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長門・住吉神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年8月20日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
住吉神社 すみよし じんじゃ | |
概要 | 住吉神の荒魂を祀る神社。 |
奉斎 | 表筒男命荒魂、中筒男命荒魂、底筒男命荒魂 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 山口県下関市一の宮住吉1-11-1 |
所在地(旧国郡) | 長門国豊浦郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・長門国一宮・朱印地拝領神社・官幣中社・別表神社 |
関連記事 | 住吉信仰 |
住吉神社(すみよし・じんじゃ)は山口県下関市一の宮住吉にある住吉信仰の神社。官社。名神大社。長門国一宮。官幣中社。別表神社。
住吉坐荒御魂神社。住吉荒魂本宮とも称す。 また住吉大社の「御蔭社」という呼ばれ方もされている(延喜式臨時祭)。
山を挟んで東2.8kmに長門国二宮忌宮神社がある。
目次 |
歴史
『日本書紀』神功皇后摂政前紀に住吉三神が託宣して神功皇后に「我が荒魂を穴門の山田邑に祭れ」と命じたので、穴門直践立を神主として祠を建てたのが起源とされる。同時に和魂が摂津に祀られ、住吉大社となった。
859年(貞観1年)1月、従五位下から従五位上。875年(貞観17年)10月、正五位下。12月に従四位上。886年(仁和2年)11月、正四位下。927年(延長5年)の延喜式神名帳には「住吉坐荒御魂神社」として記載された。
鎌倉時代末期には長門国一宮と呼ばれていた。
1370年(建徳1年/応安3年)大内弘世が現在の本殿を造営。 1539年(天文8年)、毛利元就が拝殿などを造営。
1871年(明治4年)国幣中社。1911年(明治44年)1月12日、官幣中社(内務省告示第4号)。
(日本歴史地名大系ほか)
境内
- 第一殿:祭神は住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)の荒魂。
- 第二殿:祭神は応神天皇。
- 第三殿:祭神は武内宿禰。
- 第四殿:祭神は神功皇后。
- 第五殿:祭神は建御名方命。
- 厳島社:
- 蛭子社:
- 七社:
- 田尻社:
- 若宮神社:
- 高元社:
- 稲荷社:
- 検非違使社:
- 妥女社:
- 東方遥拝所:
- 打下神社:境外?
- 天神社:打下社に合祀。
- 貴船社:打下社に合祀。
- 濁池:お斎祭に関連する
- 新福寺:旧「社坊」という。本尊は十一面観音。臨済宗東福寺派。
組織
穴門直践立の末裔の賀田氏山田家が大宮司を世襲した。
大宮司(前近代)
- 穴門直践立:初代神主。
- 賀田範方
- 賀田範貞
- 賀田重貞
- 賀田包貞
- 賀田吉貞
- 賀田種貞
- 賀田親貞
- 賀田宮貞
- 賀田遠貞
- 賀田貞遠
- 賀田貞近()<-1336->:1336年(建武3年)在職。
- 賀田貞明
- 賀田貞実
- 賀田貞清
- 賀田貞実
- 賀田貞国()<-1481->:1481年(文明13年)在職。
- 賀田貞道
- 範方から貞道まで『長門国守護職次第』(続群書類従4上)。
- 「長門国豊浦郡住吉荒魂神社山田大宮司系図」[1]
大宮司・宮司
- 世良利貞(1816-1878)<1873->:幕末明治の国学者。山口藩士。代々、膳夫を務めた。近藤芳樹に師事。1862年(文久2年)12月24日、京都の霊明舎で、福羽美静らと殉難志士の招魂祭を行った。教部省中録。1873年(明治6年)2月、住吉神社宮司。教導職権大講義。大教院で教典編纂。1878年3月死去。孫槌。
- 岡部光澄(生没年不詳)<1878-1881>:1878年(明治11年)7月、住吉神社宮司。1881年(明治14年)10月、貫前神社宮司。
- 城村五百樹(-1890)<-1890>:1890年(明治23年)9月24日死去(官報)。
- 渡辺織雄(1868-1950)<1925-1933>:戦前期の山口県の神職。1884年(明治17年)、教導職試補。1890年(明治23年)、山口県出合村八幡宮社掌。1905年(明治38年)、赤間宮主典。のち長門住吉神社の禰宜に就任。1925年(大正14年)宮司就任。1933年(昭和8年)退任。皇典講究所評議員。1935年(昭和10年)、山口県神職会会長。1941年(昭和16年)、山口県護国神社社司に就任し、1945年(昭和20年)まで務める。その後は、故郷の八幡宮宮司となる。
- 吉田貞治()<?-1935>:住吉神社宮司。1935年(昭和10年)10月14日朝鮮神宮権宮司。1937年(昭和12年)5月15日、平壌神社宮司。のち豊国神社宮司。
- 早山静夫(1903-)<>:江原神社初代宮司。1903年(明治36年)生。朝鮮神宮主典。
- 堀熊弥彦()<>:平野神社宮司。
- 大司満邦(-2009)<-2009>:赤間神宮権宮司を経て住吉神社宮司。2009年(平成21年)5月7日死去。66歳。
- 鳴瀬道生()<2010->:2010年(平成22年)5月1日就任。
資料
- 『長門一宮住吉神社文書』
- 1975『櫟木家文書』
- 1975『長門国一ノ宮住吉神社史料上』
- 1982『長門国一ノ宮住吉神社史料下』
- 1978「長門国一の宮住吉神社の神事行事場」
- 1978『住吉神社 : 長門国一の宮』
- 2013「長門一宮住吉神社本殿の建築年代とその特質」