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隅田八幡神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
隅田八幡神社
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{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''隅田八幡神社'''<br>すだ はちまん じんじゃ |- |style="background-color:#ededed"|概要 |応神天皇行在所旧跡に鎮座する八幡宮。石清水八幡宮隅田別宮。 |- |style="background-color:#ededed"|所在地 |和歌山県橋本市隅田町垂井622 |- |style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡) |紀伊国伊都郡 |- |style="background-color:#ededed"|社格など |[[県社]] |- |style="background-color:#ededed"|関連記事 | *[[八幡信仰]] *[[応神天皇旧跡]] *[[石清水八幡宮別宮]] |- |style="text-align:center;" colspan="2"| <googlemap version="0.9" lat="34.333226" lon="135.645297" type="map" zoom="17" width="350" height="300"> http://maps.google.com/maps/ms?key=ABQIAAAAiql9LQalLZQ9S_dtOW3FUhQ40xYwXeCmSWQKk9x7rqS_efroIBSYsjFblZowDhwF9Vqoj5I_gO18JA&mapclient=jsapi&ie=UTF8&hl=ja&vps=1&jsv=327b&msa=0&output=nl&msid=208806612508013451037.00049d0477a8ef1823383 </googlemap> |} '''隅田八幡宮'''は、和歌山県橋本市にある[[八幡信仰]]の神社。[[応神天皇]]紀伊上陸のときの行在所旧跡。祭神は、「誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊、丹生都比売命」である(『神道史大辞典』1105)。[[県社]]。[[石清水八幡宮別宮]]の一つ。 応神天皇が武内宿祢に伴われて、紀伊から大和に赴く途中に滞在した行在所とされる場所とされ、欽明天皇の時代、勅によってその行在所跡に神社を創建したとされる。のち石清水八幡宮の別宮として隅田荘の鎮守となる。1105年(長治2年)、長忠延が俗別当となり、以後、隅田氏が世襲した。1560年(永禄3年)、松永久秀の攻略によって社殿焼失したが、慶長年間に再建された。1819年(文政2年)に社殿を焼失。1822年(文政5年)再建されたのが現在の社殿である。神宮寺として'''大高能寺'''(高野山真言宗)があったが、神仏分離で分離した。1873年(明治6年)村社に列格し、1916年(大正5年)11月に県社に昇格した。国宝「隅田八幡神社人物画像鏡」を所蔵。神功皇后遺物塚がある。近くの隅田古墳は[[武内宿祢]]の墓ともいわれる。(隅田八幡神社ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』111、『神道史大辞典』「府県社一覧」) [[category:和歌山県]] <gallery> File:Suda-kohun_001.jpg|近くにある武内宿祢墓 隅田伝承地(隅田古墳) </gallery>
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