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鎌倉・浄妙寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
鎌倉・浄妙寺
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'''浄妙寺'''(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある[[臨済宗]]の[[臨済宗の本山寺院|本山寺院]]。[[鎌倉]]での[[足利家]]の中心的な菩提寺。本尊は[[釈迦如来]]。[[鎌倉五山]]5位。開山は[[退耕行勇]]。開基は足利義兼。中興開基は足利貞氏。室町幕府の[[関東公方御所]]が隣接。[[臨済宗建長寺派]]。山号は稲荷山。(参考:同名寺院[[浄妙寺]]、[[極楽寺]]) == 歴史 == 1188年(文治4年)、足利義兼(1154-1199)が退耕行勇を招いて[[禅]][[密]]兼学の寺院として創建。1257年(正嘉1年)に[[蘭渓道隆]]門下の月峰了然が住職に就任して、禅宗寺院としての性格が明確となった。 初名は'''極楽寺'''だったが、1288年(正応1年)までに'''浄妙寺'''と改称されたらしい(日本歴史地名大系)。 1331年(元弘1年/元徳3年)に亡くなった足利貞氏(1273-1331、[[足利尊氏]]の父)の菩提寺となったようで、貞氏の法名を浄妙寺殿貞山道観という。1332年(元弘2年/正慶1年)、竺仙梵僊が北条高時に請じられて住職に就任している。 室町幕府が成立すると、寺の東方に[[関東公方御所]]が設けられた。近くには[[延福寺]](足利高義菩提寺)、[[大休寺]](足利直義菩提寺)という足利氏ゆかりの寺院が点在した。 1368年(正平23年/応安1年)、2代将軍足利義詮(1330-1367)の遺骨が[[鎌倉・瑞泉寺]]・[[円覚寺黄梅院]]と共に浄妙寺光明院に分骨された。 1342年(興国3年/康永1年)、[[十刹]]一位。1358年(正平13年/延文3年)頃には五山五位。1386年(元中3年/至徳3年)以降は鎌倉五山五位と定まる。 以降は衰退。1424年(応永31年)、1429年(永享1年)に罹災。 1748年(寛延1年)火災。1754年(宝暦4年)、仏殿再建。1767年(明和4年)、浄妙寺古仏殿を[[円覚寺正続院]]に移築して僧堂としたという。 江戸時代には塔頭として直心庵、禅昌庵、霊芝庵、瑞竜庵、法雲庵、東漸庵、仏智庵、万春庵、知足庵があった。足利貞氏の墓がある。 (国史大辞典、日本歴史地名大系ほか) == 組織 == ===歴代住職=== 歴代住職ははっきりしない。 *[[退耕行勇]](1163-1241):浄妙寺、[[東勝寺]]、[[金剛三昧院]]の開山。[[建仁寺]]2世。[[寿福寺]]住職。 *月峰了然(生没年不詳):1257年(正嘉1年)浄妙寺住職。 *龍江応宣(生没年不詳):[[蘭渓道隆]]の弟子。規庵祖円の出家の師。 *[[高峰顕日]](1241-1316):[[後嵯峨天皇]]皇子。[[雲巌寺]]開山。浄妙寺、[[建長寺]]14世を歴任。 *大同妙喆(生没年不詳):高峰顕日の法嗣。[[京都安国寺]]開山。[[真如寺]]、鎌倉浄妙寺を歴任。 *独照祖輝(1262-1335):建長寺25世。建仁寺21世。[[瑞巌寺]]住職。[[聖福寺]]住職。 *雲山智越(1280-1358):[[鎌倉円覚寺]]27世。浄妙寺住職。 *竺仙梵僊(1292-1348):来日僧。1332年(元弘2年/正慶1年)に浄妙寺住職。1334年(建武1年)に退任。南禅寺16世、建長寺29世、浄智寺、真如寺を歴任。 *芳庭法菊(生没年不詳):太平妙準の法嗣。1368年(正平23年/応安1年)4月、浄妙寺住職。 *霊巌道昭(生没年不詳):桑田道海の法嗣。浄妙寺住職。 *実翁聡秀(?-1371):建長寺36世。浄妙寺住職。 *九峰信虔(?-1384):浄妙寺住職。 *千峰本立(生没年不詳):浄妙寺住職。 *一元啓諸(生没年不詳):曇芳周応の法嗣。浄妙寺住職。 [[Category:神奈川県]]
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