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長谷寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(大和国式上郡)にある、長谷観音信仰の中心となる真言宗本山寺院。日本を代表する観音信仰の寺院で、真言宗豊山派総本山。西国三十三所観音霊場第8番札所で、同霊場の発祥地といえる寺院。徳道が創建。定額寺修験道当山派正大先達の一つ。長谷寺関連旧跡も参照。鎮守は瀧蔵神社与喜天満神社など。豊山寺泊瀬寺初瀬寺長谷山寺ともいう。神楽院と号す。山号は豊山。(参考 同名寺院長谷寺 (同名)


目次

歴史

伝統的には天武天皇時代、道明が三重塔を創建し、塔の下には「銅板法華説相図」を埋めたという。養老神亀頃に徳道が聖武天皇の勅で観音堂を建てたとされる。近江国高島郡白蓮華谷の霊木を刻んだという。733年(天平5年)行基が導師となって開眼したという。 道明が建てたのが本長谷寺、徳道が建てたのが後長谷寺と呼ばれる。また道明が徳道らを率いて創建したともいう。

『続日本紀』によると768年(神護景雲2年)称徳天皇が参拝。847年(承和14年)、定額寺となる(続日本後紀)。 当初は東大寺末だったが、990年(正暦1年)には興福寺末となった。隆禅以降、大乗院門跡の筆頭末寺となる。貴族の参詣が流行する。 987年(永延1年)花山院が御幸。 991年(正暦2年)東三条院が御幸。 1227年(安貞1年)北条政子が参拝。

戦乱で衰微したが、豊臣秀長が、根来寺焼き討ちを逃れた専誉を招聘し、300石を寄進。 1588年(天正16年)、新義真言宗の拠点としての基礎を築いた。 江戸時代には寺領500石を保った。

1876年(明治9年)、本長谷寺の中心である三重塔が落雷で焼失。 1882年(明治15年)、仁王門と廻廊を焼失。1911年(明治44年)、大講堂焼失。 1954年(昭和29年)、五重塔建立。

伽藍

  • 本堂:1538年(天文7年)造立の十一面観音像を祀る。西側に1316年(正和5年)造立の難陀龍王、1537年(天文6年)造立の雨宝童子天照大神の化身)を祀る。1650年再建。
  • 開山堂:徳道を祀る。
  • 御影堂:空海を祀る。1982年建立。
  • 大黒堂:
  • 六角堂:
  • 道明墓所:登廊の東側にある九重石塔。元は十三重石塔か。平安時代の石塔。
  • 愛染堂:本尊は愛染明王
  • 藤原定家塚:藤原定家の塚。
  • 隔夜堂:廃絶。
  • 蔵王堂:蔵王権現3体を祀る。1650年再建。
  • 日限地蔵堂:
  • 納骨堂:2006年建立。
  • 本長谷寺:法華説相図の複製を祀る。1876年3月、落雷で焼失。11月再建。
  • 五重塔:1954年建立。
  • 三重塔:廃絶。天正年間、豊臣秀長が復興。1876年焼失。
  • 経蔵:
  • 奥之院:
    • 祖師堂・陀羅尼堂:菩提院。1992年陀羅尼堂建立。
    • 専誉墓:
    • 豊臣秀次供養塔:豊臣秀長の塚。
  • 鎮守
    • 瀧蔵神社:旧地主神。
    • 三社権現:瀧蔵神社の分社。
    • 与喜天満神社:新地主神。
    • 素盞雄神社:
    • 白山権現:
    • 三百余社:
    • 三部権現社:
    • 馬頭夫人社:馬頭夫人は唐国の僖宗皇帝の后。
    • 愛宕社:
  • 仁王門:1649年(慶安2年)造営。1882年焼失。1885年再建。

子院

  • 小池坊:本坊。1924年(大正13年)再建の大講堂がある。書院。護摩堂。
  • 長谷六院
    • 歓喜院:仁王門の西にある。
    • 梅心院:登廊の西側にある。
    • 慈眼院:登廊の西側にある。
    • 金蓮院:登廊の西側にある。
    • 月輪院:
    • 清浄院:廃絶。跡地に宗宝蔵(宝物館)がある。
  • 普門院:不動堂がある。仁王門前の参道の東側にある。
  • 本願院:徳道の住坊跡。
  • 能満院:本堂の東方にある。
  • 法起院:徳道の墓所。

組織

住職(古代)

