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靖国神社元宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月6日 (木)

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元宮

靖国神社元宮は、東京都千代田区九段北の靖国神社内にある招魂社。元は京都にあった。祭神は「藤原朝臣佐禰津武之大臣之命袁始米弖四十六柱乃御霊」「福羽文三郎源美静命袁始米弖十四柱乃御霊」。

他に「明治天皇尊」と「大正天皇尊」を祀っていたが、1969年(昭和44年)に廃祀となる(ただし御神体はそのまま)。 「旧関東州所在の忠霊塔霊代」も奉斎されていたが、1969年(昭和44年)に鎮霊社に奉遷された。旧蒙疆神社北白川宮永久王の御霊代も祀られていた。

目次

歴史

元宮と鎮霊社が並ぶ
元宮手水鉢
元宮手水鉢。創建より古い1861年(文久1年)の銘がある。他の神社からの転用か
  • 1862年(文久2年)12月24日:京都霊明舎で招魂祭を執行。この時は祭神は特定されなかった。志士66人(京都12人、山口藩12人、津和野6人、淡路5人ほか)が集まる。福羽美静(津和野藩)、大谷秀実(津和野藩)、世良利貞(山口藩)、西川吉輔(津和野系)、長尾郁三郎(津和野系)が中心となり、白川家の古川躬行が斎主となった。
  • 1863年(文久3年)7月25日:福羽美静、西川吉輔、世良利貞、長尾郁三郎が中心となって主唱し、古川躬行が斎主となって八坂神社内に祠を建てたという(1862年(文久2年)は誤り)。しかし幕府の目をはばかり、まもなく福羽美静邸に遷したという。
  • 1930年(昭和5年)12月24日:子爵福羽真城から靖国神社に申請。この祠は靖国神社の起源となるものであるから元宮として受け入れることとなった。26日、陸軍省に上申し翌日許可。
  • 1931年(昭和6年)1月12日:福羽邸で旧招魂社遷座奉告祭を執行。神璽を靖国神社に奉遷する。1月17日、地鎮祭。
  • 1931年(昭和6年)3月1日:祠宇鎮座祭を執行。招魂社創始に関わった14柱も祭神として新たに合祀した。
  • 1932年(昭和7年)3月1日:例祭執行に際し、新たに明治天皇尊・大正天皇尊を合祀。
  • 1937年(昭和12年):例祭を3月1日から4月1日に変更。
  • 1947年(昭和22年)4月21日:元関東州忠霊塔の御霊代を奉斎。
  • 1952年(昭和27年)10月3日:蒙疆神社に祀られていた永久王の御霊代を大宮氷川神社から靖国神社元宮に奉遷(靖国神社百年史事歴年表[1])。
  • 1959年10月26日:元宮に奉安していた蒙疆神社を昇神。同月4日、靖国神社本殿に永久王を合祀したため。(新訂増補靖国神社略年表)
  • 1969年(昭和44年)1月23日:午前11時、社殿修復のため仮殿遷座祭。到着殿紅葉の間の仮神座に奉遷。明治天皇と大正天皇の神霊は仮殿遷座祭に合わせて昇神。元関東州忠霊塔の御霊代も鎮霊社に奉遷した。
  • 1969年(昭和44年)3月31日:午前10時半、遷座祭を執行。

(『靖国神社百年史』ほか)

