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霊山官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月27日 (火)

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霊山官修墳墓(りょうぜん・かんしゅうふんぼ)は、京都府京都市東山区の京都霊山護国神社にある官修墳墓霊明神社霊明神社墓地も参照。


目次

一覧

招魂社

総称して霊山招魂社などと呼ばれ、官祭招魂社だった。京都霊山護国神社の前身。1911年(明治44年)『靖国神社誌』記載の「京都愛宕霊山招魂社」8カ所、『もりのしげり』記載の「霊山官祭招魂社 第一社」から「第一〇社」、および「第一四社ノ二」「第一四社ノ三」、『護国之神と招魂祭』記載の「愛宕郡清閑寺村靈山(八ヶ所)」、「招魂社調」記載の霊山山口招魂社、霊山福岡招魂社、霊山鳥取招魂社、霊山高知招魂社、霊山京都府招魂社、霊山熊本招魂社、霊山久留米招魂社、霊山徴兵七番隊招魂社、霊山埜崎大蔵招魂社に該当すると思われる(徴兵七番隊、埜崎大蔵招魂社は招魂碑のみと思われる)。ちなみに鹿児島藩招魂社東福寺即宗院佐土原藩招魂社大雲院にある。

墓・碑

官修墳墓

  • 唱義1号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、74柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義2号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、89柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義3号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、28柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義4号:1870年(明治3年)3月、福岡藩主が設立、7柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義5号:1869年(明治2年)9月、高知藩が設立、27柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義6号:1869年(明治2年)8月、丹羽貫之介が設立、六角獄舎で刑死した4柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義7号:1871年(明治4年)4月改葬、天誅組および生野義挙殉難者37柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義8号:1868年(明治1年)7月、高知藩が設立、3柱(『官修墳墓録』)。坂本龍馬と中岡慎太郎と藤吉。
  • 唱義9号:1863年(文久3年)から1869年(明治2年)にかけて設立、8柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義14号:設立年不詳。3柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義15号:1基(1877年(明治10年)5月)を除いて設立年不詳。5柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義16号:1863年(文久3年)から1877年(明治10年)にかけてと1898年(明治31年)に設立。10柱(『官修墳墓録』)。

官修墳墓(唱義1号)

