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長浜・豊国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2015年6月14日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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豊国神社は、長浜の街を作った豊臣秀吉を祭る神社。祭神は、「豊臣秀吉公、加藤清正公、八重事代主命えびす宮、木村長門守重成公」である。豊神社

天正2年(1574)、豊臣秀吉は長浜城と城下町の建設に着手し、10年かけて長浜の街を発展させた。さらに同19年(1591)に地租免除のお触れを出したが、これは幕末まで続き、長浜の興隆に寄与した。慶長2年(1597)の秀吉死後、長浜では街に反映をもたらした秀吉を顕彰追慕するために、京都にならって豊国神社を創建。しかし、徳川の世になるとともに破却された。その以来、長浜の街を支配する町役人十人衆が各家に豊臣秀吉の神像を密かに祀っていた。寛政5年(1793)、彦根藩に「えびす宮」を建てるという名目で許可を得て創建。えびすを祭る裏に密かに豊臣秀吉を祭った。幕末、弘化3年(1846)、豊神社(みのり・じんじゃ)と称し、豊臣秀吉を偲んだ。明治維新後、幕府に憚ることがなくなると大正9年(1920)、豊国神社と改称。豊臣秀吉を主祭神とすることを公とした。ただ、その後もえびすも変わらず祀られている。なお木村重成は、豊臣秀頼を最後まで守った家臣である。(長浜豊国神社由緒書き)

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