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関東祈祷所
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
関東祈祷所
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'''関東祈祷所'''は、鎌倉将軍家の御願所。'''関東御祈祷所'''、'''関東御祈願所'''、'''鎌倉殿祈祷所'''、'''将軍家御祈願所'''、'''武家御祈願所'''、'''公方御祈願所'''。 平安時代に発生した[[御願寺]]の系譜を引き継ぐと思われる。御願寺は国家の祭祀である[[官寺]]とは別に天皇や貴族の私的な信仰のために設けられた。 [[足利将軍家祈祷所]]に引き継がれた。 関東祈祷所の性格については研究でもはっきり解明されていない。 一部重複する[[五山]]制度や鎌倉幕府が関わった他の大寺社への保護との違いなど不詳。 ==一覧== *主に松尾剛次2016「関東祈祷所再考」を参照した。備考欄に再考とあるのは同論文所載の表の番号。ただし、立石寺は本文中に挙げられるが表には記載がない。 {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|整理番号 !style="width:8%;"|寺社名 !style="width:10%;"|所在地 !style="width:10%;"|列格年 !style="width:32%;"|概要 !style="width:5%;"|備考 |- |1 |[[寿福寺]] |神奈川県鎌倉市扇ガ谷 |鎌倉時代初期 |源頼家・北条政子が1200年(正治2年)に創建。臨済宗建長寺派 |再考94 |- |2 |[[甲斐・大善寺|大善寺]] |山梨県甲州市勝沼町勝沼 |鎌倉時代初期 |源頼朝の時に祈祷所にしたと後世の1204年(元久1年)の関東下知状写が述べる。真言宗智山派 |再考96 |- |3 |[[武蔵・長尾寺|長尾寺]] |武蔵 |鎌倉時代初期 |『吾妻鏡』1180年(治承4年)11月16日条? |再考14 |- |4 |[[播磨・清水寺|清水寺]] |兵庫県加東市平木 |鎌倉時代初期 |阿弥陀堂は源頼朝の建立といい、将軍久明親王が修造に関与している(国史大辞典)。天台宗。 |再考22 |- |5 |[[勝長寿院]] |神奈川県鎌倉市雪ノ下 |鎌倉時代初期 |源頼朝が父義朝の供養のために1185年(文治1年)創建。廃絶。 |再考1 |- |6 |[[鎌倉・永福寺|永福寺]] |神奈川県鎌倉市二階堂 |鎌倉時代初期 |源頼朝が1192年(建久3年)に創建。廃絶。 |再考2 |- |7 |[[鎌倉・大慈寺|大慈寺]] |神奈川県鎌倉市十二所 |鎌倉時代初期 |源実朝が1214年(建保2年)に創建。廃絶。 |再考3 |- |8 |河田別所 |伊勢 |鎌倉時代初期 |鎌倉遺文44、1186年(文治2年)多米正富申状案 |再考10 |- |9 |[[摂津・満願寺|満願寺]] |兵庫県川西市満願寺町 |鎌倉時代初期 |1183年(寿永2年)の「御使左兵衛尉実基奉禁制」に源頼朝が武士狼藉禁止を下して保護し、武家祈祷所としている。高野山真言宗。 |再考6 |- |10 |[[薗光寺]] |大阪府八尾市水越 |鎌倉時代初期 |1185年(文治1年)に北条時政が薗光寺に下した木造制札が現存し、鎌倉将軍家の祈祷所となっている(日本歴史地名大系)。現在は融通念仏宗。 |再考7 |- |11 |[[八塔寺]] |岡山県備前市吉永町加賀美 |鎌倉時代初期 |源頼朝が平家追討後に祈願所としたという(日本歴史地名大系)。天台宗。 |再考25 |- |12 |[[弘明寺|求明寺]] |神奈川県横浜市南区弘明寺町山下 |鎌倉時代初期 |1181年(養和1年)1月23日条に源家累代の祈願所としてあがる「求明寺」が現在の「弘明寺」に比定される。高野山真言宗。 |再考13 |- |13 |[[真慈悲寺]] |東京都日野市百草 |鎌倉時代初期 |1186年(文治2年)2月3日、源頼朝が「御祈祷霊場」の真慈悲寺に住職を任命し、一切経を納めて伽藍を整備した。1192年(建久3年)5月8日、鎌倉幕府が行った後白河法皇の四十九日法要に真慈悲寺の僧3人が出仕している(吾妻鏡)。 | |- |14 |[[進美寺]] |兵庫県豊岡市日高町日置 |鎌倉時代初期 |1197年(建久8年)には源頼朝の発願の五輪宝塔八万四千塔の但馬国分300基を進美寺で開眼。1290年(正応3年)の関東御教書で、関東祈祷所として修治を加えて祈祷に励み、巻数を報告するように命じている。天台宗。 |再考15 |- |15 |[[鎌倉・補陀落寺|補陀落寺]] |神奈川県鎌倉市材木座 |鎌倉時代初期 |1685年(貞享2年)の石標に「源頼朝公御祈願所南向山補陀洛寺」とある。 | |- |16 |[[武蔵・妙楽寺|威光寺]] |神奈川県川崎市多摩区長尾 |鎌倉時代初期 |現在の妙楽寺。『吾妻鏡』1180年(治承4年)11月15日条に「源家数代御祈祷所」として「威光寺」があがる。天台宗。 |再考12 |- |17 |[[浅草寺]] |東京都台東区浅草 |鎌倉時代初期 |江戸時代の『浅草寺縁起』によると、源頼朝が鎌倉に入る前に浅草寺で戦勝祈願したことから、鎌倉将軍家の祈願所となったという。1192年(建久3年)5月8日の鎌倉幕府の後白河法皇四十九日法要に浅草寺僧3人が招かれている。 | |- |18 |[[井岡寺]] |山形県鶴岡市井岡 |1203年(建仁3年) |1203年(建仁3年)、武藤氏の後援により鎌倉幕府の祈願所として再建されたという。(日本歴史地名大系) | |- |19 |[[片岡神社|片岡社]] |神奈川県平塚市片岡 |1212年(建暦2年)以前 |『吾妻鏡』1212年(建暦2年)8月22日条に「片岡社」とある。「雷電社」と呼ばれた。村社。 |再考16 |- |20 |[[前鳥神社|前取社]] |神奈川県平塚市四之宮 |1212年(建暦2年)以前 |『吾妻鏡』1212年(建暦2年)8月22日条に「前取社」とある。郷社。 |再考17 |- |21 |[[能登・西光寺|西光寺]] |石川県輪島市西院内町 |1214年(建保2年) |1214年(建保2年)8月、西光寺院主を補任し「鎌倉殿祈祷所」とした(「地頭某下文案」西光寺文書)。 | |- |22 |[[武雄神社|武雄社]] |佐賀県武雄市武雄町 |1215年(建保3年)以前 |鎌倉遺文28265、1215年(建保3年)10月2日に記述のある。1186年(文治2年)3月10日、源頼朝の袖判のある関東御教書(武雄神社文書)で「平氏追討御祈祷之趣神妙之旨」を伝えており、かなり初期に御祈祷所になったと思われる。郷社。 |再考18 |- |23 |[[常陸・薬王院|薬王院]] |茨城県水戸市元吉田町 |鎌倉時代前期 |鎌倉末期には公家武家兼帯の祈祷所になったという(日本歴史地名大系)。天台宗。 |再考20 |- |24 |[[敏満寺]] |滋賀県犬上郡多賀町敏満寺 |鎌倉時代前期 |廃絶。 |再考21 |- |25 |[[出雲大社|杵築社]] |島根県出雲市大社町杵築東 |鎌倉時代前期 |鎌倉遺文9238 |再考19 |- |26 |(不詳) |甲斐 |鎌倉時代前期 | |再考11 |- |27 |[[宗像大社]] |福岡県宗像市田島 |1221年(承久3年)頃 |承久の乱の後、関東御祈祷所となった。(宗像市歴史的風致維持向上計画) | |- |28 |[[備前・金山寺|金山寺]] |岡山県岡山市北区金山寺 |1222年(貞応1年)以前 |1222年(貞応1年)10月「金山寺住僧等解」に将軍家御祈祷所とある。天台宗。 |再考23 |- |29 |[[金剛三昧院]] |和歌山県伊都郡高野町高野山 |1223年(貞応2年)か |1223年(貞応2年)、安達景盛が源実朝の菩提を弔い、関東の祈祷のため北条政子に申請して高野山に創建。この時既に祈祷所だったと思われる。1281年(弘安4年)3月21日、鎌倉幕府が関東祈願所である高野山金剛三昧院に「河州新開庄」を寄進。高野山真言宗。 |再考81 |- |30 |[[六郷満山]] |大分県国東半島 |1228年(安貞2年)頃 |六郷山が関東祈祷所になるのに先立ち、1228年(安貞2年)5月の祈祷実施の準備するための書類「六郷山諸勤行并諸堂役祭等目録写」が残る。天台宗。 |再考28 |- |31 |[[台明寺]] |鹿児島県国分市台明寺 |1229年(寛喜1年)以前 |1229年(寛喜1年)12月17日付「台明寺牒案」などに将軍家祈祷所とある。廃絶。 |再考27 |- |32 |[[鎌倉・明王院|明王院]] |神奈川県鎌倉市十二所 |1231年(寛喜3年) |創建当初から将軍御願寺だった。