名前 生没年 所属 死去 死因 靖国 招魂社 官修墳墓 贈位 略歴
1 来島又兵衛 1817-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 光峨嵋山護国神社 正四位 1864年(元治1年)7月19日、蛤御門で戦死。49歳。「官修墳墓録」には「来島又兵衛政久」とある。
2 久坂玄瑞 1840-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 桜山招魂社 正四位 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。26歳。「官修墳墓録」には「久坂義助通武」とある。松門神社祭神。
3 寺島忠三郎 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 朝日山護国神社 正四位 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。22歳。「官修墳墓録」には「寺島忠三郎昌昭」とある。松門神社祭神。
4 入江九一 1837-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 桜山招魂社 正四位 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。27歳。「官修墳墓録」には「入江九一弘毅」とある。松門神社祭神。
5 有吉熊次郎 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 朝日山護国神社 正五位 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。23歳。「官修墳墓録」には「有吉熊次郎良明」とある。
6 船越清蔵 1805-1862 山口藩 1862年(文久2年)8月8日 病死 従四位 1862年(文久2年)8月8日、美祢郡絵堂村で病死。「官修墳墓録」には「船越清蔵守愚」とある。
7 堤松左衛門 1839-1863 熊本藩 1863年(文久3年)3月23日 自刃 1863年(文久3年)3月23日、洛東大日山で自刃。25歳。。本名と変名「南木四郎」の墓碑がそれぞれある。「官修墳墓録」には「南木四郎義次堤松左衛門義次」とある。
8 松浦松洞 1837-1862 山口藩 1862年(文久2年)4月13日 自刃 正五位 1862年(文久2年)4月13日、粟田山で自刃。26歳。「官修墳墓録」には「松浦亀太郎知新」とある。松門神社祭神。
9 松尾甲之進 ?-1863 山口藩 1863年(文久3年)8月20日 病死 桜山招魂社 1863年(文久3年)8月20日、京師で病死。「官修墳墓録」には「松尾甲之進則信」とある。望月亀弥太とは別人物。
10 周田半蔵 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)9月6日 病死 桜山招魂社 1864年(元治1年)9月6日、京師で病死。22歳。「官修墳墓録」には「周田半蔵正順」とある。
11 吉田稔麿 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)6月5日 戦死 桜山招魂社 従四位 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で戦死。24歳。「官修墳墓録」には「吉田稔麿秀実」とある。松門神社祭神。
12 杉山松助 1838-1864 山口藩 1864年(元治1年)6月6日 戦傷死 従四位 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で被傷。6日死去。27歳。「官修墳墓録」には「杉山松助律義」とある。松門神社祭神。
13 野老山吾吉郎 1846-1864 高知藩 1864年(元治1年)6月27日 戦傷死 従五位 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で被傷。同月27日死去。19歳。「官修墳墓録」には「野老山吾吉郎輝朗所山五六郎」とある。所山五六郎。
14 湯川庄蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 光峨嵋山護国神社 1864年(元治1年)7月19日、蛤御門で戦死。「官修墳墓録」には「湯川庄三(蔵)」とある。湯川庄造。
15 弘中与三右衛門 1825-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、伏見桃山で自刃。39歳。「官修墳墓録」には「弘中与惣左衛門恒忠」とある。
16 佐藤市郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月20日 獄死 1864年(元治1年)7月19日、捕縛。同月20日獄死。「官修墳墓録」には「佐藤市郎」とある。
17 佐方熊三郎 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「佐方熊三郎」とある。
18 田中誠助 1830-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。35歳。「官修墳墓録」には「田中誠助」とある。田中誠輔か。
19 和智金槌 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。24歳。「官修墳墓録」には「和智金槌」とある。和智金熊か。
20 山田千吉 1840-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。25歳。「官修墳墓録」には「山田千吉」とある。
21 出羽虎槌 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「出羽虎槌」とある。
22 桂勝三郎 1848-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 防府市護国神社 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。17歳。「官修墳墓録」には「桂勝三郎孝政」とある。
23 高橋与三 1844-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。21歳。「官修墳墓録」には「高橋与三光標」とある。
24 三分利徳三郎 1844-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 桜山招魂社 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。21歳。「官修墳墓録」には「三分利徳三郎重忠」とある。
25 今津宇三郎 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 桜山招魂社 1864年(元治1年)7月19日、藤森で敗れ、大坂桜宮の船中で自刃。20歳。「官修墳墓録」には「今津宇三郎」とある。
26 弘勝之助 1837-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 朝日山護国神社 正五位 1864年(元治1年)7月19日、鷹司邸で自刃。28歳。「官修墳墓録」には「弘勝之助忠貞」とある。松門神社祭神。
27 山田虎之助 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月20日 刑死 桜山招魂社 従五位 1864年(元治1年)7月20日、獄中で刑死。20歳。古手屋耕介「官修墳墓録」には「山田虎之助彪」とある。
28 内山太郎右衛門 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月20日 刑死 桜山招魂社 従五位 1864年(元治1年)7月20日、獄中で刑死。22歳。「官修墳墓録」には「内山太郎右衛門直一」とある。
29 吉岡庄助 1831-1864 山口藩 1864年(元治1年)6月5日 戦死 1864年(元治1年)6月5日、池田屋で戦死。34歳。「官修墳墓録」には「吉岡庄助篤之」とある。
30 有田三郎兵衛 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 刑死 光峨嵋山護国神社 1864年(元治1年)7月19日、捕縛。同月27日、六角獄で刑死。23歳。「官修墳墓録」には「有田三郎兵衛国久」とある。
31 大町国太郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)8月18日 獄死 1864年(元治1年)8月18日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「大町国太郎」とある。
32 野田新太郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「野田新太郎」とある。
33 山根亦七 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「山根亦七」とある。
34 藤村与吉郎 1825-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。40歳。「官修墳墓録」には「藤村与吉郎」とある。
