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長安・西明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
長安・西明寺
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'''西明寺'''(さいみょうじ)は、唐の都[[長安]]延康坊にあった、皇帝創建の寺院。長安の代表的寺院の一つで、[[玄奘]]、[[道宣]]、[[空海]]の旧跡。[[律宗]]と[[法相宗]]を中心とした。インドの[[祇園精舎]]を模したとも言われ、また日本の[[大安寺]]は、当寺を模して建てられたとも伝えられている。訳経所が置かれ、『虚空蔵求聞持法』など重要経典が漢訳された。また日本からの留学生・留学僧の多くが当寺に滞在した。唐末に廃絶したらしい。(参考:同名寺院[[西明寺]]) ==沿革== 延康坊の面積の四分の一を占め、西南隅にあったという(『大慈恩寺三蔵法師伝』)。顕慶元年(656)2月、[[高宗]]と[[則天武后]]が皇子李賢(章懐太子)の病気平癒を祈願して[[東明観]]と同時に発願。[[玄奘]]が責任者となって造営し、顕慶2年(657)6月、落慶法要が行われた。勅願のため、豪華な伽藍が多数建てられたという。上座に[[道宣]]、寺主に'''神泰'''、維納に'''懐素'''が就任した。寺名の「西」は仏教を意味し、仏教を「明」らかにする、つまり訳経所として計画されていたという。玄奘は完成した西明寺で訳経を続けるが、1年余りで玉華宮に移した。 永淳2年(683)、'''仏陀波利'''が『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳。長安3年(703)、[[義浄]]が『金光明最勝王経』を翻訳。開元5年(717)、[[善無畏]]は、子院菩提院で『虚空蔵求聞持法』を翻訳。翌年入唐僧[[大安寺]][[道慈]]がこれをすぐに持ち帰って、日本にも影響を与えた。 日本の留学生のほとんどがこの寺に止宿したという。道慈のほか、'''永忠'''は貞元21年(805)まで30年間滞在したが、彼が離れた後に入ったのが[[空海]]であった。貞元21年(805)2月10日以降、空海はここを拠点として各所に赴き、密教の修得に励んだのである。 牡丹が有名で、白居易らが題材としている。 会昌5年(845)の会昌の廃仏に際しては、[[大慈恩寺]]、[[大薦福寺]]、[[大荘厳寺]]とともに存続を許された。 唐末、昭宗の時代、朱全忠が実権を握ると、天祐元年(904)、自らの拠点であった[[洛陽]]への遷都を強行。新都建設のために長安の建物がみな解体されて運ばれたという。このとき、西明寺も解体されて廃絶となったと考えられている。 ==関係が深い名僧== <>は入唐期間、あるいは長安滞在期間 *[[玄奘]](602?~664)<657-658?>:渡印僧。訳経僧。西明寺を創建。一年余りで訳経所を玉華宮に移す。 *[[道宣]](596~667)<657-664>:西明寺初代上座。律宗開祖。57部261巻の著作のうち、律以外の36部224巻のほとんどは当寺で書かれたという。麟徳元年(664)浄業寺に移る。 *'''神泰'''(生没年不詳):西明寺初代寺主。玄奘の弟子。著書も多い。日本の定恵の師。 *'''懐素'''(624-697):西明寺初代維納。玄奘・道宣の弟子。のち東塔宗開祖。(書家としても著名な懐素は別人) *'''道世''':律僧。道宣の弟弟子。総章元年(668)、『法苑珠林』100巻を著述。『四分律討要』。 *仏陀波利(7世紀):インド僧。五台山巡礼に中国に来た。永淳2年(683)、当寺で『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳。 *'''円測'''(えんじき)(613―696):新羅王族出身の僧。玄奘の弟子。門下は、[[窺基]]の[[慈恩寺]]派に対して'''西明寺派'''と呼ばれ、異端とみなされる。西明円測。 *[[義浄]](635~713):長安3年(703)、『金光明最勝王経』を翻訳。 *[[道慈]](?~744)<702~718>:日本の留学僧。当寺に滞在したという確かな記録はないが、定説化している。善無畏に密教を学ぶ。『金光明最勝王経』『虚空蔵求聞持法』を日本にもたらした。 *[[善無畏]](637~735)<716~724>:インドの僧。当寺で『虚空蔵求聞持法』を漢訳。洛陽で『大日経』を訳し、日本では真言宗伝持八祖の第五とされる。 *[[般若]](生没年不詳):北インドの僧。[[醴泉寺]]に住す。西明寺での訳経に従事。空海が師事する。 *[[円照]](719~800):律僧。[[不空]]、道宣の弟子。 *'''永忠'''(743-816)<777-805>:日本の留学僧。約30年間、長安に滞在。多くの経典を日本に持ち帰った(『梵釈寺目録』)。帰国後、[[梵釈寺]]を開く。 *[[空海]](774~835)<804-806>:日本の留学僧。日本真言宗開祖。 *'''円載'''(?-877)<838-877>:日本の留学僧。[[最澄]]の弟子。天台教義の疑義を[[天台山]]に呈し、解答を日本に送った。貞観6年(864)、高岳親王が長安に来た時には世話をした。40年間唐に滞在、帰国途中に遭難死した。 *[[高岳親王]](799頃~865頃)<864>:日本の留学僧。[[平城天皇]]皇子。空海の弟子。貞観4年(862)入唐。貞観6年(864)長安に到着し、西明寺にいた円載に迎えられた。のちインドに向かったとされる。 *'''宗叡'''(809-884)<864>:日本の留学僧。高岳親王とともに入唐。貞観7年(865)帰国。 ==訳経== *般若『大乗理趣六波羅蜜経』10巻 *善無畏『虚空蔵求聞持法』 *仏陀波利・順貞『仏頂尊勝陀羅尼経』 ==参考文献== *静慈圓、2003『空海入唐の道』朱鷺書房 *山崎久雄、2002『長安幻想とシルクロードの旅』文芸社 *遠藤證圓、2004『鑑真和上―私の如是我聞』文芸社 [[category:中華人民共和国陝西省]]
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