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金剛証寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
金剛証寺
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'''金剛証寺'''(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳(伊勢国度会郡)の朝熊山にある[[虚空蔵信仰]]の[[臨済宗]]寺院。[[天照大神]]の化身とされる[[雨宝童子]]を祀る神社([[雨宝童子社]])がある。[[臨済宗南禅寺派]]。[[伊勢神宮]]の鬼門除けの寺院とされる。伊勢神宮式年遷宮の翌年に開帳。[[伊勢神宮関連旧跡]]。兜率院。山号は勝峰山 ==歴史== *欽明天皇代:暁台が創建。 *602年(推古10年):[[聖徳太子]]が[[仏舎利]]を埋納。 *聖武天皇代:[[聖武天皇]]行幸。[[勅願所]]としたという。 *825年(天長2年):[[空海]]が大和[[善根寺]]で求聞持法を修めた時、赤精童子が影向して託宣を下し、朝熊山に修行に赴いたという。この時、天照大神の16歳の姿を写した雨宝童子を感得したという。807年(大同2年)ともいう。[[真言宗]]となる。 *1156年(保元1年):朝熊山経塚の最古の銘文の例。1186年(文治2年)のものまで確認されている。 *1159年(平治1年):平治の乱で[[平氏]]の拠点となった伊勢に[[源氏]]勢が侵攻。金剛証寺も火を放たれた。 *1392年(元中9年/明徳3年):東岳文昱は[[伊勢神宮]]に百日参籠で神託を受けて朝熊山に赴き金剛証寺を再興。[[臨済宗]]となる。 *1585年(天正13年)11月:蒲生氏郷が敵が籠もる朝熊山を一時包囲したが戦火は免れた。 *1613年(慶長18年):[[徳川家康]]、安堵状。 *1616年(元和2年):越後高田藩主松平忠輝(徳川家康六男)、改易となり、朝熊山に配流。 *1609年(慶長14年):本堂再建。岡山藩主池田輝政が寄進。 *1630年(寛永7年):宍戸藩主秋田実季、改易となり伊勢配流。朝熊山麓の永松庵(金剛証寺末)に蟄居。 *1724年(享保9年):碑文に「内宮外宮朝熊岳千日参」とあり、この頃、千日参が盛んとなる。 *1803年(享和3年):本堂以外の多くの伽藍を焼失 *1894年(明治27年):朝熊山経塚発見 *1909年(明治42年)12月2日:経木堂焼失[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11006150/50]。 *1925年(大正14年)3月:朝熊山にケーブルカー開通。 *1944年(昭和19年):軍の命令でケーブルカー撤去。 *1959年(昭和34年):伊勢湾台風、倒木の跡から経塚が多数発見。 *1962年(昭和37年):翌年にかけて経塚の発掘調査 == 伽藍・関連旧跡 == *本堂:本尊は福威智満虚空蔵大菩薩。摩尼殿。 *開山堂:本尊は暁台・[[空海]]・東岳文昱。 *仁王門:本尊は[[金剛力士]]。 *[[雨宝童子社]]:祭神は[[雨宝童子]]。 *観音堂:廃絶か。 *文殊堂:廃絶か。 *釈迦堂:廃絶か。 *熊野拝所:廃絶か。 *阿弥陀堂:廃絶か。 *十三仏:廃絶か。 *不動堂:廃絶か。 *薬師堂:廃絶か。 *大日堂:廃絶か。 *経木堂:廃絶か。 *明星堂:本尊は[[明星天子]]。三光天子。 *奥之院:本尊は[[延命子安地蔵]]。呑海院が管轄。 *住職墓地:「方丈墓」。 *九鬼嘉隆墓:鳥羽城主九鬼嘉隆は11世明叟有昕に帰依。子の蓬雲有慶が金剛証寺12世となる。 *御木本幸吉墓: *慶光院清順墓:[[慶光院]]3世。慶光院上人。 *慶光院周養墓:慶光院4世。慶光院上人。 *小川頼重墓: *経塚:1156年(保元1年)から1186年(文治2年)までの銘文を確認。1894年(明治27年)、老樹の根本から1173年(承安3年)銘の陶製経筒が出土。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風の倒木から遺物発見。1962年(昭和37年)と1963年(昭和38年)に40基あまりを発掘調査。 *八大龍王社:山頂付近にある。 *庫蔵寺:鳥羽市河内町。本尊は虚空蔵菩薩。真言宗御室派。空海が金剛証寺創建の翌年に開いたという。金剛証寺の奥之院ともいう。山号は丸興山。 ==塔頭== 江戸時代には真言宗の子院もあった。 *望海院:高岳文徳の塔所。 *孝源院:逸叟恵俊の塔所。 *地福院: *呑海院:東岳文昱の塔所。呑海庵。奥之院を管轄。 *普明院:廃絶。 *瑞泉院:明仲恵防の塔所。廃絶。 *観音院:廃絶。 *方広院:明叟有昕の塔所。廃絶。法光院とも。 *明王院:廃絶。江戸時代は真言宗。 *与楽院:廃絶。 *妙光院:廃絶。 *才屋院:廃絶。 *虎渓院:廃絶。江戸時代は真言宗。 *瑞応院:廃絶。 == 組織 == ===住職=== *1東岳文昱(?-1416)<1392->:[[建長寺]]71世。[[円覚寺]]61世。大拙文巧の法嗣。[[寿福寺]]、円覚寺、建長寺に住す。1339年(暦応2年)茂原応徳寺を創建?。1392年(元中9年/明徳3年)、金剛証寺を再興。1414年(応永21年)、上杉朝宗が建てた鎌倉徳泉寺の開山となる。1416年(応永23年)2月23日、建長寺岱雲庵で死去。金剛証寺では命日を5月28日とする。塔所は金剛証寺呑海院、建長寺岱雲庵、円覚寺富陽庵、東漸寺成願院。諡号は仏地禅師。富陽庵に墓塔と彫像が現存。東嶽文昱。 *2高岳文徳(1362-1431)<>:鳥羽円照寺の開山。1362年(正平17年/貞治1年)生。1431年(永享3年)3月12日死去。70歳。 *3明仲恵防(1397-1444)<>:1444年(文安1年)2月22日死去。48歳。明仲惠昉。 *4日庵恵析(1399-1465)<>:1465年(寛正6年)7月25日死去。67歳。日庵惠圻。 *5思玄恵忖(1404-1486)<>:1486年(文明18年)10月29日死去。83歳。 *6惟鑑恵澄(1451-1504)<>:1504年(永正1年)5月15日死去。