35 佐藤彦兵衛 1834-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。31歳。「官修墳墓録」には「佐藤彦兵衛」とある。
36 堀田音三郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)10月26日 獄死 1864年(元治1年)10月26日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「堀田音三郎」とある。
37 小谷嘉兵衛 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)11月18日 獄死 1865年(慶応1年)11月18日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「小谷嘉兵衛」とある。
38 野原彦之進 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)7月5日 獄死 1865年(慶応1年)7月5日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「野原彦之進」とある。
39 河野理兵衛 1814-1865 山口藩 1865年(慶応1年)12月20日 獄死 1865年(慶応1年)12月20日、六角獄で死去。52歳。「官修墳墓録」には「河野理兵衛通貫」とある。
40 仲子栄太郎 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)6月9日 獄死 1865年(慶応1年)6月9日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「仲子栄太郎」とある。
41 大心 ?-1866 山口藩 1866年(慶応2年)5月12日 獄死 金剛隊。1866年(慶応2年)5月12日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「大心」とある。
42 円暁 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)9月6日 獄死 金剛隊。1865年(慶応1年)9月6日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「円暁」とある。
43 恵定 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)7月16日 獄死 金剛隊。1865年(慶応1年)7月16日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「恵定」とある。
44 安丸 1848-1865 山口藩 1865年(慶応1年)7月27日 獄死 金剛隊。1865年(慶応1年)7月27日、六角獄で死去。18歳。「官修墳墓録」には「安丸」とある。
45 松渓 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)7月27日 獄死 金剛隊。1865年(慶応1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「松渓」とある。
46 幾輔 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)12月22日 死去 1865年(慶応1年)12月22日死去。「官修墳墓録」には「幾輔」とある。
47 吉竹卯吉 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、六角獄で死去。「官修墳墓録」には「吉竹卯吉」とある。
48 引頭与市 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。23歳。「官修墳墓録」には「引頭与市高則」とある。
49 照平 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「照平」とある。
50 吉太郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「吉太郎」とある。
51 市蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「市蔵」とある。
52 岡村仲助 1836-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。29歳。「官修墳墓録」には「岡村仲助」とある。
53 高木元右衛門 1833-1864 熊本藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 正五位 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。32歳。「官修墳墓録」には「高木元右衛門直久」とある。
54 政之輔 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 1864年(元治1年)7月19日、京師で死去。「官修墳墓録」には「政之輔」とある。
55 長尾郁三郎 1837-1864 京都 1864年(元治1年)7月20日 刑死 正五位 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。28歳。「官修墳墓録」には「長尾郁三郎武雄」とある。靖国神社元宮祭神。
56 河村丹斎 生没年不詳 山口藩 「官修墳墓録」には「河村丹斎」とある。
57 横田清兵衛 1834-1864 京都 1864年(元治1年)7月19日 刑死 従五位 1864年(元治1年)7月19日、六角獄で刑死。31歳。「官修墳墓録」には「横田清兵衛順宣」とある。
58 大高忠兵衛 1823-1864 兵庫 1864年(元治1年)7月4日 獄死 従五位 1864年(元治1年)7月4日、獄死。42歳。「官修墳墓録」には「大高忠兵衛」とある。
59 西川耕蔵 1823-1865 志賀 1865年(慶応1年)2月11日 獄死 従五位 1865年(慶応1年)2月11日、獄死。43歳。「官修墳墓録」には「西川耕蔵直純」とある。
60 入江惣兵衛 1823-1864 京都 1864年(元治1年)7月13日 獄死 池田屋の主人。1864年(元治1年)7月13日、獄死。「官修墳墓録」には「池田惣兵衛」とある。
61 山田小右衛門 生没年不詳 山口藩 「官修墳墓録」には「山田小右衛門」とある。
62 宮津三郎兵衛 ?-1864 兵庫 1864年(元治1年)8月13日 獄死 1864年(元治1年)8月13日、獄死。「官修墳墓録」には「宮津三郎兵衛」とある。
63 中野喜八 ?-1866 東京 1866年(慶応2年)3月5日 死去 1866年(慶応2年)3月5日、死去。「官修墳墓録」には「中野喜八」とある。
64 徳蔵 1848-1866 山口藩 1866年(慶応2年)3月2日 死去 1866年(慶応2年)3月2日、死去。19歳。「官修墳墓録」には「徳蔵」とある。
65 玉之石卯吉 1838-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 死去 光峨嵋山護国神社 1864年(元治1年)7月19日、死去。27歳。「官修墳墓録」には「玉之石卯吉」とある。玉之石卯兵衛、玉石卯兵衛とも。
66 幸助 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、獄死。「官修墳墓録」には「幸助」とある。
67 三吉 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)7月16日 獄死 1865年(慶応1年)7月16日、獄死。「官修墳墓録」には「三吉」とある。
68 千代松 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)10月25日 死去 1865年(慶応1年)10月25日、死去。「官修墳墓録」には「千代松」とある。
69 幸吉 ?-1865 山口藩 1865年(慶応1年)2月26日 獄死 1865年(慶応1年)2月26日、獄死。「官修墳墓録」には「幸吉」とある。
70 弥助 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月27日 獄死 1864年(元治1年)7月27日、獄死。「官修墳墓録」には「弥助」とある。
71 先山倫之進 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 富田護国神社 1864年(元治1年)7月19日、戦死。「官修墳墓録」には「先山倫之進正倫」とある。先山倫之丞か。
72 松野頴 1842-1864 徳山藩 1864年(元治1年)11月7日 獄死 1864年(元治1年)11月7日、大坂千日獄で獄死。23歳。「官修墳墓録」には「松野穎信行」とある。
73 福谷林兵衛 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 1864年(元治1年)7月19日、戦死。「官修墳墓録」には「福谷林兵衛好長」とある。
74 山田善次郎 1853-1869 埼玉 1869年(明治2年)9月 死去 大村益次郎の家臣。1869年(明治2年)9月死去。17歳。「官修墳墓録」には「山田善次郎敏忠」とある。