祭神

祭神1

  • 神名は『靖国神社百年史 資料編上』512-515に基づく。旧字は新字に変更したが、誤字や註はそのままとしている。同書では「相田千之允」と「岡恒城霊号」を不明としている。
  • 招魂社を祭祀した側の神職であるはずの岡恒城が祭神に含まれている理由は不明。
神名 一般名 生没年 関係事件 略歴
1 三条贈右大臣 佐禰津武之大臣之命 三条実万 1802-1859 安政の大獄 公卿。朝廷内の一橋派・条約勅許反対派の中心人物。水戸藩密勅を周旋。佐幕派の関白九条尚忠の排斥運動を担った。安政の大獄で謹慎となり、病死。三条実美の父。梨木神社祭神。
2 水府贈大納言 奈里安紀良之命 徳川斉昭 1800-1860 安政の大獄 水戸藩主。黒船来航に際して対外強硬論を主張。無勅許条約調印に抗議。安政の大獄で永蟄居。病死。常磐神社祭神。
3 姉小路贈参議近衛権中将 公知之大命 姉小路公知 1839-1863 暗殺 条約勅許に反対し、八十八廷臣事件に参加。和宮降嫁の責任を問うて久我建通、岩倉具視らを弾劾。三条実美と共に朝廷の尊攘派の中心となる。1862年(文久2年)、勅使三条実美と共に副使として江戸に行き幕府に攘夷を迫る。1863年(文久3年)2月、国事参政に就任。5月20日暗殺。
4 京住 梅田源次郎之命 梅田雲浜 1815-1859 安政の大獄 小浜藩士。尊攘運動の中心的人物。安政の大獄で最初に捕縛され、獄死。
5 鷹司殿諸大夫 小林民部権大輔之命 小林良典 1808-1859 安政の大獄 鷹司家家臣。公卿家司の尊攘派の中心的人物と目されたが安政の大獄で獄死。
6 京都清水寺 成就院感法印信海之命 信海 1821-1859 安政の大獄 清水寺成就院24世。月照の弟。安政の大獄で捕縛。獄死。
7 京浪士 頼三樹八(三)郎之命 頼三樹三郎 1825-1859 安政の大獄 尊攘派志士。頼山陽の子。1858年(安政5年)の水戸藩攘夷勅諚降下を運動。安政の大獄で捕縛。死罪となる。
8 江戸住 飯泉喜内之命 飯泉喜内 1805-1859 安政の大獄 尊攘派志士。元は豪商の子。三条実万に仕える。1858年(安政5年)別件で逮捕され、その所持資料から大量の捕縛者を出した。1859年(安政6年)10月7日、橋本左内と共に処刑された。
9 江戸住 大橋順造(蔵)之命 大橋順蔵 1816-1862 坂下門外の変 朱子学者。尊攘論を主張。坂下門外の変を画策して逮捕。出獄後、病死。毒殺とも。大橋訥庵。
10 大阪住 佐久良静之命 佐久良東雄 1811-1860 桜田門外の変 尊攘派志士。元は真言宗僧侶で真鍋善応寺住職。1843年(天保14年)鹿島神宮の神前で還俗。尊攘運動に従事。坐摩神社の神職ともなる。1854年(安政1年)妙法院宮家家司。1860年(万延1年)、桜田門外の変で高橋多一郎を匿った罪で捕縛。小伝馬町牢獄で獄死。
11 大阪住 嶋男也之命 島男也 1809-1861 桜田門外の変 笠間藩士。脱藩して佐久良東雄と共に尊攘活動に加わる。高橋多一郎と共に挙兵を計画。桜田門外の変で捉えられ、獄死。
12 水戸藩 稲田重蔵之命 稲田重蔵 1814-1860 桜田門外の変 水戸藩士の家臣。桜田門外の変に参加し、討ち死にする。
13 水戸藩 鵜飼幸吉之命 鵜飼幸吉 1828-1859 安政の大獄 水戸藩士。京都留守居助役として父の鵜飼吉左衛門を補佐。水戸藩降下の密勅を父に代わり京都から江戸の水戸藩邸に運んだ。安政の大獄で刑死。
14 水戸藩 鵜飼吉右(左)衛門之命 鵜飼吉左衛門 1798-1859 安政の大獄 水戸藩士。京都留守居役。戊午の密勅に関わる。安政の大獄で刑死。
15 水戸藩 大関和七郎之命 大関和七郎 1836-1861 桜田門外の変 水戸藩士。兄の黒沢忠三郎と共に桜田門外の変に参加。事件後自首して刑死。
16 水戸藩 大貫大(多)介之命 大貫多介 1834-1860 桜田門外の変 水戸藩西塩子村庄屋の子。兄と共に尊攘活動に従事。高橋多一郎を支援し行動を共にした。桜田門外の変の後、大阪に潜伏中に捕縛。江戸で刑死。
17 水戸藩 茅根伊予之介之命 茅根伊予之介 1824-1859 安政の大獄 水戸藩士。会沢正志斎、藤田東湖に学び、弘道館舎長。戊午の密勅に関わる。安政の大獄で処刑。
18 水戸藩 金子孫次(二)郎之命 金子孫二郎 1804-1861 桜田門外の変 水戸藩士。徳川斉昭の藩主擁立に尽力。桜田門外の変の首謀者の一人。実行には加わらず、品川で待機し、暗殺成功の報を上京して知らせようとしたところを伊勢で捕縛され江戸で刑死。
19 水戸藩 黒沢忠三郎之命 黒沢忠三郎 1830-1860 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に参加し重傷を負い、その後死去。
20 水戸藩 鯉渕要人之命 鯉渕要人 1810-1860 桜田門外の変 常陸諏訪神社(茨城県東茨城郡城里町上古内)の神職。徳川斉昭が隠居を幕府から命じられた時、処分撤回を老中に訴えて処罰された。桜田門外の変に加わり、重傷を負い自刃。
21 水戸藩 佐野竹之助(介)之命 佐野竹之介 1839-1860 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に参加し、重傷を負い、老中邸に自首して即日死去。
