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霧島神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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霧島神宮
きりしま じんぐう
Kirishima-jingu 010.jpg
概要 天孫降臨の地に鎮座する神社。
奉斎 天饒石国饒石天津日高彦火瓊々杵尊
(土岐昌訓論文)
所在地 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
所在地(旧国郡) 日向国諸県郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社官幣大社別表神社
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目次

概要

霧島神宮(きりしま・じんぐう)は、鹿児島県霧島市の霧島山にある、瓊瓊杵命を祀る神社。天孫降臨の地とされる。霧島六社権現の筆頭。性空旧跡式内社官幣大社別表神社。山中に天孫降臨神籬斎場がある。瓊瓊杵命の陵墓の可愛山陵は、西54kmにある薩摩川内市の新田神社にある。

歴史

  • 欽明天皇代:慶胤が社殿と華林寺を創建
  • 788年(延暦7年)3月4日:「大隅国曽於郡曽乃峰」が噴火。
  • 837年(承和4年)8月1日:日向国諸県郡の「霧嶋岑神」が官社となる。(続日本後紀)
  • 858年(天安2年)10月22日:日向国霧島神に従五位上から従四位下。(三代実録)
  • 天暦年間:性空、瀬多尾越(現在の古宮の地)に社殿と華林寺を造営。以後、天台宗。
  • 1178年(治承2年):藤原成経、平康頼、俊寛が参詣
  • 1234年(文暦1年)12月28日:噴火で焼失。東の長尾山に社殿を復興し、東霧島神社と称する
  • 1484年(文明16年):島津忠昌、社を東西に分け、東社を瀬戸尾に遷座(現在の霧島東神社)、西社が現在の霧島神宮となる。兼慶に命じて造営。以後、真言宗。
  • 1615年(元和1年):この時点で1806石。
  • 1705年(宝永2年):火災で焼失。
  • 1715年(正徳5年):藩主島津吉貴、現在の社殿を造営。
  • 1866年(慶応2年)9月:鹿児島藩、神仏分離を命じる。
  • 1874年(明治7年)2月15日:霧島神宮と改称。官幣大社となる。
  • 1874年(明治7年)6月15日:勅使
  • 1877年(明治10年)3月11日:野上神社・霧島岑神社・東霧島神社・霧島東神社の4社、霧島神宮摂社となる。1880年(明治13年)とも。
  • 1935年(昭和10年)11月16日:昭和天皇参拝
  • 1940年(昭和15年):古宮を整備。

境内

  • 本社:
  • 勅使殿:
  • 門守神社:末社。
  • 門守神社:末社。
  • 税所神社:末社。
  • 野上神社:鹿児島県霧島市霧島田口。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。村社。
  • 斎田:
  • 天孫降臨神籬斎場:古宮跡
  • 背門丘元宮:
  • 性空墓
  • 兼慶墓:
  • 鎮守神社:末社。
  • 若宮神社:末社。
  • 山神社
  • 亀石
  • 風穴
  • 神楽殿
  • 霧島岑神社:宮崎県小林市細野。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。1873年(明治6年)、県社。現在は独立神社とみられる。
  • 東霧島神社:宮崎県都城市高崎町。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。1935年(昭和10年)10月、県社に昇格。現在は独立神社とみられる。
  • 霧島東神社:宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。日向国諸県郡。1877年(明治10年)3月11日、境外摂社。明治13年、霧島神宮摂社兼郷社。1934年(昭和9年)9月、県社に昇格。現在は独立神社とみられる。
  • 薩摩・華林寺:廃絶。
  • 本地堂:廃絶。
  • 持仏堂:不動明王・愛染明王
  • 歴代住職墓地
  • 仁王門:廃絶
  • 多宝塔:廃絶
  • 護摩堂:廃絶
  • 不動明王石像:廃絶
  • 十一面観音堂:廃絶
  • 鎮守堂:廃絶
  • 曼荼羅堂:廃絶
  • 天子神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。
  • 七社神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。
  • 飯富神社:境外末社。明治4年、村社を兼ねる。

