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飯福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 慶雲5年(708)、[[役小角]]弟子の義覚が創建。最初、蓬原(ふつはら)にあったともいう。[[熊野権現]]と本地仏の[[阿弥陀]][[薬師]][[観音]]を祀った。天平15年(743)、[[聖武天皇]]の[[勅願所]]となる。弘安3年(1280)、島津久経が復興、覚進が中興とされた。慶長9年(1604)、鹿児島藩によって社殿再建。慶長12年(1607)、藩主を通じて[[聖護院門跡]]に長年途絶えていた先達職を要請し、翌年認められた。元禄14年(1701)、改めて勅願所となる。慶応3年(1867)廃絶。 | ||
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2017年9月16日 (土) 時点における版
飯福寺は、日向国諸県郡(鹿児島県曽於郡大崎町)にあった修験道本山派の寺院。本尊は役小角と不動明王。照信院、照倍院と号す。山号は飯隈山。 塔頭に別当蓮光院
歴史
慶雲5年(708)、役小角弟子の義覚が創建。最初、蓬原(ふつはら)にあったともいう。熊野権現と本地仏の阿弥陀薬師観音を祀った。天平15年(743)、聖武天皇の勅願所となる。弘安3年(1280)、島津久経が復興、覚進が中興とされた。慶長9年(1604)、鹿児島藩によって社殿再建。慶長12年(1607)、藩主を通じて聖護院門跡に長年途絶えていた先達職を要請し、翌年認められた。元禄14年(1701)、改めて勅願所となる。慶応3年(1867)廃絶。