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霧島神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
霧島神宮
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{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''霧島神宮'''<br>きりしま じんぐう |- |style="text-align:center;" colspan="2"|[[ファイル:Kirishima-jingu 010.jpg|350px]] |- |style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要 |天孫降臨の地に鎮座する神社。 |- |style="background-color:#ededed"|奉斎 |天饒石国饒石天津日高彦火瓊々杵尊<br>(土岐昌訓論文) |- |style="background-color:#ededed"|所在地 |鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 |- |style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡) |日向国諸県郡 |- |style="background-color:#ededed"|所属(現在) |[[神社本庁]] |- |style="background-color:#ededed"|格式など |[[官社|式内社]]・[[官幣大社]]・[[別表神社]] |- |style="background-color:#ededed"|関連記事 |[[神代三代旧跡]]・[[古事記神話伝承地]] <!-- |- |style="text-align:center;" colspan="2"| <googlemap version="0.9" lat="35.007626" lon="135.768142" type="map" zoom="16" width="350" height="300" controls="large"> http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&vps=1&jsv=327b&brcurrent=h3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244&msa=0&output=nl&msid=208806612508013451037.0004c2169adf4c6a43301 </googlemap> --> |} [[category:個別記事]] [[category:鹿児島県]] ==概要== '''霧島神宮'''(きりしま・じんぐう)は、鹿児島県霧島市の[[霧島山]]にある、[[瓊瓊杵命]]を祀る神社。[[天孫降臨]]の地とされる。[[霧島六社権現]]の筆頭。[[性空旧跡]]。[[官社|式内社]]・[[官幣大社]]・[[別表神社]]。山中に[[天孫降臨神籬斎場]]がある。瓊瓊杵命の陵墓の[[可愛山陵]]は、西54kmにある薩摩川内市の[[新田神社]]にある。 <!-- ==奉斎== ==由緒== --> ==歴史== *欽明天皇代:慶胤が社殿と華林寺を創建 *788年(延暦7年)3月4日:「大隅国曽於郡曽乃峰」が噴火。 *837年(承和4年)8月1日:日向国諸県郡の「霧嶋岑神」が官社となる。(続日本後紀) *858年(天安2年)10月22日:日向国霧島神に従五位上から従四位下。(三代実録) *天暦年間:性空、瀬多尾越(現在の古宮の地)に社殿と華林寺を造営。以後、天台宗。 *1178年(治承2年):藤原成経、平康頼、俊寛が参詣 *1234年(文暦1年)12月28日:噴火で焼失。東の長尾山に社殿を復興し、東霧島神社と称する *1484年(文明16年):島津忠昌、社を東西に分け、東社を瀬戸尾に遷座(現在の霧島東神社)、西社が現在の霧島神宮となる。兼慶に命じて造営。以後、真言宗。 *1615年(元和1年):この時点で1806石。 *1705年(宝永2年):火災で焼失。 *1715年(正徳5年):藩主島津吉貴、現在の社殿を造営。 *1866年(慶応2年)9月:鹿児島藩、神仏分離を命じる。 *1874年(明治7年)2月15日:霧島神宮と改称。官幣大社となる。 *1874年(明治7年)6月15日:勅使 *1877年(明治10年)3月11日:野上神社・霧島岑神社・東霧島神社・霧島東神社の4社、霧島神宮摂社となる。1880年(明治13年)とも。 *1935年(昭和10年)11月16日:昭和天皇参拝 *1940年(昭和15年):古宮を整備。 ==境内== *本社: *勅使殿: *門守神社:末社。 *門守神社:末社。 *税所神社:末社。 *野上神社:鹿児島県霧島市霧島田口。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。村社。 *斎田: *[[天孫降臨神籬斎場]]:古宮跡 *背門丘元宮: *[[性空墓]]: *兼慶墓: *鎮守神社:末社。 *若宮神社:末社。 *山神社 *亀石 *風穴 *神楽殿 *[[霧島岑神社]]:宮崎県小林市細野。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。1873年(明治6年)、県社。現在は独立神社とみられる。 *[[東霧島神社]]:宮崎県都城市高崎町。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。1935年(昭和10年)10月、県社に昇格。現在は独立神社とみられる。 *[[霧島東神社]]:宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。明治13年、霧島神宮摂社兼郷社。1934年(昭和9年)9月、県社に昇格。現在は独立神社とみられる。 *[[薩摩・華林寺]]:廃絶。 *本地堂:廃絶。 *持仏堂:不動明王・愛染明王 *歴代住職墓地 *仁王門:廃絶 *多宝塔:廃絶 *護摩堂:廃絶 *不動明王石像:廃絶 *十一面観音堂:廃絶 *鎮守堂:廃絶 *曼荼羅堂:廃絶 *天子神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。 *七社神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。 *飯富神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。 ==組織== ===大宮司・宮司=== {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|歴代 !style="width:10%;"|名 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:40%;"|略歴 |- |1 |田尻務 |1829-1884 |1874-1877 |日置[[島津家]]当主の島津久風の子。1829年(文政12年)生。1874年(明治7年)12月5日、霧島神宮大宮司兼少教正。1875年(明治8年)2月24日、正七位。1877年(明治10年)6月11日、官職位記を剥奪。西南戦争で[[西郷隆盛]]軍を支援したためという。1884年(明治17年)4月24日死去。田尻種賢。 |- |2 |福崎季連 |1833-1910 |1877-1898 |鹿児島藩士。1833年(天保4年)生。川上久美の子。福崎季修の養子。[[国学者]]後醍院真柱に師事。1872年(明治5年)琉球在番奉行。外務省九等出仕。1877年(明治10年)9月6日、霧島神宮大宮司(のち宮司)。1898年(明治31年)9月18日退任。。1893年(明治26年)従六位。1900年(明治33年)11月30日、[[大和神社]]宮司。1901年(明治34年)10月31日から1908年(明治41年)まで[[白峰宮]]宮司。1910年(明治43年)6月1日死去。著書『朝風舍歌集』。 |- |3 |税所篤 |1827-1910 |1898-1900 |[[子爵]]。鹿児島藩出身の内務官僚。1827年(文政10年)生。大阪府判事、河内県知事、堺県知事、奈良県知事を歴任。1887年(明治20年)5月、華族。1890年(明治23年)6月、宮中顧問官。1898年(明治31年)9月18日から1900年(明治33年)5月30日まで霧島神宮宮司。1910年(明治43年)6月21日死去。 |- |1 |税所篤人 |1836-1910 |1900-1910 |岡山藩士。1836年(天保7年)生。1900年(明治33年)5月30日、霧島神宮宮司。1910年(明治43年)2月22日死去。税所信篤。元太郎。 |- | |大久保利貞 |1846-1918 |1910-1918 |鹿児島藩出身の陸軍中将。1846年(弘化3年)生。大久保利通のいとこ。1876年(明治9年)海軍中尉。1877年(明治10年)陸軍大尉。日清戦争では歩兵第5旅団長、第2師団参謀長を務めた。日露戦争では陸軍少将となった。1905年(明治38年)陸軍中将。1910年(明治43年)4月11日、霧島神宮宮司。1918年(大正7年)9月30日、在職で死去。73歳。正四位。 |- | |河野主一郎 |1846-1922 |1918-1922? |鹿児島藩士。1846年(弘化3年)生。西南戦争で西郷隆盛軍に参加し、捕らえられる。出獄後、民権運動に加わる。のち内務省に入り、1897年(明治30年)11月13日から1899年(明治32年)1月21日まで青森県知事。1918年(大正7年)12月18日、霧島神宮宮司。1922年(大正11年)2月12日死去。77歳。 |- | |能勢靖一 |1861-? |1922-1932 |鹿児島藩出身。1861年(文久1年)生。1906年(明治39年)11月24日、台北庁警視。1911年(明治44年)10月28日から1916年(大正5年)11月13日まで台東庁長。1922年(大正11年)5月12日から1932年(昭和7年)まで霧島神宮宮司。没年不詳。 |- | |占部真一 |1884-1969 |1932-1935 |福岡県出身。[[国学院大学]]卒。[[八代宮]]宮司、[[照国神社]]宮司、[[丹生都比売神社]]宮司を経て1932年(昭和7年)8月23日、霧島神宮宮司。1935年(昭和10年)8月6日、[[伊弉諾神社]]宮司。(経歴は[[照国神社#組織]]を参照) |- | |早山茂 |1886-1936 |1935-1936 |[[箱根神社]]宮司、伊弉諾神社宮司を経て1935年(昭和10年)8月6日、霧島神宮宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/2959058/1/2]。1936年(昭和11年)5月21日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/1489387/1/52]。(経歴は[[伊弉諾神宮#組織]]を参照) |- | |阪本作之助 |1881-1946 |1936-1946 |熊本県菊池郡大津町の出身。1881年(明治14年)生。大津町日吉神社の坂本経長の次男。正院厳島神社の阪本武の婿養子。1898年(明治31年)小学校教諭。1904年(明治37年)社司社掌試験合格。1907年(明治40年)正院厳島神社社掌。1909年(明治42年)二等司業。1910年(明治43年)9月2日、[[菊池神社]]主典。1917年(大正6年)5月2日、菊池神社禰宜。1924年(大正13年)3月15日、[[貫前神社]]宮司。