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長栄寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月9日 (土)

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長栄寺(ちょうえいじ)は、大阪府東大阪市高井田にある慈雲ゆかりの真言宗寺院。本尊は十一面観音。新真言宗総本山。長栄律寺西之坊。山号は百済山。

歴史

聖徳太子の創建といい、百済の僧侶を開山としたと伝える。 1641年(寛永18年)に文識が再興。のち忍綱貞紀が10世として入り、中興1世とした。 1744年(延享1年)4月9日、慈雲飲光が師の命で住職となる。翌年10月25日、結界をして正法律の最初の僧坊となる。1825年(文政8年)1月に本堂焼失するが、3月には再建した。近代には高野山末で高貴寺末だった。1946年(昭和21年)6月10日、高野山真言宗を離脱して新真言宗を設立。総本山を称す。鎮守だった鴨高田神社が南隣にある。慈雲が隠棲した双龍庵の一部が境内に移築されている。

組織

歴代住職

世数 生没年 在職年 略歴
1 忍綱貞紀 1671-1750 1740-1744 紀伊出身。洪善普摂の弟子。長栄寺を再興。堺浦光明院を兼務。1750年(寛延3年)12月7日死去。墓所は法楽寺
2 慈雲飲光 1718-1804 1744-1758 正法律の開祖。忍綱貞紀の弟子。1804年(文化1年)12月22日死去。墓所は高貴寺
3 照堂護明 1735-1780 1774-1780 紀伊相坂出身。1735年(享保20年)生。慈雲の弟子。『梵学津梁』1000巻編纂を助ける。1774年(安永3年)長栄寺3世。1780年(安永9年)8月17日、京都北野・阿弥陀寺で死去。46歳。墓所は高貴寺。明堂諦濡の伯父にあたる。
4 明堂諦濡 1751-1830 1780- 高貴寺2世。紀伊相坂出身。1751年(宝暦1年)生。慈雲の弟子。照堂護明の甥で、1780年(安永9年)の死後、長栄寺を嗣ぐ。1804年(文化1年)、慈雲死後の高貴寺を継承する。1830年(天保1年)9月20日死去。80歳。長栄寺に埋葬。慈雲の略伝を記す。沙弥戒を授けた者に摂津・清澄寺中興の浄界がいる。
5 黙住信正 1765-1833 高貴寺3世。美濃西光律寺中興。1765年(明和2年)生。1833年(天保4年)11月2日死去。弟子に大願憲海。
6 智幢法樹 1776-1854 1833- 慈雲の最後の直弟子。高貴寺4世。豊前出身。蓮華院で出家。高貴寺で慈雲に師事する。1799年具足戒受戒。1833年(天保4年)長栄寺および高貴寺の住職となる。1854年(安政1年)3月12日、長栄寺で死去。79歳。高貴寺西之院跡に埋葬。
諦観唯如 ?-1845 1828年(文政11年)、明堂諦濡のもとで具足戒受戒。長栄寺住職。1845年(弘化2年)12月29日死去。
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10 蓮堂本浄
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14 上月明厳 1894-1959 新真言宗管長。1894年(明治27年)生。1959年(昭和34年)死去。明厳諦了。上月諦了。
上月明紀 新真言宗管長。
上月明守 新真言宗管長。
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