22 水戸藩 斎藤監物之命 斎藤監物 1822-1860 桜田門外の変 静神社の神職。加倉井砂山、藤田東湖に師事。徳川斉昭が隠居を幕府から命じられた時、処分撤回を老中に訴えて処罰された。桜田門外の変に加わり重傷を負って死去。
23 水戸藩 杉山弥一郎之命 杉山弥一郎 1824-1861 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に加わり、負傷。自首の後、処刑された。
24 水戸藩 関鉄之助之命 関鉄之助 1824-1862 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変の実行部隊のリ-ダ-で、事件後逃亡するが、越後雲母で捕縛された。江戸で処刑された。
25 水戸藩 高橋太(多)一郎之命 高橋多一郎 1814-1860 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変の計画者。実行前に大坂に移り挙兵の準備していたが、捕縛されそうになったため四天王寺で自刃。
26 水戸藩 高橋長右(荘左)衛門之命 高橋庄左衛門 1842-1860 桜田門外の変 水戸藩士。高橋多一郎の長男。父と行動を共にし、四天王寺で自刃。
27 水戸藩 蓮田市五郎之命 蓮田市五郎 1833-1861 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に加わり、自首して処刑。
28 水戸藩 広岡子之次郎之命 広岡子之次郎 1840-1860 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に参加し重傷を負い、自刃。
29 水戸藩 森五六郎之命 森五六郎 1838-1861 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に加わり、自首して処刑。
30 水戸藩 森山繁之介之命 森山繁之介 1835-1861 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に加わり、自首して処刑。
31 水府老臣 安志麻(島)帯刀之命 安島帯刀 1812-1859 安政の大獄 水戸藩家老。藩主徳川斉昭に近侍。天皇陵修復を建議。安政の大獄で捕縛され、切腹を命じられた。
32 水戸藩 山口辰<之>介之命 山口辰之介 1832-1860 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変に参加し重傷を負い、自刃。
33 水戸藩 岡部三十郎之命 岡部三十郎 1818-1861 桜田門外の変 水戸藩士。桜田門外の変では見張り役を務めた。捕縛され処刑。
34 越前人 橋本左内之命 橋本左内 1834-1859 安政の大獄 福井藩士。将軍継嗣問題で一橋派となる。安政の大獄で処刑。
35 長州藩 吉田寅次郎之命 吉田松陰 1830-1859 安政の大獄 山口藩士。松下村塾で多くの志士を育てた。攘夷を主張し安政の大獄で処刑。
36 薩州藩 有村治(次)左衛門之命 有村次左衛門 1838-1860 桜田門外の変 鹿児島藩士。水戸藩士ら桜田門外の変に参加し、重傷を負って同日自刃。
37 薩州藩 日下部裕之進信政之命 日下部裕之進 1836-1860 安政の大獄 鹿児島藩士。生まれは常陸水戸藩領だった。戊午の密勅で江戸の水戸藩邸に写しを届ける。安政の大獄で遠島となるが獄中で病死。
38 薩州藩 相田千之允之命 高畑房次郎 1828-1862 坂下門外の変 常陸出身。1861年(文久1年)、水戸藩士らと東禅寺のイギリス公使館を襲撃。坂下門外の変に加わり討ち死に。相田千之允は変名。
39 水戸藩士 浅田儀介之命 小田彦三郎 1833-1862 坂下門外の変 水戸藩士。坂下門外の変で討ち死にする。変名は朝田儀助。
40 水戸藩士 内田萬介之命 川辺佐次衛門 1832-1862 坂下門外の変 水戸藩士。坂下門外の変の参加に遅れ、山口藩邸の桂小五郎に斬奸趣意書を渡して自刃。変名は内田万之介。
41 岡恒城霊号 建忍海豊真楯男大人之命 岡恒城 生没年不詳 不詳 津和野藩士。神職。岡熊臣の甥。祭祀側の人物のはずがなぜ祭神に加わっているのかは不明。祭神重複。
42 豊原邦之介之命 河本杜太郎 1840-1862 坂下門外の変 越後出身。坂下門外の変に参加して討ち死にした。変名は豊原邦之助。
43 細谷忠斎之命 平山兵介 1841-1862 坂下門外の変 水戸藩士。坂下門外の変に参加して討ち死にした。変名は細谷忠斎。
44 三嶋三郎之命 河野顕三 1838-1862 坂下門外の変 下野出身。坂下門外の変に参加して討ち死にした。変名は三島三郎。
45 横田藤太郎之命 横田藤太郎 1840-1862 坂下門外の変 下野出身。大橋訥庵に学ぶ。坂下門外の変に連座して捕縛され獄中で病死。
46 吉野政介之命 黒沢五郎 1833-1862 坂下門外の変 水戸藩士。水戸藩士らと東禅寺のイギリス公使館を襲撃。坂下門外の変に加わり討ち死に。変名は吉野政介。