1231年(寛喜3年)10月6日、将軍頼経の御願寺として五大堂建立を命じたと吾妻鏡にある。真言宗御室派 |再考4 |- |33 |[[瑞巌寺]] |宮城県宮城郡松島町松島町内 |1256年(康元1年)以前 |建長のころから関東御祈祷所。臨済宗妙心寺派。(日本歴史地名大系) |再考29 |- |34 |[[備前・安養寺|安養寺]] |岡山県和気郡和気町泉 |1260年(文応1年) |1248年(宝治2年)11月の「預所沙弥某寄進状」によれば北条泰時の菩提を弔うための塔婆を建立し、寺領寄進。1260年(文応1年)9月に寺領再寄進され、以来、「武家御祈祷所」となった(1317年(文保1年)6月19日「藤原政貞禁制」)。天台宗。 |再考98 |- |35 |[[尊長護法寺]] |和泉? |鎌倉時代中期 |鎌倉遺文補遺1989 |再考24 |- |36 |[[国主寺]] |和歌山県紀の川市貴志川町国主 |鎌倉時代中期 |現在の「薬師寺」。真言宗山階派。阿念置文案、鎌倉遺文21627 |再考26 |- |37 |[[三聖寺]] |京都府京都市東山区本町 |1283年(弘安6年) |1283年(弘安6年)2月30日、北条時宗が関東祈祷所とした(関東御教書)。寿福寺に併合。 |再考30 |- |38 |[[鎌倉・円覚寺|円覚寺]] |神奈川県鎌倉市山ノ内 |1283年(弘安6年) |臨済宗円覚寺派。「関東下知状」(鎌倉遺文)に1283年(弘安6年)7月16日、北条時宗の申請で「将軍家御祈祷所」とするとある。その2日後に決定を円覚寺に知らせた北条時宗書状(鎌倉遺文)が残る。 |再考76 |- |39 |[[通法寺]] |大阪府羽曳野市壺井 |1286年(弘安9年)以前 |1286年(弘安9年)9月1日付の「六波羅禁制」に通法寺について「関東厳重之御祈祷所、折内無双之大霊験所也」とある。廃絶。 |再考8 |- |40 |[[肥後・大慈寺|大慈寺]] |熊本県熊本市南区野田 |1286年(弘安9年)以前 |「関東下知状」(鎌倉遺文)に1283年(弘安6年)7月16日、北条時宗の申請で「将軍家御祈祷所」とするとある。その2日後に決定を円覚寺に知らせた北条時宗書状(鎌倉遺文)が残る。曹洞宗。 |再考90 |- |41 |[[醍醐寺報恩院]] |京都市伏見区醍醐 |1293年(永仁1年) |1293年(永仁1年)、醍醐寺報恩院憲淳が北条貞時より「関東御祈祷」を命じられる(醍醐寺文書)。 | |- |42 |[[伊勢・蓮華寺|蓮華寺]] |三重県度会郡度会町棚橋 |1298年(永仁6年) |元は真言宗。通海が復興し大神宮法楽寺と称す。1275年(建治1年)、異国調伏のために伊勢神宮近くに法楽舎を建立。1298年(永仁6年)に「公家・武家の御祈祷所」となり毎年2度の法会を行うこととなった。現在は浄土宗。 | |- |43 |[[大和・惣持寺|惣持寺]] |奈良県生駒郡三郷町勢野東 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。[[持聖院]]が現存。真言律宗。 |再考63 |- |44 |[[紀伊・妙楽寺|妙楽寺]] |和歌山県橋本市東家 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。1298年(永仁6年)4月に祈祷所となる(関東祈祷諸寺注文写(護国寺文書))。真言律宗。 |再考79 |- |45 |[[利生護国寺|利生護国院]] |和歌山県橋本市隅田町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。1298年(永仁6年)4月に祈祷所となる(関東祈祷諸寺注文写(護国寺文書))。真言律宗。 |再考80 |- |46 |[[西大寺]] |奈良県奈良市西大寺芝町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。1298年(永仁6年)4月の西大寺文書「関東御祈祷諸寺」(鎌倉遺文26-19670)に34寺が列挙され、翌月11日付の極楽寺文書の西琳寺長老宛忍性書簡(鎌倉遺文26-19678)で西大寺以下30寺あまりが「関東御願所」になったことを伝える。真言律宗。 |再考41 |- |47 |[[浄住寺]] |京都府京都市西京区山田開キ町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。