官修墳墓(唱義2号)

  • 『靖国神社忠魂史』[1]
名前 生没年 所属 死去 死因 靖国 招魂社 官修墳墓 贈位 略歴
1 乃木初太郎 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 三田尻招魂社官祭祭神 従五位 大組隊。福原越後に従い参戦。1864年(元治1年)7月19日稲荷街道で戦死。18歳。「官修墳墓録」には「乃木初太郎高知」とある。
2 臼井富之祐 1840-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 桜山招魂社 奇兵隊。福原越後に従い参戦。1864年(元治1年)7月19日負傷して伏見で自刃。25歳。「官修墳墓録」には「臼井留之助胤勝」とある。
3 新見弾蔵 1832-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 維新招魂社官祭祭神 福原越後家臣。1864年(元治1年)7月19日藤森で戦死。33歳。「官修墳墓録」には「新見弾蔵常久」とある。
4 山徳権之允 1833-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 桜山招魂社 奇兵隊。1864年(元治1年)7月19日藤森で戦死。34歳。「官修墳墓録」には「山徳権之丞信篤」とある。
5 改蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 御楯隊。魁蔵。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「改蔵」とある。
6 伊藤敬蔵 1817-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 小郡招魂社官祭祭神 集義隊砲隊長。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。48歳。「官修墳墓録」には「伊藤敬蔵正直」とある。
7 緒方弥左衛門 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。「官修墳墓録」には「緒方弥左衛門直澄」とある。緒方真澄。上善寺首塚に名がある。
8 広峰太郎 1848-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。17歳。「官修墳墓録」には「広峰太郎清風」とある。
9 芥川小七 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日死去。22歳。「官修墳墓録」には「芥川小七高明」とある。
10 村上犬若 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日死去。18歳。「官修墳墓録」には「村上犬若英頼」とある。村上丈若。
11 広中謙蔵 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で戦死。22歳。「官修墳墓録」には「広中謙蔵孝雄」とある。広仲謙造。
12 藤井善九郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦傷死 小郡招魂社官祭祭神 集義隊。1864年(元治1年)7月19日負傷して大坂藩邸で死去。「官修墳墓録」には「藤井善九郎義行」とある。
13 梅本仙之助 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 戦死 小郡招魂社官祭祭神 樫原官修墳墓 集義隊。1864年(元治1年)7月19日樫原で戦死。「官修墳墓録」には「梅本仙之助直政」とある。
14 乙丸善助 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 神職。1864年(元治1年)7月19日死去。22歳。「官修墳墓録」には「乙丸善助信久」とある。
15 金子末松 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。24歳。「官修墳墓録」には「金子末松」とある。
16 松村喜代蔵 1831-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「松村喜代三」とある。
17 藤井健蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「藤井健蔵」とある。
18 石津又兵衛 1831-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「石津又兵衛重俊」とある。
19 秋本金熊 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。20歳。「官修墳墓録」には「秋本金熊義盛」とある。秋本金槌。
20 篠原宗二郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社私祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「篠原宗二郎」とある。忠魂史には「篠原惣二郎」とある。
21 那須唯一 1841-1864 壬生藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 従五位 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「那須唯一正武」とある。忠魂史では山口藩所属扱い。
22 岡崎熊吉 1832-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 遊撃隊。明倫館の経理を務めていた。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。33歳。「官修墳墓録」には「岡崎熊吉」とある。
23 阿座上庄蔵 1846-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。19歳。「官修墳墓録」には「阿座上正蔵正光」とある。阿座上正造。松門神社祭神。
24 堀弥四郎 1846-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 桜山招魂社 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。19歳。「官修墳墓録」には「堀弥四郎敬忠」とある。
25 河野覚太郎 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 荻野隊。1864年(元治1年)7月19日烏丸口で死去。20歳。「官修墳墓録」には「河野覚太郎通泰」とある。
26 勝間田多三郎 1837-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 郷勇隊司令。1864年(元治1年)7月19日下立売烏丸口で死去。28歳。「官修墳墓録」には「勝間田多三郎」とある。
27 南部泰蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日御所内で死去。「官修墳墓録」には「南部泰蔵」とある。南部泰造
28 平田邦彦 1839-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 従五位 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。26歳。「官修墳墓録」には「平田邦彦高邦」とある。平田国彦。
29 波多野敬蔵 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日竹田街道で死去。18歳。「官修墳墓録」には「波多野敬蔵直郷」とある。
30 徳重音之進 1840-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日竹田街道で死去。25歳。「官修墳墓録」には「徳重音之進直義」とある。
31 竹下譲平 1846-1890 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 家老福原越後の家臣。禁門の変の後、行方不明となり、戦死したと思われていたが生存していたらしい。1890年(明治23年)4月19日死去。ただし『忠魂史』でも戦死扱い。1864年(元治1年)7月19日死去。43歳。「官修墳墓録」には「竹下護平讓」とある。
32 弘中市郎 1816-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日死去。49歳。「官修墳墓録」には「弘中市郎信通」とある。
33 国重敬蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「国重敬蔵」とある。
34 西村素兵衛 1838-1864 山口藩 1864年(元治1年)11月17日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)11月17日大坂で死去。27歳。「官修墳墓録」には「西村素兵衛唯謹」とある。
35 藤田哲蔵 1823-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日大坂桜宮の船中で死去。42歳。「官修墳墓録」には「藤田哲蔵通行」とある。
36 西村善次 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)11月17日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)11月17日大坂千日獄で死去。22歳。「官修墳墓録」には「西村善次唯清」とある。
37 藤井佐次右衛門 1823-1864 山口藩 1864年(元治1年)11月17日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)11月17日大坂千日獄で死去。42歳。「官修墳墓録」には「藤井佐次右衛門正則」とある。藤井佐治右衛門。
38 三隅吉平 1833-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「三隅吉平吉直」とある。
39 佐竹直衛 1825-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 国分寺隊隊長。荻野隊。1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。40歳。「官修墳墓録」には「佐竹直衛秀行」とある。
40 岡本一学 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 国分寺隊。1864年(元治1年)7月19日京都御所内で死去。20歳。「官修墳墓録」には「岡本一学光久」とある。国本一学光久か。
41 由川重吉 1815-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 国分寺隊。1864年(元治1年)7月19日死去。50歳。「官修墳墓録」には「由川重吉信重」とある。
42 伊藤道之進 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「伊藤道之進」とある。
43 藤本久左衛門 1840-1864 山口藩 1864年(元治1年)12月15日 獄死 維新招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)12月15日大坂千日獄で死去。25歳。「官修墳墓録」には「藤本久左衛門」とある。忠魂史には「藤本久右衛門」。
