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長応寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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長応寺(ちょうおうじ)は、江戸芝(武蔵国荏原郡)にあった日蓮宗寺院。大石寺末の江戸触頭(宇高良哲によるが、甲子夜話によると本成寺末触頭とある)。北海道天塩郡幌延町と東京都品川区に後身寺院がある。山号は芳荷山。

歴史

1473年(文明5年)、鵜殿氏が三河に創建。開山は日察。長存寺と称した。1562年(永禄5年)鵜殿氏の没落で一時廃絶したという。 鵜殿長忠の娘で徳川家康側室の蓮葉院(西郡局、池田輝政側室の母)の帰依で1592年(文禄1年)江戸日比谷に再興した。西郡局の甥の日翁が住職となった。300石を領したが寛永年間に焼失し無禄となる。1698年(元禄11年)勝劣派4派の触頭となる。八丁堀など数回の移転を重ね芝に移る。江戸触頭となった。1845年(弘化2年)に大火で焼失。

子院は12寺あったが、明治期には霊樹院、自妙院、正寿院、常詮院、蓮長院、了運院が残っていた。

1898年(明治31年)本成寺末となる。1900年(明治33年)から翌年にかけて本成寺の主導で北海道布教のための移転が始まり、同時に「法華宗農場」を開設した。一方、1907年(明治40年)、品川にも後身寺院が建てられた。1908年(明治41年)、北海道で伽藍造営が始まり、1913年(大正2年)竣工。しかし1919年(大正8年)、失火で焼失した。1923年(大正12年)再建資金を獲得するため、農場を売却。のち再建。

(日本歴史地名大系、谷内鴻「法華宗農場と学校覚書」)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%95%B7%E5%BF%9C%E5%AF%BA」より作成

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