黄檗宗。 |再考36 |- |48 |[[紀伊・護国院|金剛寺]] |和歌山県和歌山市紀三井寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。紀三井寺。真言宗系。 |再考82 |- |49 |[[香久山・興善寺|三学院]] |奈良県橿原市戒外町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。興善寺。真言宗豊山派。 |再考51 |- |50 |[[大安寺]] |奈良県奈良市大安寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。高野山真言宗。 |再考42 |- |51 |[[西琳寺]] |大阪府羽曳野市古市 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。高野山真言宗。 |再考73 |- |52 |[[四天王寺薬師院|薬師院]] |大阪府大阪市天王寺区四天王寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。[[四天王寺]]子院。廃絶。 |再考66 |- |53 |[[四天王寺三箇院|三箇院]] |大阪府大阪市天王寺区四天王寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。四天王寺子院。廃絶。敬聖院。尼寺。 |再考68 |- |54 |[[四天王寺舎那院|舎那院]] |大阪府大阪市天王寺区四天王寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。四天王寺子院。廃絶。毘盧舎那院 |再考67 |- |55 |[[京都・白毫寺|速成就院]] |(京都府京都市下京区本塩竈町) |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言宗系。 |再考39 |- |56 |[[額安寺]] |奈良県大和郡山市額田部寺町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言宗系。 |再考54 |- |57 |[[海龍王寺]] |奈良県奈良市法華寺町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言律宗。 |再考45 |- |58 |[[不退寺]] |奈良県奈良市法蓮町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言律宗。 |再考47 |- |59 |[[大和・般若寺|般若寺]] |奈良県奈良市般若寺町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言律宗。 |再考48 |- |60 |[[教興寺]] |大阪府八尾市教興寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。真言律宗。 |再考71 |- |61 |[[豊浦寺]] |奈良県高市郡明日香村豊浦 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。尼寺。向原寺。浄土真宗本願寺派 |再考58 |- |62 |[[法華寺]] |奈良県奈良市法華寺町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。尼寺。真言宗系。 |再考44 |- |63 |[[道明寺]] |大阪府藤井寺市道明寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。尼寺。真言宗御室派。 |再考72 |- |64 |[[嵯峨・光台寺|光台寺]] |京都府京都市右京区嵯峨 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考37 |- |65 |[[八幡・大乗院|大乗院]] |京都府八幡市 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考40 |- |66 |[[大御輪寺]] |奈良県桜井市三輪 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考55 |- |67 |[[大和・神願寺|神願寺]] |奈良県葛城市染野 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考56 |- |68 |[[多田院]] |兵庫県川西市多田院多田所町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考69 |- |69 |[[河内・泉福寺|泉福寺]] |大阪府堺市美原区大保 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考70 |- |70 |[[河内・真福寺|真福寺]] |大阪府堺市美原区真福寺 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考74 |- |71 |[[弘正寺]] |三重県伊勢市楠部町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。廃絶。 |再考77 |- |72 |[[大和・西福寺|最福寺]] |奈良県大和高田市北片塩町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。平田荘。現在は浄土宗。「西福寺」。 |再考57 |- |73 |[[喜光寺]] |奈良県奈良市菅原町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。法相宗。 |再考46 |- |74 |[[唐招提寺]] |奈良県奈良市五条町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。律宗。 |再考43 |- |75 |[[大和・竹林寺|竹林寺]] |奈良県生駒市有里町 |1298年(永仁6年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。律宗。 |再考62 |- |76 |[[橘寺|菩提寺]] |奈良県高市郡明日香村橘 |1298年(永仁6年)、1299年(正安1年) |忍性の申請で列格した34寺の一つ。覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。橘寺が二度列格した点は不詳。橘寺。天台宗。 |再考59 |- |77 |[[室生寺]] |奈良県宇陀市室生 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。真言宗室生寺派。1299年(正安1年)10月5日付「関東御祈祷寺々御下知案」(『金沢文庫古文書』7-5243)で覚園寺心慧の申請で室生寺以下諸寺が列格したことが分かり、1299年(正安1年)10月付「関東御祈祷寺々注文案」(『金沢文庫古文書』7-5244)で13寺の名前が列挙されている。しかし橘寺はすでに前年に忍性の申請で列格しているはずであるがこの点は不詳。 |再考64 |- |78 |長持寺 |(不詳) |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。「一代山麓役行者聖跡」とある。「一代山」は笠置寺のある「一代峰」の可能性があるか。笠置寺は役行者創建を伝える。 |再考49 |- |79 |[[太龍寺|大滝寺]] |徳島県阿南市加茂町龍山 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。「大和」所在とするが阿波の「太龍寺」のことと思われる。空海が求聞持法を成就した地とする記述に合致する。 |再考65 |- |80 |[[軽寺|龍寺]] |奈良県橿原市大軽町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。「龍寺」あるいは「滝寺」は「駕龍寺」の略称と思われ、「軽寺」のことと思われる。 |再考50 |- |81 |[[広隆寺桂宮院|桂宮寺]] |京都府京都市右京区太秦蜂岡町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。「広隆寺桂宮院」。真言宗系。 |再考38 |- |82 |観音寺 |(不詳) |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。