ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
頂法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
頂法寺
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''頂法寺'''(ちょうほうじ)は、京都府京都市中京区にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[聖徳太子旧跡]]。[[親鸞旧跡]]。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。本尊は如意輪観音。'''六角堂'''として知られる。[[西国三十三所観音霊場]]第18番札所。天台宗単立。本坊だった[[池坊]]は華道の家元として知られる。山号は紫雲山。 == 歴史 == 聖徳太子が[[四天王寺]]建設の木材調達のために山城国愛宕郡土車里のこの地に来た時、念持仏の如意輪観音を祀ったのが起源とされる。[[平安京]]建設時に北に5丈ずらしたという逸話があり、臍石が元来の中心という。 平安時代中期から信仰を集めた。天治2年(1125)12月5日、大火で焼失。創建以来初めてという。 鎌倉時代初期には[[延暦寺]]の末寺となっていた。 建仁元年(1201)、親鸞が100日にわたり参籠。観音からの託宣を受け、比叡山を去り、[[法然]]の下で[[浄土教]]に専するきっかけとなった。 貴族だけでなく、古くから庶民の信仰を集めたが 応仁の乱で京都の形と仕組みが大きく変わった後は、下京の町堂としての性格を強める。 室町時代、専慶が花道を始める(伝承では小野妹子に始まるという)。 寛永18年(1641)、内裏建設の余材で再建。塔頭として本坊[[池坊]]の他、多聞院・不動院・[[住心院]]・愛染院などがあった。 その後も焼失を繰り返し、現在の堂宇は明治8年(1875)の再建(ウェブサイトでは明治10年とする)。戦後、天台宗延暦寺派から離脱。 (日本歴史地名大系) == 伽藍 == *本堂:本尊は如意輪観音。聖徳太子念持仏と伝える。秘仏。御前立本尊がある。脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩を祀る。六角堂。 *太子堂:本尊は聖徳太子。頂法寺の開山堂。太子の二歳像、十六歳像、騎馬像を祀る。 *親鸞堂:本尊は親鸞。「草鞋の御影」と「夢想之像」を祀る。 *石不動 *唐崎社:[[唐崎神社]]の神を祀る。頂法寺鎮守。[[祇園神]]と[[天満宮]]を合祀。 *聖徳太子沐浴の池:石の井筒が目印。このほとりに僧坊が建てられ、池坊の名の由来となった。 *臍石:平安京の中心を示したという石。元は門前の六角通りの路上にあったが、明治に門内に移された。 ==塔頭== *[[池坊]]:本坊。現在の池坊会館の地にあった。 *多聞院:廃絶。 *不動院:廃絶。 *[[住心院]]:[[本山修験]]の寺院。[[聖護院門跡]]の[[院家]]。京都岩倉に移転して現存する。 *愛染院:廃絶。 *能満院:廃絶。天保から元治頃、大願という画僧を中心とする仏画工房があったという。その仏画は京都市立芸術大学に残されている(『仏教図像聚成』として刊行)。 ==組織== ===歴代住職=== 歴代住職は[[頂法寺池坊#組織]]を参照。 == 資料 == ===古典籍=== *「六角堂縁起」:『諸寺縁起集(醍醐寺本)』所収。東京国立博物館デジタルライブラリー[http://webarchives.tnm.jp/dlib/detail/3838] *「六角堂頂法寺縁起」:1197年(建久8年)の年記を持つが近世の作とみられる。 *「洛陽六角堂略縁起」:近世の縁起 *『花道古書集成』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1171477] ===文献=== *中前正志2007「六角堂縁起と池坊いけばな縁起 古代寺院縁起の近世近現代的展開」[https://ci.nii.ac.jp/naid/110007046005] *橋本正俊2006「中世六角堂縁起異説」[http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7982696-00] *2004『仏教図像聚成 六角堂能満院仏画粉本』[http://id.ndl.go.jp/bib/000007363373] [[category:京都府]]
頂法寺
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