44 土田泰蔵 1830-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日藤森で死去。35歳。「官修墳墓録」には「土田泰蔵」とある。
45 土田蔦之助 1838-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 朝日山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。27歳。「官修墳墓録」には「土田蔦之助信教」とある。
46 有川恒槌 1846-1864 長府藩 1864年(元治1年)7月19日 桜山招魂社 正五位 精兵隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。19歳。「官修墳墓録」には「有川恒槌紀綱」とある。
47 田村育蔵 1836-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 三蔭山招魂社官祭祭神 従五位 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。29歳。「官修墳墓録」には「田村郁藏直道」とある。上善寺首塚に名がある。
48 澄川謙蔵 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 三蔭山招魂社官祭祭神 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。23歳。「官修墳墓録」には「澄川謙蔵正義」とある。
49 中尾易三郎 1833-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 三蔭山招魂社官祭祭神 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「中尾易三郎宣足」とある。
50 中村惣治 1832-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 三蔭山招魂社官祭祭神 家老益田親施の家臣。1864年(元治1年)7月19日死去。33歳。「官修墳墓録」には「中村惣治藤信」とある。忠魂史には「中村総治藤信」。
51 中村伝右衛門 ?-1865 山口 1865年(慶応1年)5月23日 1865年(慶応1年)5月23日死去。「官修墳墓録」には「中村伝右衛門」とある。
52 河野軍治 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 家老国司信濃の家臣。1864年(元治1年)7月19日烏丸邸前で死去。20歳。「官修墳墓録」には「河野軍治義清」とある。忠魂史では「阿野軍治」。
53 篠原秀太郎 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 家老国司信濃の家臣。1864年(元治1年)7月19日醍醐邸前で死去。18歳。「官修墳墓録」には「篠原秀太郎忠孝」とある。
54 蔵田静雄 1835-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。30歳。「官修墳墓録」には「蔵田静雄恒明」とある。藤田静雄?
55 市川守雄 1829-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。36歳。「官修墳墓録」には「市川守雄正直」とある。
56 佐々木半四郎 1829-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。36歳。「官修墳墓録」には「佐々木半四郎尊友」とある。
57 松田清左衛門 1831-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。34歳。「官修墳墓録」には「松田清左衛門久之」とある。
58 柴尾盛衛 1824-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。41歳。「官修墳墓録」には「柴尾盛衛光政」とある。柴尾森雄?
59 三隅竜雄 1833-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。32歳。「官修墳墓録」には「三隅竜雄登久」とある。
60 河内柳太郎 1842-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日死去。23歳。「官修墳墓録」には「河内柳太郎誠友」とある。
61 蔵重源三郎 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日新町上長者町上ルで死去。24歳。「官修墳墓録」には「蔵重源三郎兼次」とある。蔵重源三。倉重源三。
62 来原植松 1846-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。19歳。「官修墳墓録」には「来原植松高茂」とある。忠魂史には「来島植松高茂」とある。
63 阿武鞆輔 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 朝日山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。「官修墳墓録」には「阿武鞆輔幸胤」とある。
64 兵千代 1844-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日新町中長者町上ルで死去。21歳。「官修墳墓録」には「兵千代」とある。
65 作次郎 1827-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。38歳。「官修墳墓録」には「作次郎」とある。
66 作蔵 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 万倉招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。18歳。「官修墳墓録」には「作蔵」とある。
67 酒井金三郎 ?-1866 長府藩 1866年(慶応2年)12月21日 1866年(慶応2年)12月21日死去。「官修墳墓録」には「酒井金三郎」とある。忠魂史では1864年(元治1年)6月5日に暗殺とある。
68 野村勝太郎 1830-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 児玉親恒従者。1864年(元治1年)7月19日山崎で死去。35歳。「官修墳墓録」には「野村勝太郎正文」とある。
69 町田岩熊 1845-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 荻野隊。1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。20歳。「官修墳墓録」には「町田岩熊漂賢」とある。
70 高橋岩蔵 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。「官修墳墓録」には「高橋岩蔵」とある。高橋岩之允か
71 河野熊太郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「河野熊太郎」とある。
72 中原太三郎 1835-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 峨嵋山招魂社官祭祭神 国司信濃に従う。1864年(元治1年)7月19日中立売門で自刃。30歳。「官修墳墓録」には「中原太三郎義行」とある。
73 長蔵寺今雄 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 金剛隊隊長。臨済宗長蔵寺(山口県萩市)の僧侶。1864年(元治1年)7月19日御所内で死去。「官修墳墓録」には「長蔵寺今雄」とある。令雄。僧侶の殉難者は、山口県の地元の招魂社には祀られない傾向にあったようだ。
74 小林市右衛門 1827-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日室町上長者町で自決。38歳。「官修墳墓録」には「小林市右衛門織光」とある。小林市五右衛門?小林屋市右衛門
75 野村喜代熊 1837-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。28歳。「官修墳墓録」には「野村喜代熊道郷」とある。忠魂史には「野村屋喜代熊」。
76 藤田万槌 1839-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。26歳。「官修墳墓録」には「藤田万槌秀時」とある。藤山屋万槌、藤山万槌
77 増山乙松 1849-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。16歳。「官修墳墓録」には「増山乙松義之」とある。増山乙造。忠魂史には「増山屋音松義之」。
78 西宝寺皆道 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 金剛隊。浄土真宗西宝寺(山口県宇部市)の僧侶。等心と同一人物か[2]。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「西宝寺皆道」とある。
79 荒瀬千代熊 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「荒瀬千代熊」とある。
80 大元房蔵 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日醍醐邸で死去。24歳。「官修墳墓録」には「大元房蔵吉政」とある。大元房吉。大元屋房蔵吉政。
81 岩城国三郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。「官修墳墓録」には「巌城国三郎」とある。
82 岩野虎太郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「岩野虎太郎」とある。
83 大玉亀之進 1843-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日醍醐邸で死去。22歳。「官修墳墓録」には「大玉亀之進当貴」とある。大玉亀之助。
84 前田弥四郎 1847-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日死去。18歳。「官修墳墓録」には「前田弥四郎」とある。忠魂史には「前田屋弥四郎」。
85 西原吉之助 1846-1864 山口 1864年(元治1年)7月19日 1864年(元治1年)7月19日死去。19歳。「官修墳墓録」には「西原吉之助」とある。西村吉之進か。
86 渓月院得舟 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 金剛隊。曹洞宗渓月院(山口県光市)の僧侶。1864年(元治1年)7月19日死去。「官修墳墓録」には「渓月院得舟」とある。
87 難波金槌 1846-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。19歳。「官修墳墓録」には「難波金槌好勝」とある。難波金助。
88 村田義作 1838-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。27歳。「官修墳墓録」には「邨田義作」とある。
89 須子小五郎 1846-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 峨嵋山招魂社官祭祭神 阿倍野官修墳墓 1864年(元治1年)7月19日中立売で死去。19歳。「官修墳墓録」には「須子小五郎孝尚」とある。