長谷寺別当

  • 1道明(生没年不詳):川原寺住職。
  • 2徳道(656-?):
  • 3賢〓:
  • 4玄隣:
  • 5行賀(729-803):興福寺別当3世。
  • 6安凝:
  • 7永実:
  • 8最忠:
  • 9勝伐:
  • 10修円(771-835):興福寺別当4世。室生寺開山。
  • 11智照:
  • 12真日:
  • 13蓮舟:
  • 14仁〓:
  • 15延爾:
  • 16一和:
  • 17平伝:
  • 18明久:
  • 19貞授:
  • 20実算:
  • 21真命:
  • 22寿勢:
  • 23観照:
  • 24綱理:
  • 25明憲:
  • 26快公:
  • 27真範(986/987-1054):興福寺別当24世。一乗院門跡3世。元興寺別当。
  • 28明懐(988-1072):興福寺別当26世。
  • 29頼信(1010-1076):興福寺別当27世。一乗院門跡4世。
  • 30俊範:
  • 31公範(?-1086):興福寺別当28世。
  • 32済尋:
  • 33隣禅(1038-1100):興福寺大乗院開山。大安寺別当。興福寺権別当。「隆禅」?
  • 34頼実:大乗院門跡2世。
  • 35宗覚:
  • 36尋範(1101-1174):興福寺別当40世。大乗院門跡3世。
  • 37宗覚:再任。
  • 38定懐:
  • 39玄縁:興福寺別当43世。
  • 40尋忠:
  • 41信円(1153-1224):興福寺別当44世。大乗院門跡4世。一乗院門跡10世。
  • 42実尊(1180-1236):興福寺別当55世。大乗院門跡5世。
  • 43円実(1214-1272):興福寺別当59世・69世。大乗院門跡6世。
  • 44尊信(1226-1283):九条教実の子。興福寺別当70世・75世。大乗院門跡8世。
  • 45慈信(?-1325):興福寺別当77世・80世・83世・85世・90世・113世。大乗院門跡9世。
  • 46尋覚(1282-1318):興福寺別当94世・99世・103世。大乗院門跡10世。
  • 47覚尊:興福寺別当112世・118世。大乗院門跡11世。
  • 48慈信(?-1325):再任。
  • 49聖信:大乗院門跡12世。
  • 50覚尊:再任。
  • 51聖信:再任。
  • 52覚尊:再任。
  • 53孝覚(1319-1368):九条房実の子。大乗院門跡13世。薬師寺別当、橘寺別当。興福寺別当124世・127世・129世。
  • 54教尊:
  • 55教信:
  • 56孝尋(?-1428):興福寺別当146世・148世。大乗院門跡15世。
  • 57教円(1378-1410)<1393->:興福寺別当153世。大乗院門跡17世。薬師寺別当。橘寺別当。「孝円」とも。
  • 58経覚(1395-1473):興福寺別当165世・168世・182世・186世。大乗院門跡18世。
  • 59尋尊(1430-1508):一条兼良の子。興福寺別当180世。大乗院門跡20世。薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。
  • 60政覚(1453-1494)<1477->:興福寺別当190世。大乗院門跡21世。
  • 61尋尊(1430-1508):再任
  • 典拠:『日本仏家人名辞書』。「36代」が続けて二人書かれているが、誤植とみなした。

住職(近世以降)