祭神2

  • 神名は『靖国神社百年史 資料編上』515-516に基づく。旧字は新字に変更したが、誤字はそのままとしている。
神名 一般名 生没年 略歴
1 多胡真強命 多胡真強 ?-1892 津和野藩亀井家筆頭家老。津和野総霊社総代。征東大総督錦旗守衛隊長。第五十三国立銀行初代頭取。1892年(明治25年)9月3日死去。伝記『維新前後津和野藩士奉公事蹟』[2]
2 桑本正明命 桑本正明 1830-1863 津和野藩士。和算家。1830年生。木村林昱、内田五観に学ぶ。養老館で関流の和算を講義した。藩主亀井茲監に重用された。攘夷派の藩士に暗殺された。1863年10月2日に攘夷派に殺害された。著書『尖円豁通』。伝記『維新前後津和野藩士奉公事蹟』[3]
3 西川善六平吉輔命 西川吉輔 1816-1880 元宮奉斎の頭取会頭の一人。国学者。近江国出身。近江八幡の豪商。大国隆正に学ぶ。足利氏木像梟首事件に連座。日吉大社宮司。(略歴は日吉大社#組織を参照)
4 大谷秀実命 大谷秀実 1830-1902 津和野藩士。大国隆正、松岡明義に師事。のち鹿島神宮宮司。(略歴は鹿島神宮#組織を参照)
5 古川美濃守源躬行命 古川躬行 1810-1883 国学者。江戸出身。枚岡神社大宮司、大神神社大宮司を経て金刀比羅宮で死去。(略歴は枚岡神社#組織を参照)
6 山本孟寛命 山本孟寛 生没年不詳 津和野藩士。
7 福羽文三郎源美静命 福羽美静 1831-1907 元宮奉斎の頭取会頭の一人。国学者。津和野藩士。明治初期の神社行政を主導した。
8 石河正養命 石河正養 1821-1891 国学者。津和野藩士。越智盛宣の子。石河正幸の養子。岡熊臣、大国隆正に学ぶ。平田派に入門。藩校養老館で教える。津和野総霊社社長。教導職大教正。1891年11月17日死去。墓所は青山墓地。著書『産土氏神考』『大祓私釈』『多頭廼舎歌文集』。伝記『大教正正七位石河正養翁履歴略記』[4]
9 世良孫槌世良利貞命 世良利貞 1816-1878 元宮奉斎の頭取会頭の一人。国学者。山口藩士。故実に詳しい。(略歴は長門・住吉神社#組織を参照)
10 森岡通雄命 森岡幸夫 ?-1878 国学者。津和野藩士。大国隆正に学ぶ。石河正養と交わり京都で情報収集に当たった。神祇官に出仕。宣教使大主典。1878年1月8日死去。通称は新五右衛門。伝記『維新前後津和野藩士奉公事蹟』[5]
11 長屋郁三郎平武雄命 長尾郁三郎 1837-1864 元宮奉斎の頭取会頭の一人。京都の商人。大国隆正、平田鉄胤に学ぶ。1863年(文久3年)足利氏木像梟首事件で捕縛。1864年(元治1年)禁門の変に乗じて斬殺された。
12 加藤達命 加藤達 生没年不詳 津和野藩士。大国隆正、平田鉄胤に学ぶ。伝記『維新前後津和野藩士奉公事蹟』[6]
13 牧村三光命 牧村光香 ?-1864 津和野藩士。養老館教授。亀井茲監に重用され外接周旋掛となる。1864年(元治1年)10月17日、病があった京都より急報を伝えるため津和野に戻りすぐに報告を行い、11月7日、自宅で病死。『語格指掌図』[7][8]
14 岡恒城命 岡恒城 生没年不詳 津和野藩士。岡熊臣の甥。祭神重複。

資料

  • 『靖国神社百年史・資料篇上』「元宮・鎮霊社」[9]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%85%83%E5%AE%AE」より作成

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