54歳。惟鑑恵証。 *7心空恵有(1480-1527)<>:1527年(大永7年)11月15日死去。48歳。 *8逸叟恵俊(1483-1545)<>:1545年(天文14年)4月12日死去。63歳。逸叟有俊。 *9仁翁有允(?-1561)<>:1561年(永禄4年)8月4日死去。仁翁有充。 *10忠英有恕(1535-1576)<>:1576年(天正4年)11月6日死去。42歳。 *11明叟有昕(1539-1617)<>:中興。建長寺末から[[南禅寺]]末とする。九鬼嘉隆の帰依を受けた。1617年(元和3年)7月7日死去。79歳。 *12蓬雲有慶(1580-1624)<>:九鬼嘉隆の三男。1624年(寛永1年)12月21日死去。45歳。 *13瑞林寿祥(1572-1629)<>:1629年(寛永6年)7月1日死去。58歳。 *14弘叔清忍(1580-1640)<>:1640年(寛永17年)6月22日死去。61歳。 *15大仲寿誕(1615-1681)<>:1681年(天和1年)9月10日死去。67歳。 *16天外恵天(1637-1685)<>:1685年(貞享2年)8月17日死去。49歳。 *17木禅恵真(1645-1724)<>:1724年(享保9年)5月15日死去。80歳。 *18春林文韶(1686-1726)<>:1726年(享保11年)5月11日死去。41歳。 *19乾峰祖龍(1674-1741)<>:1741年(寛保1年)4月12日死去。68歳。 *20玉堂祖珉(1688-1759)<>:1759年(宝暦9年)1月16日死去。72歳。 *21香峰祖薫(?-1796)<>:[[南禅寺]]306世。1796年(寛政8年)5月13日死去。 *22水岩恵暾(?-1791)<>:1791年(寛政3年)8月6日死去。水巌恵暾。 *23玉潭慧琢(?-1811)<>:1811年(文化8年)7月13日死去。 *24大器恵成(?-1830)<>:1830年(天保1年)5月20日死去。 *25聯渓恵芳(?-1857)<>:1857年(安政4年)1月4日死去。 *26楞山支曇(?-1868)<>:1868年(明治1年)12月6日死去。 *27大徹道林(1828-1911)<>:南禅寺327世。勝峰大徹。南禅寺派2代管長。1911年(明治44年)3月16日死去。 *28寛宗恵隆(?-1901)<>:1901年(明治34年)2月26日死去。 *29睿州恵聡(1850-1925)<?-1917>:勝峰恵聡。南禅寺執事長。1925年(大正14年)7月1日死去。76歳。 *30静雲()<1917->:勝峰静雲。1917年(大正6年)、金剛証寺住職[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11006184/30]。 「金剛證寺歴代」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921076/280] ==資料== *朝熊山縁起:『続群書類従』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1837667/185] *朝熊嶽儀範 *『神都名勝誌』「金剛証寺」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765768/35] *『伊勢参宮名所図会』「朝熊岳』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555629/30] *高橋健自1910「伊勢国朝熊山発掘の経筒」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3548148/32] *野間圀彦1911『朝熊山小史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765373] *田辺三郎助1963「金剛証寺地蔵菩薩像について--着装像の一例として」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4418830/14] *西田長男1966「雨宝童子像管見(一)」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2274570/2] *奥村秀雄1969「朝熊山経塚出土の線刻阿弥陀三尊来迎鏡像をめぐって」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4429612/15] *奥出賢治1974「伊賀における雨宝童子影像」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2274586/30] *奥出賢治1982「雨宝童子像三躯について」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2274600/75] *児玉允1975「山嶽信仰における虚空蔵菩薩」[https://doi.org/10.4259/ibk.23.647] *稲垣晋也1988「三重県伊勢市朝熊山経塚発掘ノート―経塚の構造と造営次第」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4429840/18] *1988『朝熊岳概観史―金剛証寺の歩み』 *1994『朝熊岳金剛證寺典籍古文書』 *荒木伸子1997「朝熊山経塚出土の扇―平安時代後期の扇の復元的考察」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4429939/23] *佐野賢治2000「山中他界観の成立―伊勢朝熊山タケマイリを中心に」『虚空蔵信仰の仏教民俗学的研究―日本的仏教受容と土着化』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3183731/337] [[category:三重県]]
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