能化(のうけ)、化主(けしゅ)と称し、明治以後は真言宗豊山派管長も兼任。

歴代 生没年 在職年 備考
1 専誉 1530-1604 1584-1604 豊山派開祖。玄誉の弟子。1584年(天正12年)、能化就任。根来焼討の後、和泉国分寺に逃れる。1587年(天正15年)豊臣秀長に請われて長谷寺に入る。
2 性盛 1537-1609 1604-1609 玄誉に師事。根来焼討後、因幡堂に滞在。清閑寺上品蓮台寺を復興して長谷寺に晋山。
3 宥義 1546-1618 徳川家康と懇意だったという。
4 秀算 1572-1641 専誉の弟子。家康に拝謁。
5 尊慶 1582-1654 1641-1653
6 良誉 1608-1657 1653-1657 智積院元寿に学ぶ。円福寺六波羅蜜寺を歴任。
7 信海 1613-1678 1657- 智積院元寿に学ぶ。宝生院住職を経て晋山。多病のため、大和・慈恩寺に隠居。
8 快寿 1614-1666 1660-1666 尾張・長久寺など歴任して晋山。
9 頼意 1613-1675 1666-1675
10 俊盛 1612-1680 1675-1680 知足院住職から晋山。
11 亮汰 1622-1680 1680-1680 近江・総持寺などを歴任。晋山後、まもなく死去。
12 尊如 1622-1684 1681-1684 知足院住職から晋山。
13 卓玄 1632-1704 1684-1695 近江総持寺などを歴任して晋山。伝法大会を興す。長谷寺近くの興元寺に隠退。
14 英岳 1639-1712 1695-? 尾張長久寺、江戸・弥勒寺を経て晋山。退任して護持院に入り、与喜寺に隠居。
15 亮貞 1648-1719 1703-1707 大覚寺宮の信任があった。長久寺から晋山。退任して護国寺住職。乙訓寺に隠棲。
16 尊祐 1645-1717 1707-1708 下野・宝蓮寺大護院などを経て晋山。退任して護国寺住職。
17 隆慶 1649-1719 1708-1715 元は法相宗僧。長久寺、江戸弥勒寺、大護院などを歴任。退任して護国寺住職、護持院住職を務める。
18 秀慶 1653-1720 1716-1720 近江総持寺、江戸弥勒寺などを経て晋山。
19 信有 1662-1723 1720-1723 大護院などを経て晋山。
20 尚彦 1666-1736 1724-1730 護国寺より晋山。与喜寺に隠居。
21 慧海 1662-1745 1730- 千葉妙見寺根生院、護国寺を経て晋山。黒崎に隠居。
22 恵任 1665-1742 『新義真言宗大観』では伝記欠
23 圭賢 1669-1749 護国寺より晋山。与喜寺に隠居。
24 信恕 1682-1760 1746-1760 江戸弥勒寺、護持院などを経て晋山。
25 性海 1685-1764 1760-1764 武蔵・総持寺から晋山。
26 円秀 1686-1766 1764-1766 千葉妙見寺、根生院を経て晋山。
27 快尊 1703-1773 1766-1772 玉蔵院、江戸弥勒寺を経て晋山。
28 有慶 1709-1775 1773-1775 近江・北野寺、根生院、護持院などを経て晋山。
29 快運 ?-1787 1775-1781 根生院から晋山。諸堂再建。与喜寺に隠居。
30 虚明 1709-1788 1781-1785 江戸弥勒寺などを経て晋山。黒崎に隠居。
31 懐玄 ?-1790 1785-1790 弥勒寺、護持院を経て晋山。
32 法住 1723-1800 1791-1796? 一乗院門跡から岡寺を賜る。ついで根来寺に入り、復興に尽くした後、長谷寺に晋山。与喜寺に隠居。
33 儀貞 1732-1802 1796-1802 室生寺、根生院、護持院を歴任。
34 元栄 ?-1802 1802-1802 近江総持寺、江戸弥勒寺、護持院を歴任。着任前に死去。
35 暁慧 1731-1803 1802-1803 室生寺、根生院を歴任。
36 盛尊 ?-1804 1803-1804 千葉妙見寺、弥勒寺、護持院を歴任。
37 高隆 1737-1808 1804-1808 武蔵総持寺、弥勒寺、護持院などを歴任。与喜寺に隠居。
38 即同 ?-1812 1808-1811? 弥勒寺などを歴任。
39 唯阿 1751-1823 1812-1818 根生院から晋山。隠居。
40 亮恭 1745-1829 1819-1825 弥勒寺から晋山。与喜寺に隠居。
41 令法 ?-1827 1826-1827 岡寺、護持院を歴任。
42 栄山 1767-1828 1827-1828 石手寺、根生院を歴任。
43 実掌 ?-1835 1828-1835? 近江北野寺から晋山。
44 栄明 ?-1842 1834?-? 乙訓寺、弥勒寺を経て晋山。隠居。
45 鏡真 ?-1848 1841-1846 弥勒寺から晋山。与喜寺に隠居。
46 信慧 1776-1846 1846-1846 根生院、護持院を歴任。着任前に死去。
47 深賢 1776-1851 1846-1851 根生院から晋山。
48 永雅 1779-1856 1851-1856 弥勒寺から晋山
49 通済 1788-1872 1856-1858 根生院、護持院を歴任。与喜寺に隠居。
50 宥歓 ?-1866 1862-1866? 弥勒寺、護国寺(日本仏家人名辞書では護持院とする)を経て晋山。
51 快識 ?-1867 1866-1867 武蔵総持寺、根生院を経て晋山。
52 隆盛 1801-1872 1968-1872 弥勒寺、護持院を経て晋山。教導職大教正。
53 守野秀善 1812-1886 1873-1886 1879年(明治12年)、真言宗長者。1886年(明治19年)根来寺座主中興1世。
54 楞厳院秀盛 1816-1890 1887-1890 近江総持寺から晋山。
55 高志大了 1834-1898 1891-1894 新薬師寺、石手寺を歴任。少教正となり大教院で宗務を執る。護国寺を経て晋山。1894年(明治27年)、真言宗長者。護国寺に隠退。東寺長者。
56 上野相憲 1832-1898 1894-1898 鶏足寺、弥勒寺を歴任。真言宗大会議議長を務める。
57 慶雲海量 1833-1900 1898-1900 室生寺などを経て晋山。豊山派管長初代。
58 権田雷斧 1846-1934 1901-1904 一時、曹洞宗に転籍。豊山大学学長。
59 平常識 1833-1905 1905-1905 武蔵総持寺を経て晋山。
60 正城全鏡 1835-1915 1905-1911 三保谷広徳寺住職
61 高城義海 1836-1911 1911-1911 護国寺を経て晋山。
62 岩堀智道 1861- 1911-1915 弥勒寺から晋山。
63 早川快亮 1849-1923 1916-1921
64 広瀬賢信 1921-1925
65 加藤精神 1872-1956 1925- 豊山大、大正大、東洋大の学長を歴任。
66 小林正盛 1876-1937 1930- 肥前・誕生院を再興。鶏足寺住職
67 浜野堅海
68 平岡全教
69 荒木良仙 1879-1947 室生寺貫首
70 清水教誉
71 網代智海 1891-1969 1949- 1962年(昭和37年)、室生寺を豊山派から離脱させ、1964年(昭和39年)、真言宗室生寺派を創設。
72 鴇昌清 1894- 玄国寺
73 長岡慶信 1888-1974 1965- 童話作家。与楽寺住職。
74 平林宥高 小岩万福寺
75 鳥居敬誉 1898- 1972- 真性寺住職。宗務総長
76 川田聖見 楽法寺
77 築山定誉 1980-
78 小松原賢誉 西福寺
79 勝又俊教 1909-1994 広徳院
80 中川祐俊 ?-2005 万蔵院
81 吉田俊誉 密蔵院
82 浜野堅照 ?-2004 1996-2000 武蔵総持寺貫首
83 川田聖定 1926-2020 2000-2004 自坊は遍照院。楽法寺貫主。1992年から1996年まで宗務総長。菩提院結衆、集議、宗機顧問を歴任。2000年から2004年まで長谷寺化主。2020年7月14日死去。94歳。
84 鳥居慎誉 真性寺
85 小野塚幾澄 1931- 2008-2012 金乗院
86 加藤精一 1936- 2012-2016 南蔵院
87 田代弘興 1939- 2016-2020 光明院
88 浅井侃雄 2020-2024予定 自坊は越谷金剛寺。宗務総長。2020年6月15日長谷寺化主に就任。任期4年間。
  • 典拠:伊豆宥法『新義真言宗大観』、平沢照尊『新義真言宗概観』ほか

