ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
醍醐寺三宝院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
醍醐寺三宝院
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:Kokudo0313.jpg|thumb|300px|三宝院門跡(国土地理院空中写真より)]] [[file:Kokudo0315.jpg|thumb|300px|下醍醐(国土地理院空中写真より)]] '''醍醐寺三宝院'''(だいごじ・さんぽういん)は、[[醍醐寺]]の本坊で、[[修験道]][[当山派]]の中心となる[[真言宗]]の[[門跡寺院]]。[[修験道の本山寺院]]。本尊は[[弥勒菩薩]]。[[真言宗醍醐派]]。院主は、醍醐寺座主を兼任する。かつては[[京都]]に出張所として[[新三宝院]]があった。'''醍醐三宝院'''、'''三宝院門跡'''とも。旧名を'''金剛輪院'''、'''灌頂院'''。 ==境内== 本堂 表書院 奥宸殿 豊国神社 五社明神 勅使の間 ==組織== ===歴代住職=== *1勝覚(1057/1058-1129):醍醐寺座主14世。三宝院を創建。源俊房の子。[[東大寺]]別当。東寺長者。 *2定海(1074-1149):醍醐寺座主15世。 *3元海(1094-1157):醍醐寺座主16世。 *4実運(1105-1160):醍醐寺座主17世。 *5勝賢(1138-1196):醍醐寺座主18・20世。 *6実継(1154-1204):醍醐寺座主23世。 *7成賢(1162-1231):醍醐寺座主24・26世。 *8良海(1197-1218):醍醐寺座主25世。 *9聖海法親王(1206-?):醍醐寺座主29世。 *10勝尊(生没年不詳):醍醐寺座主34世。 *11憲深(1192-1263):醍醐寺座主35世。 *12定済(1220-1282):醍醐寺座主37・39世。 *13定勝(生没年不詳):醍醐寺座主40世。 *14道性(1278-?):醍醐寺座主41世。 *15聖兼(1242-1293):醍醐寺座主43世。 *16聖雲法親王(1271-1314):[[亀山天皇]]第9皇子。遍智院宮。醍醐寺座主49・52世。 *17定任():醍醐寺座主53世。 *18賢助(1280-1333):醍醐寺座主56・60・62世。 *19聖尊法親王(1304-1370):[[後二条天皇]]皇子。遍智院宮。醍醐寺座主58世。 *20聖尋(生没年不詳):醍醐寺座主59・61世。 *21賢俊(1299-1357):醍醐寺座主65世。門跡号はこの頃から。 *22光済(1326-1379):醍醐寺座主66・68・70世。 *23聖珍法親王(?-1382):[[伏見天皇]]皇子。東大寺別当。東寺長者。醍醐寺座主69世。 *24光助():醍醐寺座主71世。 *25満済(1378-1435):醍醐寺座主73世。 *26義賢(1399-1468):醍醐寺座主74世。(『望月仏教大辞典』では「賢義」とある) *27政深():醍醐寺座主75世。 *28義覚(1468-1483):醍醐寺座主76世。 *29政紹():醍醐寺座主77世。 *30持厳():醍醐寺座主78世。 *31義堯():醍醐寺座主79世。 *32'''義演'''(1558-1626):醍醐寺中興。醍醐寺座主80世。関白三条晴良の子。金剛輪院を再興し、三宝院と称す。[[大伝法院]]座主。東寺長者。[[豊臣秀吉]]の帰依を受ける。後七日御修法を復興。 *33覚定(1607-1661):鷹司信房の子。 *34高賢(?-1707):鷹司教平の子。大峰山入峰。『鳳閣寺縁起』を著す。宝池院大僧正。 *35房演 *36実演 *37(童形菅宮):(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *38良演:(『日本仏家人名辞書』に欠。『望月仏教大辞典』、佐和隆研『醍醐寺』にある) *39童形衛君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *40童形教君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *41童形亀君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *42高演(1765-1848):鷹司輔平の子。東寺長者。後自在院。 *43勝演:(『望月仏教大辞典』ではカッコ書きとする) *44定演 *45童形経君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *46童形淳君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *47童形易宮:閑院宮載仁親王(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある) *48演護()<>: *49寺島真応(?-1900)<>:醍醐派管長1世。[[金剛峰寺]]寺務検校執行法印395世。 *50和気宥雄(1842-1920)<1900->:醍醐派管長2世 *51多田実円()<>:醍醐派管長3世。[[千光寺]]住職。 *52普学()<>:密教辞典に欠 *53天野快道(1846-1923)<>:醍醐派管長4世 *54亮禅()<>:醍醐派管長5世 *55佐伯恵眼()<>: *56岡田戒玉(1890-1966)<>:弟子に[[真如苑]]開祖の伊藤真乗がいる。 *57細川英道(1887-1975)<1966->:密乗院住職。1966年(昭和41年)醍醐寺座主・三宝院門跡に就任。 *58仲田順海(1883-1968)<追贈>:[[品川寺]]住職。 *59麻生信雄()<追贈>: *60岡田宥秀(1907-1985)<1974-1985>:醍醐寺101世座主。山口県出身。岡田戒玉に師事。1965年(昭和40年)執事長・宗務総長。 *麻生文雄(1925-2012)<1985-2010>:醍醐寺座主102世。広島県出身。[[西国寺]]住職。1985年(昭和60年)醍醐寺座主・三宝院門跡就任。[[種智院大学]]学長。2012年(平成24年)11月26日死去。87歳。 *仲田順和(1934-2023)<2010-2023>:醍醐寺座主103世。東京都出身。1934年(昭和9年)4月生。[[大正大学]]仏教学科卒業。1957年(昭和32年)[[品川寺]]に入る。1968年(昭和43年)2月、品川寺住職。1985年(昭和60年)12月、宗務総長・醍醐寺執行長。2010年(平成22年)10月28日、醍醐寺座主・三宝院門跡に就任。2023年(令和5年)11月10日死去。 *壁瀬宥雅(1948-)<2023->:醍醐寺座主104世。京都府京都市出身。1948年(昭和23年)生。[[同志社大学]]工学部卒。1974年(昭和49年)種智院大学卒。醍醐山伝法学院卒。才能教育研究会チェロ科卒。チェロ奏者。一音寺住職。1994年(平成6年)[[理性院]]住職。1996年(平成8年)10月、一音寺室内合奏団を設立。[[報恩院]]住職。2010年(平成22年)執行長・宗務総長。2023年(令和5年)12月8日、醍醐寺座主・三宝院門跡。 (定演まで『日本仏家人名辞書』、宥雄まで『望月』、宥秀まで佐和隆研『醍醐寺』) *「三宝院列祖次第」『諸門跡承伝系図』[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100244581/viewer/19] [[category:京都府]]
醍醐寺三宝院
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