官修墳墓(唱義3号)

名前 生没年 所属 死去 死因 靖国 招魂社 官修墳墓 贈位 略歴
1 田岡俊三郎 1829-1864 小松藩 1864年(元治1年)7月19日 従五位 伊予小松藩士。生野の変に参加。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。36歳。「官修墳墓録」には「田岡俊三郎久恒」とある。
2 上岡胆治 1823-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 医師。土佐勤王党。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。43歳。天忠神社祭神。「官修墳墓録」には「上岡膽治正敏」とある。
3 半田門吉 1834-1864 久留米藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 天誅組に参加。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。31歳。「大和戦争日記」を残す。「官修墳墓録」には「半田紋吉成久」とある。
4 伊藤甲之助 1844-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。土佐勤王党。七卿落ちに随行。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。21歳。「官修墳墓録」には「伊藤甲之助和義」とある。
5 那須俊平 1807-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 郷士。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。58歳。変名は檮山源八郎。「官修墳墓録」には「那須俊平重任」とある。
6 尾崎幸之進 1840-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日京都御所花畠で死去。25歳。「官修墳墓録」には「尾崎幸之進基之」とある。
7 柳井健次 1842-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。土佐勤王党。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。23歳。「官修墳墓録」には「柳井健次友政」とある。
8 原道太 1838-1864 久留米藩 1864年(元治1年)7月19日 従四位 藩士。真木和泉に師事。七卿落ちに随行。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。27歳。「官修墳墓録」には「原道太盾雄」とある。
9 中村恒次郎 1841-1864 福岡藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。三条実美に仕える。変名は野口逸麿。1864年(元治1年)7月19日中立売門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「中村恒次郎無可」とある。
10 中平竜之助 1842-1864 高知藩 1864年(元治1年)7月19日 自刃 正五位 忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で自刃。22歳。「官修墳墓録」には「中平竜之助定碓」とある。
11 内田弥三郎 1841-1864 熊本藩 1864年(元治1年)7月19日 従五位 医師の子。鹿児島藩の尊攘志士と行動をともにしようと上京。山口藩方に加わる。1864年(元治1年)7月19日蛤御門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「内田弥三郎秀行」とある。
12 青木与三郎 1836-1864 厳原藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。厳原藩領の肥前国養父郡に住む。脱藩して山口藩へ。1864年(元治1年)7月19日死去。29歳。「官修墳墓録」には「青木与三郎良香」とある。
13 津田愛之助 1847-1864 厳原藩 1864年(元治1年)7月19日 従五位 藩士。肥前国基肄郡出身。忠勇隊。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。18歳。「官修墳墓録」には「津田愛之助政信」とある。
14 安藤鉄馬 1843-1864 岡山 1864年(元治1年)7月19日 正五位 1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。22歳。「官修墳墓録」には「安藤鉄馬貞啓(安藤誠之助)」とある。
15 小橋友之輔 1846-1864 高松藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 藩士。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。19歳。「官修墳墓録」には「小橋友之助以義」とある。
16 若杉直綱 1843-1864 大分 1864年(元治1年)7月19日 従五位 豊後出身。堺で医師を開業。尊攘志士と交わり山口藩へ。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸で死去。32歳。「官修墳墓録」には「若杉弘之進直綱」とある。
17 粟屋良之助 1841-1864 膳所藩 1864年(元治1年)7月19日 膳所招魂社 正五位 藩士。山口藩の儒学者岡村簣斎に師事。1864年(元治1年)7月19日堺町門で死去。24歳。「官修墳墓録」には「粟屋良之助達道」とある。
18 武林八郎 1839-1864 大阪 1864年(元治1年)7月19日 従五位 河内出身。天誅組に参加し捕縛。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。26歳。「官修墳墓録」には「武林八郎章広」とある。
19 川島武二郎 ?-1864 山口藩 1864年(元治1年)7月19日 長谷川鉄之進の従者。長谷川鉄之進は越後出身で忠勇隊に参加した。1864年(元治1年)7月19日鷹司邸前で死去。「官修墳墓録」には「川島武二郎直吉」とある。
20 伊藤香刀 ?-1864 1864年(元治1年)6月5日 1864年(元治1年)6月5日死去。「官修墳墓録」には「伊藤香刀(力)」とある。伊藤香力。
21 北添佶磨 1835-1864 高知藩 1864年(元治1年)6月5日 従四位 庄屋。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。30歳。変名は本山七郎。「官修墳墓録」には「北添佶摩正佶(本山七郎」とある。
22 広岡浪秀 1841-1864 山口藩 1864年(元治1年)6月5日 従五位 大嶺八幡宮(山口県美祢市)の神職。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。24歳。変名は広分彦也。「官修墳墓録」には「広岡浪秀正恭」とある。
23 大高又次郎 1821-1864 林田藩 1864年(元治1年)6月5日 正五位 藩士。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。44歳。「官修墳墓録」には「大高又次郎重秋」とある。
24 古高俊太郎 1829-1864 近江 1864年(元治1年)7月19日 刑死 正五位 毘沙門堂門跡従者。捕縛され池田屋事件の発端となる。1864年(元治1年)7月19日獄中で刑死。36歳。「官修墳墓録」には「古高俊太郎正順」とある。
25 駒井躋庵 1810-1866 金沢藩 1866年(慶応2年)8月9日 獄死 正五位 金沢藩医。藩内の勤王派弾圧で捕縛。1866年(慶応2年)8月9日獄中で死去。57歳。「官修墳墓録」には「駒井躋庵」とある。
26 川瀬太宰 1819-1866 膳所藩 1866年(慶応2年)6月7日 刑死 従四位 聖護院宮家臣。膳所家老戸田資能の子。尊王志士を匿った。1866年(慶応2年)6月7日六角獄で刑死。48歳。「官修墳墓録」には「川瀬太宰定」とある。
27 川瀬幸 1817-1865 滋賀 1865年(慶応1年)6月24日 正五位 川瀬太宰の妻。川瀬太宰の処刑と共に自刃。1865年(慶応1年)6月24日死去。49歳。「官修墳墓録」には「太宰妻幸」とある。
28 福岡祐次郎 ?-1864 愛媛 1864年(元治1年)6月5日 経歴不詳。1864年(元治1年)6月5日池田屋で死去。「官修墳墓録」には「福岡祐次郎」とある。