組織

大宮司・宮司

歴代 生没年 在職年 略歴
1 田尻務 1829-1884 1874-1877 日置島津家当主の島津久風の子。1829年(文政12年)生。1874年(明治7年)12月5日、霧島神宮大宮司兼少教正。1875年(明治8年)2月24日、正七位。1877年(明治10年)6月11日、官職位記を剥奪。西南戦争で西郷隆盛軍を支援したためという。1884年(明治17年)4月24日死去。田尻種賢。
2 福崎季連 1833-1910 1877-1898 鹿児島藩士。1833年(天保4年)生。川上久美の子。福崎季修の養子。国学者後醍院真柱に師事。1872年(明治5年)琉球在番奉行。外務省九等出仕。1877年(明治10年)9月6日、霧島神宮大宮司(のち宮司)。1898年(明治31年)9月18日退任。。1893年(明治26年)従六位。1900年(明治33年)11月30日、大和神社宮司。1901年(明治34年)10月31日から1908年(明治41年)まで白峰宮宮司。1910年(明治43年)6月1日死去。著書『朝風舍歌集』。
3 税所篤 1827-1910 1898-1900 子爵。鹿児島藩出身の内務官僚。1827年(文政10年)生。大阪府判事、河内県知事、堺県知事、奈良県知事を歴任。1887年(明治20年)5月、華族。1890年(明治23年)6月、宮中顧問官。1898年(明治31年)9月18日から1900年(明治33年)5月30日まで霧島神宮宮司。1910年(明治43年)6月21日死去。
1 税所篤人 1836-1910 1900-1910 岡山藩士。1836年(天保7年)生。1900年(明治33年)5月30日、霧島神宮宮司。1910年(明治43年)2月22日死去。税所信篤。元太郎。
大久保利貞 1846-1918 1910-1918 鹿児島藩出身の陸軍中将。1846年(弘化3年)生。大久保利通のいとこ。1876年(明治9年)海軍中尉。1877年(明治10年)陸軍大尉。日清戦争では歩兵第5旅団長、第2師団参謀長を務めた。日露戦争では陸軍少将となった。1905年(明治38年)陸軍中将。1910年(明治43年)4月11日、霧島神宮宮司。1918年(大正7年)9月30日、在職で死去。73歳。正四位。
河野主一郎 1846-1922 1918-1922? 鹿児島藩士。1846年(弘化3年)生。西南戦争で西郷隆盛軍に参加し、捕らえられる。出獄後、民権運動に加わる。のち内務省に入り、1897年(明治30年)11月13日から1899年(明治32年)1月21日まで青森県知事。1918年(大正7年)12月18日、霧島神宮宮司。1922年(大正11年)2月12日死去。77歳。
能勢靖一 1861-? 1922-1932 鹿児島藩出身。1861年(文久1年)生。1906年(明治39年)11月24日、台北庁警視。1911年(明治44年)10月28日から1916年(大正5年)11月13日まで台東庁長。1922年(大正11年)5月12日から1932年(昭和7年)まで霧島神宮宮司。没年不詳。
占部真一 1884-? 1932-1935 福岡県出身。国学院大学卒。八代宮宮司、照国神社宮司、丹生都比売神社宮司を経て1932年(昭和7年)8月23日、霧島神宮宮司。1935年(昭和10年)8月6日、伊弉諾神社宮司。没年不詳。(経歴は照国神社#組織を参照)
阪本作之助 1881-1946 1936-1946 熊本県菊池郡大津町の出身。1881年(明治14年)生。大津町日吉神社の坂本経長の次男。正院厳島神社の阪本武の婿養子。1898年(明治31年)小学校教諭。1904年(明治37年)社司社掌試験合格。1907年(明治40年)正院厳島神社社掌。1909年(明治42年)二等司業。1910年(明治43年)9月2日、菊池神社主典。1917年(大正6年)5月2日、菊池神社禰宜。1924年(大正13年)3月15日、貫前神社宮司。1931年(昭和6年)3月31日、白山比咩神社宮司。1936年(昭和11年)6月17日、霧島神宮宮司。1946年(昭和21年)1月18日退任。同年死去。
佐伯芳彦 1895-1970 1946-1950 北海道神社庁長。奈良県神社庁長。山口県の防府天満宮の社家の出身。皇典講究所神職養成部教習科卒。内務省神社局勤務。赤間宮宮司、豊栄神社野田神社宮司、三島神社宮司を経て1946年(昭和21年)2月から1950年(昭和25年)9月14日まで霧島神宮宮司。その後、函館八幡宮宮司、北海道神宮宮司、橿原神宮宮司などを務めた。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
