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阿宗神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''阿宗神社'''(あそう・じんじゃ)は兵庫県たつの市誉田町(播磨国揖保郡)にある[[八幡信仰]]の神社。主祭神を[[神功皇后]]とするのは異色で、配祀神に[[応神天皇]]・[[玉依姫命]]の他、阿宗親王(息長日子王)を祀るというのも珍しい。息長日子王は神功皇后の兄弟。[[官社]]。[[県社]]。
'''阿宗神社'''(あそう・じんじゃ)は兵庫県たつの市誉田町(播磨国揖保郡)にある[[八幡信仰]]の神社。主祭神を[[神功皇后]]とするのは異色で、配祀神に[[応神天皇]]・[[玉依姫命]]の他、阿宗親王(息長日子王)を祀るというのも珍しい。息長日子王は神功皇后の兄弟。[[官社]]。[[県社]]。
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欽明天皇の時代の創建という。かつては揖保郡太子町立岡の地にあり、岡の峰八幡宮と称したという。立岡の近くには「阿曽」の地名も残る。
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[[欽明天皇]]の時代の創建という。かつては揖保郡太子町立岡の地にあり、'''岡の峰八幡宮'''と称したという。立岡の近くには「阿曽」の地名も残る。
1189年に現在地に遷座したと伝える。
1189年に現在地に遷座したと伝える。
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中世には弘山庄の鎮守とされ、弘山八幡宮と呼ばれた。
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中世には弘山庄の鎮守とされ、'''弘山八幡宮'''('''広山八幡宮''')と呼ばれた。
鎌倉時代の文永年間以来、[[斑鳩寺]]が祭祀を司ってきたとされる。
鎌倉時代の文永年間以来、[[斑鳩寺]]が祭祀を司ってきたとされる。
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「神体」の金銅阿弥陀三尊像が1266年の作という。
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「神体」の金銅[[阿弥陀三尊]]像が1266年の作という。
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1881年(明治14年)6月、[[県社]]に列格した。
(『日本歴史地名大系』、兵庫県神社庁ウェブサイト)
(『日本歴史地名大系』、兵庫県神社庁ウェブサイト)
[[Category:兵庫県]]
[[Category:兵庫県]]

2021年1月19日 (火) 時点における版

阿宗神社(あそう・じんじゃ)は兵庫県たつの市誉田町(播磨国揖保郡)にある八幡信仰の神社。主祭神を神功皇后とするのは異色で、配祀神に応神天皇玉依姫命の他、阿宗親王(息長日子王)を祀るというのも珍しい。息長日子王は神功皇后の兄弟。官社県社

欽明天皇の時代の創建という。かつては揖保郡太子町立岡の地にあり、岡の峰八幡宮と称したという。立岡の近くには「阿曽」の地名も残る。 1189年に現在地に遷座したと伝える。 中世には弘山庄の鎮守とされ、弘山八幡宮広山八幡宮)と呼ばれた。 鎌倉時代の文永年間以来、斑鳩寺が祭祀を司ってきたとされる。 「神体」の金銅阿弥陀三尊像が1266年の作という。 1881年(明治14年)6月、県社に列格した。 (『日本歴史地名大系』、兵庫県神社庁ウェブサイト)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%98%BF%E5%AE%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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