1931年(昭和6年)3月31日、[[白山比咩神社]]宮司。1936年(昭和11年)6月17日、霧島神宮宮司。1946年(昭和21年)1月18日退任。同年死去。 |- | |佐伯芳彦 |1895-1970 |1946-1950 |北海道神社庁長。奈良県神社庁長。山口県の[[防府天満宮]]の社家の出身。[[皇典講究所]]神職養成部教習科卒。内務省[[神社局]]勤務。[[赤間宮]]宮司、[[豊栄神社]]・[[野田神社]]宮司、[[三島神社]]宮司を経て1946年(昭和21年)2月から1950年(昭和25年)9月14日まで霧島神宮宮司。その後、[[函館八幡宮]]宮司、[[北海道神宮]]宮司、[[橿原神宮]]宮司などを務めた。(略歴は[[北海道神宮#組織]]を参照) |- | |後藤幸平 |1899-1966 |1954-1966 |兵庫県神社庁長。愛知県出身。国学院大学卒。[[貫前神社]]宮司、[[佐嘉神社]]宮司、[[鹿児島神宮]]宮司、[[湊川神社]]宮司、[[鵜戸神宮]]宮司を経て1954年(昭和29年)8月11日、霧島神宮宮司。1966年(昭和41年)5月29日、在職で死去。76歳。(略歴は[[鹿児島神宮#組織]]を参照) |- | |小久保光雄 |1908-1991 |1966-1991 |愛知県出身。1908年(明治41年)生。国学院大学高等師範部卒。1939年(昭和14年)[[赤間宮]]主典。1940年(昭和15年)[[田島神社]]禰宜。1942年(昭和17年)[[鹿児島神宮]]禰宜。1953年(昭和28年)鹿児島神宮権宮司。1958年(昭和33年)、鹿児島神宮宮司。1964年(昭和39年)鹿児島県神社庁長。1966年(昭和41年)9月1日、霧島神宮宮司。1970年(昭和45年)鹿児島県神社庁長。1983年(昭和58年)6月9日から1989年(平成1年)6月1日まで[[枚聞神社]]宮司を兼務。1983年(昭和58年)鹿児島県神社庁長再任。1986年(昭和61年)[[神社本庁]]長老。1991年(平成3年)10月31日退任。同年11月20日死去。 |- | |浄見守 |1916-1991 |1991-1991 |福岡県出身。1916年(大正5年)生。1950年(昭和25年)から1979年(昭和54年)まで[[風浪宮]]宮司。1982年(昭和57年)、霧島神宮権宮司。1991年(平成3年)11月、霧島神宮宮司。1991年(平成3年)12月23日死去。75歳。阿曇守。 |- | |足立明 |1933-1993 |1992-1993 |鹿児島県神社庁長。京都府出身。国学院大学卒。1984年(昭和59年)照国神社宮司。1992年(平成4年)3月31日、霧島神宮宮司を兼務。1993年(平成5年)6月5日死去。(略歴は[[照国神社#組織]]を参照) |- | |高橋弘平 |1933- |1994-2014 |岩手県北上市出身。1933年(昭和8年)生。1957年(昭和32年)国学院大学宗教学科卒。[[寒川神社]]、岩手諏訪神社、[[常磐神社]]、岩手白髭神社に奉職。1976年(昭和51年)[[志波彦神社]]・[[塩竈神社]]禰宜。1982年(昭和57年)3月31日、志波彦神社・塩竈神社権宮司。1984年(昭和59年)8月、北海道神社庁参事。1993年(平成5年)3月20日、霧島神宮権宮司。1994年(平成6年)8月1日から2014年(平成26年)9月30日まで霧島神宮宮司。 |- | |慶光院利致 |1947- |2014- |1947年(昭和22年)生。1970年(昭和45年)国学院大学卒。[[明治神宮]]に奉職し、1999年(平成11年)明治神宮禰宜。2002年(平成14年)[[伊勢神宮]]権禰宜。2005年(平成17年)伊勢神宮禰宜。2008年(平成20年)神宮司庁総務部長。2014年(平成26年)10月1日、霧島神宮宮司。 |} ===少宮司・権宮司=== *村山松根(1822-1882)<1874-1875>:[[薩摩・大穴持神社]]祠官。樺山資満の三男。1869年(明治2年)[[鹿児島神社]]祠官。1874年(明治7年)2月22日、霧島神宮少宮司。1875年(明治8年)[[宮内省]]出仕。 *本田穂積(生没年不詳)<>:[[新田神社]]宮司。 *緒方万()<1950-1981>:[[忌宮神社]]宮司。1950年(昭和25年)6月12日、霧島神宮権宮司。1981年(昭和56年)3月19日まで。 *浄見守(1916-1991)<1982-1991>:1982年(昭和57年)、霧島神宮権宮司。1991年(平成3年)11月、霧島神宮宮司。 *高橋弘平(1933-)<1993-1994>:1993年(平成5年)3月20日、霧島神宮権宮司。1994年(平成6年)8月1日、霧島神宮宮司。 *谷川清人()<>: ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:kirishima-jingu_001.jpg| file:kirishima-jingu_002.jpg| file:kirishima-jingu_003.jpg| file:kirishima-jingu_004.jpg| file:kirishima-jingu_005.jpg| file:kirishima-jingu_006.jpg| file:kirishima-jingu_007.jpg| file:kirishima-jingu_008.jpg| file:kirishima-jingu_009.jpg| file:kirishima-jingu_010.jpg| file:kirishima-jingu_011.jpg| file:kirishima-jingu_012.jpg| file:kirishima-jingu_013.jpg| file:霧島神宮・A参道001.jpg| file:霧島神宮・A参道002.jpg| file:霧島神宮・A参道003.jpg| file:霧島神宮・A参道004.jpg| file:霧島神宮・A参道005.jpg| file:霧島神宮・A参道006.jpg| file:霧島神宮・A参道007.jpg| file:霧島神宮・A参道008.jpg| file:霧島神宮・A参道009.jpg| file:霧島神宮・A参道010.jpg| file:霧島神宮・A参道011.jpg| file:霧島神宮・A参道012.jpg| file:霧島神宮・A参道013.jpg| file:霧島神宮・A参道014.jpg| file:霧島神宮・A参道015.jpg| file:霧島神宮・A参道016.jpg| file:霧島神宮・A参道017.jpg| file:霧島神宮・A参道018.jpg| file:霧島神宮・A参道019.jpg| file:霧島神宮・A参道020.