後藤幸平 1899-1966 1954-1966 兵庫県神社庁長。愛知県出身。国学院大学卒。貫前神社宮司、佐嘉神社宮司、鹿児島神宮宮司、湊川神社宮司、鵜戸神宮宮司を経て1954年(昭和29年)8月11日、霧島神宮宮司。1966年(昭和41年)5月29日、在職で死去。76歳。(略歴は鹿児島神宮#組織を参照)
小久保光雄 1908-1991 1966-1991 愛知県出身。1908年(明治41年)生。国学院大学高等師範部卒。1939年(昭和14年)赤間宮主典。1940年(昭和15年)田島神社禰宜。1942年(昭和17年)鹿児島神宮禰宜。1953年(昭和28年)鹿児島神宮権宮司。1958年(昭和33年)、鹿児島神宮宮司。1964年(昭和39年)鹿児島県神社庁長。1966年(昭和41年)9月1日、霧島神宮宮司。1970年(昭和45年)鹿児島県神社庁長。1983年(昭和58年)6月9日から1989年(平成1年)6月1日まで枚聞神社宮司を兼務。1983年(昭和58年)鹿児島県神社庁長再任。1986年(昭和61年)神社本庁長老。1991年(平成3年)10月31日退任。同年11月20日死去。
浄見守 1916-1991 1991-1991 福岡県出身。1916年(大正5年)生。1950年(昭和25年)から1979年(昭和54年)まで風浪宮宮司。1982年(昭和57年)、霧島神宮権宮司。1991年(平成3年)11月、霧島神宮宮司。1991年(平成3年)12月23日死去。75歳。阿曇守。
足立明 1933-1993 1992-1993 鹿児島県神社庁長。京都府出身。国学院大学卒。1984年(昭和59年)照国神社宮司。1992年(平成4年)3月31日、霧島神宮宮司を兼務。1993年(平成5年)6月5日死去。(略歴は照国神社#組織を参照)
高橋弘平 1933- 1994-2014 岩手県北上市出身。1933年(昭和8年)生。1957年(昭和32年)国学院大学宗教学科卒。寒川神社、岩手諏訪神社、常磐神社、岩手白髭神社に奉職。1976年(昭和51年)志波彦神社塩竈神社禰宜。1982年(昭和57年)3月31日、志波彦神社・塩竈神社権宮司。1984年(昭和59年)8月、北海道神社庁参事。1993年(平成5年)3月20日、霧島神宮権宮司。1994年(平成6年)8月1日から2014年(平成26年)9月30日まで霧島神宮宮司。
慶光院利致 1947- 2014- 1947年(昭和22年)生。1970年(昭和45年)国学院大学卒。明治神宮に奉職し、1999年(平成11年)明治神宮禰宜。2002年(平成14年)伊勢神宮権禰宜。2005年(平成17年)伊勢神宮禰宜。2008年(平成20年)神宮司庁総務部長。2014年(平成26年)10月1日、霧島神宮宮司。

少宮司・権宮司

  • 村山松根(1822-1882)<1874-1875>:薩摩・大穴持神社祠官。樺山資満の三男。1869年(明治2年)鹿児島神社祠官。1874年(明治7年)2月22日、霧島神宮少宮司。1875年(明治8年)宮内省出仕。
  • 緒方万()<1950-1981>:忌宮神社宮司。1950年(昭和25年)6月12日、霧島神宮権宮司。1981年(昭和56年)3月19日まで。
  • 浄見守(1916-1991)<1982-1991>:1982年(昭和57年)、霧島神宮権宮司。1991年(平成3年)11月、霧島神宮宮司。
  • 高橋弘平(1933-)<1993-1994>:1993年(平成5年)3月20日、霧島神宮権宮司。1994年(平成6年)8月1日、霧島神宮宮司。
  • 谷川清人()<>:

画像

資料

  • 『古事類苑』「霧島神宮」[1]
  • 「霧島神宮文書」[2]
  • 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料3官幣大社霧島神宮』[3]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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