[[今熊野観音寺]]か。「生身観音出現霊場」とある。 |再考34 |- |83 |[[大和・弘福寺|弘福寺]] |奈良県高市郡明日香村川原 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。川原寺。真言宗豊山派。 |再考60 |- |84 |[[大和・定林寺|定林寺]] |奈良県高市郡明日香村立部 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。浄土宗。 |再考61 |- |85 |[[泉涌寺]] |京都府京都市東山区泉涌寺山内町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。真言宗泉涌寺派。 |再考33 |- |86 |[[京都・東林寺|東林寺]] |京都府京都市東山区泉涌寺東林町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。廃絶。 |再考35 |- |87 |[[大和・大窪寺|大窪寺]] |奈良県橿原市大久保町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。廃絶。 |再考52 |- |88 |[[久米寺]] |奈良県橿原市久米町 |1299年(正安1年) |覚園寺心慧の申請で列格した13寺の一つ。真言宗御室派。 |再考53 |- |89 |[[播磨・性海寺|性海寺]] |兵庫県神戸市西区押部谷町高和 |1300年(正安2年) |狼藉防止の訴えを忍性を通じて申請。これを受け、1300年(正安2年)7月29日、幕府は訴えを認め、「関東祈祷」を命じた(関東下知状案、忍性施行状)。高野山真言宗。 |再考75 |- |90 |[[本圀寺]] |(京都府京都市山科区御陵大岩) |1307年(徳治2年) |1307年(徳治2年)、鎌倉将軍久明親王が寺地を与え、将軍家の祈願所としたという。(日本歴史地名大系) | |- |91 |[[肥後・如来寺|如来寺]] |熊本県宇土市岩古曽町 |1307年(徳治2年) |曹洞宗。『国郡一統志』によると、住職の士安が1307年(徳治2年)8月、大慈寺、高城寺、大光寺の例を挙げ、申請し、10月16日付で「御祈祷所」とすることが認められたという。 |再考91 |- |92 |[[高城寺]] |佐賀県佐賀市大和町久池井 |1307年(徳治2年)以前 |『国郡一統志』によると、肥後如来寺が1307年(徳治2年)8月、大慈寺、高城寺、大光寺の例を挙げ、申請しており、この年以前に列格していたことが分かる。臨済宗東福寺派。 |再考85 |- |93 |[[肥前・安国寺|大光寺]] |佐賀県神埼市神埼町城原 |1307年(徳治2年)以前 |『国郡一統志』によると、肥後如来寺が1307年(徳治2年)8月、大慈寺、高城寺、大光寺の例を挙げ、申請しており、この年以前に列格していたことが分かる。黄檗宗。 |再考88 |- |94 |[[東妙寺]] |佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手 |1310年(延慶3年)以前 |真言律宗。1310年(延慶3年)5月20日付「関東御祈祷所肥前国東妙寺造営木材勝載船壱艘事」(『東妙寺文書』『鎌倉遺文』)に「関東御祈祷所肥前国東妙寺」とあり、これ以前に列格していたことが分かる。また年代不明の「金沢貞顕書状」(『金沢文庫古文書』)に東妙寺と隣接する妙法寺が同時に評定で列格したことが記されている。 |再考86 |- |95 |[[肥前・妙法寺|妙法寺]] |佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手 |1310年(延慶3年)以前 |廃絶。尼寺。1310年(延慶3年)5月20日付「関東御祈祷所肥前国東妙寺造営木材勝載船壱艘事」(『東妙寺文書』『鎌倉遺文』)に「関東御祈祷所肥前国東妙寺」とあり、これ以前に列格していたことが分かる。また年代不明の「金沢貞顕書状」(『金沢文庫古文書』)に東妙寺と隣接する妙法寺が同時に評定で列格したことが記されている。 |再考87 |- |96 |[[大徳寺]] |京都府京都市北区紫野大徳寺町 |1329年(元徳1年) |臨済宗大徳寺派。