官修墳墓(唱義4号)

名前 生没年 所属 死去 死因 靖国 招魂社 官修墳墓 贈位 略歴
1 平野国臣 1828-1864 福岡藩 1864年(元治1年)7月20日 刑死 正四位 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。平野神社祭神。「官修墳墓録」には「平野次郎国臣」とある。
2 松田五六郎 1827-1864 福岡藩 1864年(元治1年)7月21日 自害 天王山官修墳墓 従五位 1864年(元治1年)7月21日、天王山で自刃。「官修墳墓録」には「中原出羽守安定(松田五六郎)」とある。
3 吉田重蔵 1831-1864 福岡藩 1864年(元治1年)7月20日 刑死 従五位 1864年(元治1年)7月20日、六角獄で刑死。「官修墳墓録」には「吉田重蔵良秀」とある。
4 戸原卯橘 1835-1863 秋月藩 1863年(文久3年)10月14日 自害 山口招魂社 従四位 生野の変に参加。1863年(文久3年)10月14日、山口村妙見山で自刃。「官修墳墓録」には「戸原卯橘継明」とある。
5 仙田市郎 1821-1864 福岡藩 1865年(慶応1年)8月 自害 従五位 1865年(慶応1年)8月、大坂獄で自害。「官修墳墓録」には「仙田一(市)郎正敏」とある。
6 海賀宮門 1834-1862 秋月藩 1862年(文久2年)5月7日 殺害 正五位 1862年(文久2年)5月7日、日向細島で死去。「官修墳墓録」には「海賀宮門直求」とある。
7 中村恒次郎 1841-1864 福岡藩 1864年(元治1年)7月19日 正五位 唱義3号9を参照


「筑前招魂場之図」[3]

官修墳墓(唱義5号)

西南の飛び地にあったが、戦後改葬。 (『官修墳墓録』)

  • 天誅組:吉村寅太郎重郷:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。『隠玖菟岐集』[4]
  • 天誅組:那須信吾重民:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:楠目清馬藤盛:1863年(文久3年)9月28日、多武峰で戦死。
  • 天誅組:森下幾馬茂時:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で自刃。
  • 天誅組:土居佐之助金英:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:森下儀之助茂忠:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 池田屋:石川潤次郎真義:高知藩。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日、池田屋事件で新選組に殺害された。
  • 天誅組:鍋島米之助義復:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:池内蔵太定勝:高知藩郷士。土佐勤王党。天誅組に参加し、大阪山口藩邸に逃げ切る。禁門の変に参戦。坂本龍馬の亀山社中に加わり1866年(慶応2年)5月2日、塩屋沖で事故死。
  • 天誅組:田所騰次郎重道:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:嶋浪間義親:高知藩士。天誅組に参加。中山忠光と共に山口藩に逃げ切る。1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。島浪間。
  • 天誅組:安岡斧太郎直行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:安岡嘉助正定:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:沢村幸吉行敏:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:前田繁馬正種:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
  • 天誅組:島村省吾正文:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:松本謙三郎□衡:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:宍戸弥四郎昌明:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:中垣健太郎幸雄:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:荒巻羊三郎真刀:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:江頭種八国足:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:酒井伝次郎重威:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天狗党:池尻嶽五郎岳:久留米藩士。天狗党の乱に参加。1864年(元治1年)11月20日、信濃国和田峠で殺害された。
  • 天誅組:鶴田陶司道徳:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:伴林六郎光平:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:井原応輔徳道:高知藩。土佐勤王党。天誅組には参加していないが、島浪間の配下となり1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
  • 牧岡二郎忠夫:枚岡(平岡)の誤記か。北畠治房(平岡武夫)の親族か。戊辰戦争に従軍。1868年(明治1年)12月17日死去。

官修墳墓(唱義6号)

