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飛騨・黄金神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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黄金神社は岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある金山彦信仰御霊信仰の神社。祭神は金山毘古神・金山毘売神・茂住宗貞・宮島平左衛門。村社。幕府の高山銀絞吹分所の鎮守社だった。飛騨護国神社境内。

祭神

  • 金山毘古神:南宮大社祭神。
  • 金山毘売神:
  • 茂住宗貞:近世初期に飛騨地方の鉱山を開発した人物で、領主金森長近の側近だった。1589年(天正17年)に鉱山を発見。鉱山奉行を務めたが金森長近が1608年(慶長13年)に死ぬと高山を脱して敦賀に退去。1643年(寛永20年)死去。岐阜県飛騨市神岡町東茂住の邸宅跡に曹洞宗金龍寺がある。異説も多い。
  • 宮島平左衛門:金沢藩士。1629年(寛永6年)、高山にきて白川郷の鉱脈を開発。1631年(寛永8年)金山奉行となるが1638年(寛永15年)5月、同僚の讒言で横死した。以後、城内に怪異が頻発したため。1641年(寛永18年)5月、金森頼業が神霊を祀ったという。宮島霊神、平野明神と呼ばれたとも。

歴史

金山毘古神・金山毘売神は慶長年間に祀ったというが、江戸時代の文献には確認できないという。 1641年(寛永18年)5月、金森頼業が宮島平左衛門の神霊を祀った。明和年間に茂住宗貞が「金の神」として高山城二の丸に祀られた。1819年(文政2年)に桜馬場濠上(現在の境内の下段という)に遷座復興。文政年間に茂住宗貞を合祀。 1824年(文政7年)、天照寺境内の古社殿を拝殿として移築。1855年(安政2年)の高山銀絞吹分所の建設でその鎮守となる。 1872年(明治5年)、水無神社の神楽殿を拝殿として移築。 1879年(明治12年)6月、村社に列格。 1880年(明治13年)2月(6月とも)、前年創建の中教院大神宮の東側に社殿造営。 1993年(平成5年)、忠孝苑合祭殿として新社殿を造営し、飛騨大神宮、祖霊殿と共に合わせて祀った。 (飛騨護国神社ウェブサイト、『大野郡祭神記』)

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