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長安・西明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
西明寺(さいみょうじ)は、唐の都長安延康坊にあった、皇帝創建の寺院。長安の代表的寺院の一つで、玄奘、道宣、空海の旧跡。祇園精舎を模して建てられたとも言われ、また日本の大安寺は、当寺を模して建てられたとも伝えられている。訳経所が置かれ、重要経典が漢訳された。また日本からの留学生・留学僧の多くが当寺に滞在した。(参考:同名寺院西明寺)
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沿革
延康坊の面積の四分の一を占め、西南隅にあったという(『大慈恩寺三蔵法師伝』)。高宗と則天武后が章懐太子の病気平癒を祈願して東明観と同時に創建。玄奘が責任者となって造営した。顕慶2年(657)6月、落慶法要が行われた。勅願のため、豪華な伽藍が多数建てられたという。上座に道宣、寺主に神泰、維納に懐素が就任した。
717年、善無畏は、子院菩提院で『虚空蔵求聞持法』を翻訳。翌年、日本の大安寺道慈がこれをすぐに持ち帰って、日本にも影響を与えた。
日本の留学生のほとんどがこの寺に止宿したという。道慈のほか、永忠は貞元21年(805)まで30年間滞在したが、彼が離れた後に入ったのが空海であった。貞元21年(805)2月10日以降、空海はここを拠点として各所に赴き、密教の修得に励んだのである。
空海と同じ頃、円照という僧がいたことが知られる。徳宗の勅命で醴泉寺般若が指揮した『守護国界主陀羅尼経』10巻の翻訳にも参加。『不空表制集』を記したことでも知られる。空海は彼と交流があったことが『付法伝』に述べられており、静慈圓氏は、彼が空海を般若に紹介したのではと推測している。
牡丹が有名で、白居易や元稹らが題材としている。
唐末、昭宗の時代、朱全忠が実権を握ると、天祐元年(904)、自らの拠点であった洛陽への遷都を強行。新都建設のために長安の建物がみな解体されて運ばれたという。このとき、西明寺も解体されて廃絶となったと考えられている。
関係が深い名僧
- 神泰:玄奘の弟子。著書も多い。
- 懐素:玄奘・道宣の弟子。律僧。東塔宗開祖。
- 善無畏:『虚空蔵求聞持法』を漢訳。
- 道慈:日本の留学僧。当寺に滞在したという確かな記録はないが、定説化している。『虚空蔵求聞持法』を日本にもたらした。
- 円照:律僧。道宣の弟子。
- 永忠:日本の留学僧。帰国後、梵釈寺を開く。
- 空海:日本の留学僧。日本真言宗開祖。
- 円測(えんじき):新羅王族出身の僧。玄奘の弟子。
- 窺基:法相宗開祖。玄奘の弟子。
- 仏陀波利:インド僧。『仏頂尊勝陀羅尼経』をもたらす。
- 円載:最澄の弟子。
- 高岳親王:
- 宗叡:高岳親王とともに入唐。
訳経
- 般若『大乗理趣六波羅蜜経』10巻
- 般若『華厳経』40巻(四十華厳)
- 善無畏『虚空蔵求聞持法』
- 仏陀波利・順貞『仏頂尊勝陀羅尼経』
参考文献
- 静慈圓、2003『空海入唐の道』朱鷺書房
- 山崎久雄、2002『長安幻想とシルクロードの旅』文芸社