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順興寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月29日 (日)

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順興寺(じゅんこうじ)は、京都府京都市右京区鳴滝松本町にある浄土真宗院家寺院浄土真宗本願寺派蓮如が隠居した山科本願寺南殿に由来するとされ、南殿順興寺と称す。枚方に移り、京都に移った。山号は龍華山。東本願寺末では願生坊が後身とされる。

歴史

山科本願寺南殿の跡地
  • 1489年(延徳1年)8月:一説にこの年月、蓮如が創建(京二条順興寺由緒記)。蓮如が同月隠居した南殿の「御在世山水御亭図」(光照寺蔵)に「順光寺跡」と示される。
  • 1511年(永正8年):一説にこの年、実如が創建(山城国御下寺開基之帳)。
  • 1543年(天文12年)12月29日:「順興寺」号が『天文日記』に出る。
  • 1550年(天文19年)8月21日:本願寺、「順興寺」号を改めて下賜。
  • 1559年(永禄2年)12月:枚方に移転。
  • 1560年(永禄3年)12月:勅により院家となる。
  • 1573年(天正1年):織田信長の兵火で焼失[1][2]
  • 1625年(寛永2年):二条堀川に移転[3]二条順興寺
  • 1633年(寛永10年):丸太町に移転[4]
  • 1611年(慶長16年):東本願寺教如、枚方の旧地に掛所(願生坊)を建立。
  • 1788年(天明8年):天明の大火で焼失。のち再建。
  • 1880年(明治13年):三重県津市白山町八対野の支坊が独立(順行寺)[5]
  • 1908年(明治41年)1月:別格寺
  • 1974年(昭和49年)3月:上京区西丸太町から右京区鳴滝松本町に移転。

(日本歴史地名大系ほか)


組織

歴代住職

(真宗年表より)

世数 名前 生没 在職 略歴
1 蓮如 1415-1499 本願寺8世。
2 実従 1498-1564 蓮如の十三男。1498年(明応7年)生。13歳で出家。1559年(永禄2年)12月、枚方坊領を継承。1560年(永禄3年)12月、勅により院家となる。正室は光善寺3世実順の長女妙意。1564年(永禄7年)6月1日死去。67歳。通称は左衛門督。兼智。元の名は兼知だったが後奈良天皇の諱「知仁」を避けて改名した。法印権大僧都。順興寺と号す。
3 顕従 1546-1605 実従の子。1546年(天文15年)生。1605年(慶長10年)12月4日死去。60歳。佐厳。
4 印盛 ?-1627 1606- 顕従の子。はじめ、真言律宗の僧侶だったらしく、善法寺に住す。のち家の戻り、1606年(慶長11年)順興寺を継ぐ。京都に移る。巡讃、鍵役、導師。1627年(寛永4年)4月28日死去。
5 証順 ?-1648 印盛の養子。光善寺昭珍(顕従の子)の子。1648年(慶安1年)8月25日死去。
6 良証 1622-1666 印盛の子。証順の弟子。1622年(元和8年)生。1666年(寛文6年)4月3日死去。45歳。円三。
7 寂証 1655-1724 准如の孫。本浄寺昭円の子。1655年(明暦1年)生。1666年(寛文6年)得度。1694年(元禄7年)鍵役。同年導師。1724年(享保9年)1月3日死去。70歳。常栄。寂照。退省院。
8 寂静 ?-1732 1732年(享保17年)7月6日死去。
9 湛浄 ?-1763 1763年(宝暦13年)8月10日死去。
10 法浄
11 闡要
12 暉賢
13 本正
14 沢賢
15 殿南沢持 ?-1920 1920年(大正9年)8月18日死去。
16 殿南尊賢 ?-1934 1934年(昭和9年)6月16日死去。
17 殿南照賢 洋画家。
18 殿南真賢 1947- 画家。殿南照賢の養子。1947年(昭和22年)生。1969年(昭和44年)京都市立美術大学卒。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A0%86%E8%88%88%E5%AF%BA」より作成

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