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長岡天満宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
長岡天満宮
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'''長岡天満宮'''(ながおか・てんまんぐう)は、京都府長岡京市開田天神(山城国乙訓郡)にある[[天満信仰]]の神社。[[菅原道真]]左遷旧跡に鎮座する。祭神は「菅原道真公」である<ref>『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」13頁</ref>。[[府社]]。'''長岡天神'''として知られ、'''見返り天神'''とも称す。[[天満宮聖跡二十五霊社]]。 ==歴史== [[file:Kokudo0283.jpg|thumb|300px|長岡天満宮社殿(国土地理院空中写真より)]] [[file:Kokudo0282.jpg|thumb|300px|長岡天満宮(国土地理院空中写真より)]] この地は菅原道真の遊行の地とされ、菅原氏一党の中小路宗則、西小路祐仲、東小路祐房が当地に住んでいた。菅原道真、左遷のとき、三氏は同行したが、長岡の地で故郷との別れを惜しみ、松の木見えなくなりまで何度も振り返ったという。よって「見返り天神」と称す。三氏は筑紫まで同行してやがて一寸八分の尊像と護持本尊を持ち帰った。その後、三家は[[仁和寺]]に仕えたが、中小路家のみが存続し、中小路宗広が護持本尊を祭って創建したという。 1498年(明応7年)、1595年(文禄4年)、1598年(慶長3年)の棟札があったという記録があり、たびたび再建された。1623年(元和9年)、付近一帯は八条宮([[桂宮]])智仁親王の領地となり、1635年(寛永12年)歌仙を奉納。1638年(寛永15年)から翌年にかけて親王は八条ケ池を造営し、景勝地となった。 1676年(延宝4年)、社殿造営。1691年(元禄4年)(1690年(元禄3年)とも)、一寸八分の尊像を境内に遷座して権殿を建てた。3月10日に遷座して二像を合祀した。6月に勅使および院使が参向。11月京極宮(桂宮)より社領50石が寄進された。 1873年(明治6年)6月、村社となる。1923年(大正12年)7月、府社列格。1941年(昭和16年)、[[平安神宮]]旧本殿を拝領し、本殿とした。旧本殿は[[大原野・大歳神社]]へ、旧拝殿は[[角宮神社]]に移築された。(『北野誌』、長岡天満宮ウェブサイト、日本歴史地名大系) ==境内== *本社: *八幡宮 *春日神社 *稲荷神社 *山神社 *和泉殿社 *白太夫社 *[[山城・長岡神社]]:細川幽斎を祀る。1859年(安政6年)創建。長岡大明神。長岡明神。廃絶か。 <gallery perrow="3"> file:nagaoka-tenmangu_009.jpg|一の鳥居 file:nagaoka-tenmangu_010.jpg|八条池 file:nagaoka-tenmangu_002.jpg|参道 file:nagaoka-tenmangu_004.jpg|鳥居 file:nagaoka-tenmangu_005.jpg|鳥居 file:nagaoka-tenmangu_008.jpg|拝殿 file:nagaoka-tenmangu_007.jpg|本殿(旧平安神宮本殿) file:Heian-jingu (6).jpg|旧平安神宮本殿(現役時代) file:nagaoka-tenmangu_003.jpg|千年祭碑 file:nagaoka-tenmangu_006.jpg|稲荷神社 file:nagaoka-tenmangu_001.jpg|裏参道入口 </gallery> ==参考文献== *梅原達治1989(平成1)「松浦武四郎『聖跡二十五霊社順拝双六』」『札幌大学教養部教育研究』 *『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」 *[[天満信仰#参考文献]] ==脚注== <references/> [[category:京都府]]
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