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金森御坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
金森御坊
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'''金森御坊'''(かねがもり・ごぼう)は滋賀県守山市金森町にある[[浄土真宗]]の[[御坊寺院]]。[[近江・善立寺]]と[[因宗寺]]の2寺が管理する。'''金森懸所'''(かねがもりかけしょ)。'''金森御堂'''。[[本願寺遷座旧跡]]。金森門徒の拠点だった。一向一揆や寺内町の先駆けともされる。 ==歴史== 道西坊善従が1431年(永享3年)に創建したとされる。'''金森惣道場'''との関係は明確でないがその後身と思われる。 寺内町を形成し既に1465年(寛正6年)ごろには城塞化していた。 善従らが金森に立て籠もり日浄坊を大将とした[[延暦寺]]衆徒と合戦を始めたが、[[蓮如]]の命令で自ら火を放って開城したという。蓮如は1465年(寛正6年)から3年間滞在し、1466年(文正1年)の報恩講は金森で営んだ。1471年(文明3年)、蓮如は吉崎御坊に赴く前に金森にも立ち寄っている。 1570年(元亀1年)石山合戦が始まると、翌年から[[織田信長]]と金森合戦が起こる。周辺の門徒が集まり、本願寺からは川那辺秀政が派遣され、石山本願寺を支える拠点として機能したが、8月下旬、佐久間信盛の攻撃を受けて9月3日に開城した。しかし六角承禎と六角義治の親子が門徒と共に三宅城と金森城に籠城して信長軍と対決。1572年(元亀3年)7月、佐久間信盛により攻略された。信長は金森に楽市令を出した。 善立寺と因宗寺のほか、周辺には法安寺という寺院があった。法安寺は慶聞坊龍玄の創建だが1620年(元和6年)に領主水野氏に追放されたという。 1836年(天保7年)の町絵図が残る。 鎌倉時代の石造宝塔は江戸時代に他所から移されたもの。 毎年3月に苦菜会が行われている。 [[category:滋賀県]]
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