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金剛院御嶽神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
金剛院御嶽神社
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{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''御嶽神社'''<br>おんたけ じんじゃ |- |style="text-align:center;" colspan="2"|[[ファイル:Ryogamisan 003.jpg|350px]]本社 |- |style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要 | |- |style="background-color:#ededed"|奉斎 | |- |style="background-color:#ededed"|所在地 |埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄6785 |- |style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡) |武蔵国秩父郡 |- |style="background-color:#ededed"|格式など | |- |style="background-color:#ededed"|関連記事 | *[[木曽御嶽信仰]] *[[木曽御嶽信仰の社寺]] *[[普寛旧跡]] *[[木曽御嶽信仰の行者旧跡]] |- |style="text-align:center;" colspan="2"| <googlemap version="0.9" lat="36.01245" lon="138.925381" type="map" zoom="13" width="350" height="300" controls="large"> http://maps.google.co.jp/maps/ms?&msa=0&output=nl&msid=208806612508013451037.0004a7de0c597c056d55a </googlemap> 里宮 |} [[category:個別記事]] ==概要== 里宮 浦島登山道入口にある里宮。旧金剛院。もと山本坊配下の本山派修験寺院だった。薄平家が神職を勤める。神社2階はかつては宿坊だった。近くに「不動の滝」がある。中世に創建されたとされる。普寛は、三峰山にいたころ、金剛院においても後の高弟である順明の祖父に師事して修行したという(『木曽御嶽信仰』164)。1865年(慶応1年)の石碑には「両神大権現別当 御嶽蔵王大権現 金剛院入口」とある。1866年(慶応2年)に寿光が浦島登山道を開く。普寛の分骨が納められているという。(椿真智子、城戸貴子1991「秩父両神村における修験の展開と変質」『歴史地理学調査報告』5、千嶋寿1979(昭和54)「両神山の信仰」) 本社 御嶽神社(旧金剛院)の本社。山頂近くにある神社。両神明神社本社のすぐ隣にある。イザナギ・イザナミを祀る。奥に大日如来像が安置されているという。南向き。かつては「奥之院両神山大権現」と呼ばれていた。「御嶽神社」とも呼ばれている。1812年(文化9年)ごろの創建だという。(椿真智子、城戸貴子1991「秩父両神村における修験の展開と変質」『歴史地理学調査報告』5、千嶋寿1979(昭和54)「両神山の信仰」) 奥宮 御嶽神社(旧金剛院)の奥宮。金剛院寿光が1866年(慶応2年)に両神山頂上(剣ケ峰)に御嶽神社奥社を創建。山頂近くには、木曽福島の太元講が寄進した「八海山国狭槌淳尊」「御嶽山国常立尊」「三笠山豊斟渟尊」の石碑があるという。両神明神(旧観蔵院)には山頂奥社はないらしい。(椿真智子、城戸貴子1991「秩父両神村における修験の展開と変質」『歴史地理学調査報告』5) ==画像== <gallery perrow="3"> ファイル:Ryogamisan 003.jpg|本社 </gallery> ==参考文献== *[[両神山#参考文献]]を参照。 *[[木曽御嶽信仰#参考文献]]を参照。 ==脚注== <references/>
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