  • 丹羽正雄:
  • 河村季興:
  • 川勝寛治:
  • 吉川菊次:

官修墳墓(唱義7号)

現在は合葬碑。 (『官修墳墓録』)

  • 天誅組:安積五郎武貞:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:岡見留次郎経成:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:渋谷伊予作実行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:尾崎太郎孝基:鳥取藩士。尾崎健蔵。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:尾崎鋳五郎靖:島原藩士。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:岡見鉄蔵:高取藩士。1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で死去。安田鉄造、山下佐吉。安田鉄吉。
  • 天誅組:尾仲要蔵:1863年(文久3年)9月23日、葛川村北手で死去。
  • 天誅組:林兵次郎:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口の戦いで戦死。
  • 天誅組:関為之助:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
  • 天誅組:和田左市信勝:1863年(文久3年)9月21日、十津川郷上湯川で死去。
  • 天誅組:深瀬繁理維正:十津川郷士。1863年(文久3年)9月25日、白川河原で処刑。
  • 天誅組:秦将蔵則久:1863年(文久3年)9月29日、長谷寺付近で死去。
  • 天誅組:山本実之助:高野山三宝院の役人。1863年(文久3年)9月、天誅組の挙兵に関わったとして捕縛され、京都に護送の途中に死去。沢田実之助。
  • 天誅組:古東領左衛門需:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:乾十郎嗣龍:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 英彦山:厳瑤坊亮親(佐竹織江):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
  • 英彦山:教観坊成連(藤山衛門):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
  • 天誅組:水郡善之助長雄:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:長野一郎寛道:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:保母健景光:1864年(元治1年)7月21日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:船田彦次郎貞光:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:辻郁之助単茂:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:田中樟之助祐信:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:森本伝兵衛勝定:1864年(元治1年)7月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:橋本若狭綱幸:1864年(元治1年)7月7日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:伊沢宜庵卓:医師。1865年(慶応1年)7月18日、六角獄舎で死去(28日とも)。
  • 生野義挙:横田友次郎靖之:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 生野義挙:大村辰之助包房:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 生野義挙:伊藤龍太郎祐之:水戸藩弘道館教授。1867年(慶応3年)11月18日、六角獄舎で死去。
  • 生野義挙:黒田与市郎重清:大庄屋。1866年(慶応2年)12月19日、獄中で死去。黒田与一郎。山口護国神社祭神。美国神社祭神。
  • 生野義挙:三牧謙助秀胤:1865年(慶応1年)1月、六角獄舎で死去。
  • 生野義挙:木村愛之助(片山九市春量):1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:鶴松:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:常助:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 元次郎:1863年(文久3年)8月18日死去。
  • 忠右衛門:1863年(文久3年)8月18日死去。
  • 朝七:没年月日不詳。

官修墳墓(唱義8号)

  • 坂本龍馬:
  • 中岡慎太郎:
  • 藤吉:

「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」

官修墳墓(唱義9号)

  • 江幡定彦広光
  • 林忠五郎正義
  • 安田喜助安臣
  • 村井修理少進政礼
  • 藤井但馬守尚弼
  • 小林民部権大輔良典
  • 黒瀬市郎助美之
  • 宮地宜蔵正覚

官修墳墓(唱義14号)

  • 豊田美稲:1891年(明治24年)11月5日靖国神社合祀[5]
  • 安藤正勝:
  • 中井義高:

官修墳墓(唱義15号)

  • 藤崎楯彦:
  • 宮永正純:
  • 若泉主税:
  • 松田発明:
  • 露木成親:

官修墳墓(唱義16号)

  • 生野義挙:大田六右衛門雅義:1865年(慶応1年)4月24日、獄中で死去。太田六右衛門。
  • その他:胤康:日向慈眼寺住職。曹洞宗僧侶。1866年(慶応2年)5月17日、京都の獄中で死去。
  • 天誅組:藤本津之助真金:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。藤本鉄石。黒住教と関係。
  • 天誅組:福浦元吉:洲本の商人。1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • その他:安達幸之助寛栗:金沢藩士。藩校壮猶館教授。1869年(明治2年)9月4日、三条木屋町で大村益次郎の身代わりで殺害された。
  • 生野義挙:本多小太郎素行:膳所藩士。失態で士籍を失い、明暗寺虚無僧となる。1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で死去。
  • その他:仙石佐多雄隆明:鳥取新田藩士。1863年(文久3年)2月27日、足利木像事件で戦死。
  • その他:高松平十郎信行:信濃出身。剣客。1863年(文久3年)2月27日、足利木像事件で戦死。
  • その他:玄堂:明暗寺33世。虚無僧。1866年(慶応2年)11月1日、大阪で斬首。
  • 天狗党:大越伊予介:水戸藩の神職。天狗党に参加。1863年(文久3年)7月10日死去。

未分類

  • 霊山表忠碑
  • 木戸孝允碑
  • 木戸孝允墓
  • 梅田雲浜墓
  • 丗七烈士碑
  • ラダ・ビノード・パール顕彰碑
  • 大村益次郎墓
  • 山口藩墓所
  • 玉松碑
  • 小野碑
  • 松林廉之助碑
  • 品川弥二郎墓
  • 元治元年甲子七月十九日戦死者埋骨所
  • 村上都愷墓:霊明神社を創建。
  • 殉職自衛隊員之碑
  • 殉国勇士表忠碑
  • 十津川郷士墓:『隠玖菟岐集』[6]
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