寿2年)に崩御したが、遺骨はしばらく紫野の知足院に安置され、1163年(長寛1年)に鳥羽離宮安楽寿院多宝塔に納められた。「新御塔」。もともとは美福門院藤原得子の陵として建立されたが、得子の陵は高野山に築かれたためにこちらが近衛天皇陵となった。当初の塔は1596年(慶長1年)に伏見大地震にて倒壊。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって現在の塔が再建された。内陣厨子内には阿弥陀如来坐像が、その前の壇上には大日如来坐像が納められている(文久山陵図225)。


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