1329年(元徳1年)6月3日付後醍醐天皇綸旨(鎌倉遺文)により「関東祈祷所」となることを認めている。 |再考31 |- |97 |[[筑後・浄土寺|浄土寺]] |福岡県大川市酒見 |1329年(元徳1年)以前 |鎌倉遺文39 1329年(元徳1年)4月16日「鎮西裁許状」に「公家・関東御祈願寺」とある。廃絶。 |再考84 |- |98 |[[伊勢・大日寺|大日寺]] |三重県四日市市寺方町 |1330年(元徳2年)以前 |天台宗。1329年(元徳1年)頃「金沢貞顕書状」(『金沢文庫古文書』)で「勢州大日寺御願寺間事」が評定で決定し、浄実房が喜んだと記し、この頃に列格したことが分かる。 |再考78 |- |99 |[[和泉・松尾寺|松尾寺]] |大阪府和泉市松尾寺町 |1330年(元徳2年)以前 |六波羅御教書「関東御祈祷所和泉国松尾寺住侶等申寺用米事」1330年(元徳2年)8月12日(鎌倉遺文40-31180)が残る。天台宗。 |再考9 |- |100 |[[千如寺]] |福岡県糸島市雷山 |鎌倉時代後期 |『筑前国続風土記』。真言宗大覚寺派。 |再考83 |- |101 |円福寺 |山城 |鎌倉時代後期 |法観寺文書、鎌倉遺文23112 |再考32 |- |102 |[[鎌倉・極楽寺|極楽寺]] |神奈川県鎌倉市極楽寺 |鎌倉時代後期 |金沢文庫古文書4899。真言律宗 |再考5 |- |103 |[[陸奥・万蔵寺|護国寺]] |(青森県弘前市西茂森町) |鎌倉時代後期 |北条時頼が創建したという。現在は曹洞宗で万蔵寺と称す。藤崎護国寺。 |再考92 |- |104 |[[肥前・万寿寺|水上寺]] |佐賀県佐賀市大和町川上 |鎌倉時代後期 |臨済宗南禅寺派。 |再考89 |- |105 |東昌寺 |陸奥 |鎌倉時代後期 | |再考93 |- |106 |[[立石寺]] |山形県山形市山寺 |不詳 |北条時頼の外護を得て関東御祈祷所となったという。 |(再考) |- |107 |[[貫前神社]]? |群馬県富岡市一ノ宮 |不詳 |年未詳の寺社交名(金沢文庫文書)で祈祷の対象となっており、祈願所と推定される(日本歴史地名大系)。 | |- |108 |[[鷲宮神社]]? |埼玉県久喜市鷲宮 |不詳 |鶴岡八幡宮と並ぶ鎌倉幕府が関東の最も尊重すべき神社だったという(日本歴史地名大系)。 | |- |109 |[[相模・六所神社|六所神社]]? |神奈川県中郡大磯町国府本郷 |不詳 |鎌倉幕府の祈願所でもあったという(日本歴史地名大系) | |- |110 |光明寺 |相模 |不詳 | |再考95 |- |111 |[[南宮大社]] |岐阜県不破郡垂井町宮代 |不詳 |関東祈祷寺注文案(金沢文庫文書) | |- |112 |[[飛騨・千光寺|千光寺]] |岐阜県高山市丹生川町下保 |不詳 |年未詳の関東祈祷寺注文案(金沢文庫文書)に「飛騨国袈裟寺」とある。 | |- |113 |[[京都・大通寺|大通寺]] |京都府京都市南区西九条比永城町 |不詳 |鎌倉将軍家の御祈祷所であった。(日本歴史地名大系) | |- |114 |[[播磨・円教寺|円教寺]] |兵庫県姫路市書写山 |不詳 |鎌倉時代に将軍家祈祷所となったという。(日本歴史地名大系) | |- |115 |[[仁比山神社|仁比山社]] |佐賀県神埼市神埼町的 |不詳 |仁比山寺文書 |再考97 |- |116 |[[丹後・金剛心院|金剛心院]] | 京都府宮津市日置 |鎌倉時代後期 |『宮津市史』。極楽寺末寺になると同時に関東祈祷所になったという。 | |} ==資料== *湯之上隆1977「関東祈祷寺の展開と歴史的背景」 *湯之上隆1978「関東祈祷寺の成立と分布」 *綾仁重次1979「鎌倉幕府と寺社―関東御祈祷所をめぐって」 *入間田宣夫1983「中世の松島寺」 *岡陽一郎1997「海から見た松島・北条氏―あるいは関東祈祷所」 *井上聡2000「豊後国六郷満山の関東祈祷寺化をめぐって」 *平雅行2007「鎌倉幕府の祈祷に関する一史料」 *今野慶信2007「関東御祈祷所について」 *木下龍馬2014「再考・関東祈祷所」 *松尾剛次2016「関東祈祷所再考」 *川添昭二「鎌倉幕府と寺社―関東祈祷寺」 [[Category:系譜記事]]
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