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青蓮院植髪堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
青蓮院植髪堂
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[[ファイル:Sdre-104.JPG|thumb|500px| ]] '''植髪堂'''は京都府京都市東山区粟田口三条坊町の[[青蓮院]]にある[[親鸞]]「植髪の御影」を祀る阿弥陀堂。 *1181年(養和1年):親鸞は9歳の時に青蓮院で慈円のもとで得度。この時に剃り落とした髮を保管し、張り子の親鸞の像の頭に植え付けた。この「植髪の御影」は後に青蓮院に移されて祀られたという。やがて新たに木像が作られ[[東山・金蔵寺|金蔵寺]]の御供屋に祀られた。『梅室随筆』(1847年(弘化4年))によると金蔵寺地蔵尊と並べて祀られており何の像か知られていなかったが享保年間に本間紹信という人物が青蓮院宮にこれは親鸞の像であると言上して青蓮院で祀るようになったという。 *1759年(宝暦9年)8月:金蔵寺の傍らに阿弥陀堂を建立し植髪の御影と阿弥陀如来を祀った。(日本歴史地名大系) *1760年(宝暦10年):現在の厨子が制作された。(境内由緒書) *1767年(明和4年)11月:華頂山山上に移転(日本歴史地名大系)。都名所図会によると、[[仏光寺本廟]]の東側にあり、華頂山堂と呼ばれていたという。 *1783年(天明3年):定法寺町に新堂建立を計画(境内由緒書)。京都府京都市東山区定法寺町。現在の[[阿含宗関西総本部]]あたりか。 *1794年(寛政6年)閏11月:定法寺町に移転(?)。(日本歴史地名大系) *1811年(文化8年)3月:定法寺町に移転し入仏落慶。現在の堂宇という。(境内由緒書) *1838年(天保9年):従来は[[西本願寺]]に属していたが、この年以降は法会を西本願寺と[[東本願寺]]が交替で勤めることとする。(日本歴史地名大系) *1880年(明治13年):青蓮院境内に移転。(日本歴史地名大系) *1900年(明治33年):子授観音線刻仏を建立。 *1939年(昭和14年)5月:「親鸞聖人遺髪塔」を建立。得度750年記念。東西本願寺法主がお手植えか。 *1940年(昭和15年)5月:石造宝塔を建立。「親鸞聖人得度遺髪」を納めるという。 *1979年(昭和54年)8月:大改修を実施。(境内由緒書) <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:Sdre-104.JPG|植髪堂 file:青蓮院植髪堂012.jpg| file:青蓮院植髪堂001.jpeg|植髪堂 file:青蓮院植髪堂006.jpeg|遺髪塔 file:青蓮院植髪堂003.jpeg|遺髪塔背面 file:青蓮院植髪堂010.jpeg|旧遺髪塔 file:青蓮院植髪堂009.jpeg|旧遺髪塔背面 file:青蓮院・植髪堂002.jpeg|灯籠 file:青蓮院植髪堂008.jpeg|灯籠 file:青蓮院植髪堂007.jpeg|東本願寺お手植え file:青蓮院・植髪堂001.jpeg|東本願寺お手植え file:青蓮院植髪堂011.jpeg|西本願寺お手植え file:青蓮院・植髪堂003.jpeg|西本願寺お手植え file:青蓮院植髪堂002.jpeg|子授観音線刻仏 file:青蓮院植髪堂004.jpeg|粟田陶隠木米記念碑 file:青蓮院植髪堂005.jpeg|石鹿 file:青蓮院植髪堂013.jpg| file:青蓮院植髪堂014.jpg| </gallery> <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:青蓮院・親鸞像001.JPG|青蓮院にある親鸞像 file:青蓮院・親鸞像002.JPG| file:青蓮院・親鸞像003.JPG|歌碑 </Gallery> ==資料== *『京都坊目誌』「阿弥陀堂」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1877513/1/274] [[category:京都府]]
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