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿001.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿002.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿003.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿004.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿005.jpg| file:霧島神宮・B勅使殿006.jpg| file:霧島神宮・C社殿001.jpg| file:霧島神宮・C社殿002.jpg| file:霧島神宮・C社殿003.jpg| file:霧島神宮・C社殿004.jpg| file:霧島神宮・C社殿005.jpg| file:霧島神宮・C社殿006.jpg| file:霧島神宮・C社殿007.jpg| file:霧島神宮・C社殿008.jpg| file:霧島神宮・C税所神社.jpg| file:霧島神宮・C拝殿001.jpg| file:霧島神宮・C拝殿002.jpg| file:霧島神宮・C拝殿003.jpg| file:霧島神宮・C門守神社001.jpg| file:霧島神宮・C門守神社002.jpg| file:霧島神宮・C門守神社003.jpg| file:霧島神宮・D神楽殿001.jpg| file:霧島神宮・D神楽殿002.jpg| file:霧島神宮・D神楽殿003.jpg| file:霧島神宮・D神楽殿004.jpg| file:霧島神宮・E山神社001.jpg| file:霧島神宮・E山神社002.jpg| file:霧島神宮・E山神社003.jpg| file:霧島神宮・E山神社004.jpg| file:霧島神宮・F亀坂001.jpg| file:霧島神宮・F亀坂002.jpg| file:霧島神宮・F亀坂003.jpg| file:霧島神宮・F鎮守神社001.jpg| file:霧島神宮・F鎮守神社002.jpg| file:霧島神宮・F鎮守神社003.jpg| file:霧島神宮・F鎮守神社004・小祠.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓001.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓002.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓003.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓004.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓005.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓006.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓007.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡・兼俊墓008.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡001.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡002.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡003.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡004.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡005.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡006.jpg| file:霧島神宮・G華林寺跡007.jpg| </gallery> <!-- ==古典籍== --> == 資料 == *『古事類苑』「霧島神宮」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897629/141] *「霧島神宮文書」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1217883/126] *1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料3官幣大社霧島神宮』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042240] ==脚注== <references/>
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