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都祁水分神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
都祁水分神社
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'''都祁水分神社'''(つげ・みくまり・じんじゃ)は、奈良県奈良市都祁友田町(大和国山辺郡)にある[[水分神信仰]]の神社。祭神は速秋津彦神、天水分神、国水分神。[[官社]]。[[県社]]。延喜式祈年祭祝詞で読み上げられる水分神四神社([[吉野水分神社]]・[[宇太水分神社]]・[[都祁水分神社]]・[[葛城水分神社]])の一社。[[聖武天皇]]の[[堀越頓宮]]の伝承地で、[[斎王]]が伊勢から帰京する途中に滞在した[[都介頓宮]]の伝承地でもある。'''水分大明神'''、'''鞆田宮'''。 == 歴史 == 創建不詳。当初は小山戸([[小山戸・都祁山口神社]])の巨岩に祀られていたが、のちに山麓の現在地に遷座したという。 730年の『大倭国正税帳』に「都祁神戸」とあり、既に朝廷の庇護を受けていたことが分かる。 *840/10/7従五位下(続日本後紀) *852/7官社に列格(文徳実録) *859/1/27従五位下より正五位下(三代実録) *859/9/8風雨祈願で奉幣(三代実録) 平安時代後期から興福寺大乗院門跡の支配下に入り、祭礼には大乗院から使者が遣わされた。 室町時代造営の本殿が現存する。 近くに[[小治田安万侶墓]]が見つかった。 (『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』ほか) [[category:奈良県]]
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