寺務長

現在は寺務長だが、かつては事務長と称したようだ。豊山派は宗本分離を取っているので宗派宗務総長の兼務にはなっていない。

  • 網代智海(1891-1969)<>:長谷寺化主71世。管長。室生寺座主。真言宗室生寺派管長初代。
  • 大河内海豪()<-1953->:自坊は岡寺。『豊山文庫善本聚録』を編纂。
  • 久保野太運()<>:久保埜太運。著書に『真言宗義綱要』。
  • 築山定誉()<>:長谷寺化主77世。管長。
  • 塚本賢暁?
  • 田中海応?
  • 中川()<-1979>:
  • 永見聖宏()<1979->:自坊は中野正蔵院。
  • 高山宥進()<1983->:大正大学総務部長。
  • 門屋大寿()<1984->:自坊は東京都東大和市三光院。
  • 水谷賢照()<1987->:
  • 田中()<1988->:
  • 三津田弁秀()<-1995->:自坊は高崎大乗寺。
  • 大西信康()<1996->:自坊は伊予・大宝寺。1934年(昭和9年)生。大正大学仏教学部卒。
  • 岩脇宏信()<2000->:自坊は田端与楽寺。
  • 浅井侃雄()<-2003->:長谷寺化主88世。管長。自坊は越谷金剛寺。
  • 林亮弘()<-2006->:自坊は練馬長命寺
  • 高梨堅堂()<-2010->:自坊は千葉覚王寺。
  • 川俣海淳(1941-)<>:自坊は岡寺。
  • 五十嵐賢仁()<-2019>:
  • 根岸栄宏(1945-)<2019->:自坊は荒川養福寺。大正大学卒。2000年(平成12年)宗派教化部長。集議。2019年(令和1年)5月18日、寺務長就任。
  • 川俣海淳(1941-)<>:再任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA」より作成

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