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養林庵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月12日 (日)

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養林庵(ようりんあん)は京都府京都市上京区畠中町にある院家級寺院宝鏡寺門跡に所属。元は臨済宗だが現在は曹洞宗

目次

歴史

1585年の創建と伝える。 ただし『国史大辞典』には大永年間(1521-1528)に宝鏡寺の「上臈」として成立し、天文年間(1532-1555)には継孝院に上臈の地位を奪われ、「小上臈」となったとある。

当初は園家出身者により住職が継承された。

徳川家康の姪の春松院寿光が復興。 江戸時代の寺領は30石だった。 武家関係者の入寺が続き、人事などを巡り本寺の宝鏡寺とたびたび衝突した。

寂宗観光の入寺で実質的に曹洞宗となり、 1884年、臨済宗相国寺派宝鏡寺末を離れ、正式に曹洞宗に改宗し、天寧寺末となる。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』、「養林庵文書について」)

組織

住職

  • 「養林庵文書について」ほか
世数 名前 生没年 在職年 略歴
1 春松院寿光 ?-1631 中興。徳川家康の姪。母が家康の異父妹の天桂院。父は竹谷松平家・三河吉田藩主の松平家清。深溝松平家・三河吉田藩主の松平忠利の正室となるが、夫の死去で出家。荒廃した養林庵の寺地を入手した。幕府との交渉のため江戸に向かう途中、桑名で病死した。1631年(寛永8年)7月8日死去。
永松院玉清 生没年不詳 後見人。歴代には数えない。織田信長の姪に当たる。尾張大野城主の佐治信方の娘。母はお犬の方。北畠家家臣の藤方半右衛門に嫁ぐ。1632年(寛永9年)10月に養林庵を入手。永昌院とも。
2 白堂祖倫 1626-1686 1632-1686 永松院玉清の孫であり弟子。佐治一久の娘。1626年(寛永3年)生。1632年(寛永9年)7歳で入寺。1686年(貞享3年)7月7日死去。
3 梅月祖俊 ?-1689 不詳 園部藩浪人の井上理右衛門の娘。1677年(延宝5年)入寺。1689年(元禄2年)6月5日死去。
4 月海祖澄 ?-1724 不詳 綾小路俊景の猶子。松平民部大輔(不詳)家臣の柳沢新右衛門の娘。1687年(貞享4年)入寺。1724年(享保9年)8月11日死去。島根県鹿足郡津和野町河村の宝泉寺の位牌に「月海祖澄首座」の名があるが不詳[1]
5 如桂祖璋 生没年不詳 1729-? 清閑寺煕房の猶子。寺沢志摩守(唐津藩主寺沢広高?)浪人の筑山四郎左衛門の娘。佐治一久の養女。1729年(享保14年)6月5日相続。住職就任に当たって本寺の宝鏡寺と争論になるが、幕府に働き掛けて実現したらしい。
6 真厚祖欽 ?-1740 1731-1740 山本公尹の猶子。名張藤堂家(津藩藤堂家一門)家臣の常岡半右衛門の娘。1731年(享保16年)1月6日に宝鏡寺に礼。1740年(元文5年)8月20日死去。
7 大峰祖仙 ?-1758 1740-1758 六条有起の猶子。牧野越中守(笠間藩?)家臣の小山彦右衛門の娘。1740年(元文5年)12月就任。1758年(宝暦8年)3月25日死去。大峯祖仙。
8 白光祖雪 1727-1810 1758-1810 六条有起の猶子。佐賀藩鍋島家家臣の長森以休の娘。1727年(享保12年)生。1758年(宝暦8年)3月15日就任。1810年(文化7年)7月21日死去。84歳。
9 千厳祖松 1786-1848 1834-1848 六条有庸の猶子。近江国志賀郡栗原村郷士の畑庄司の娘とされるが、実は加賀藩小姓の祖沢咲宗右衛門の娘。1786年(天明6年)生。1822年(文政5年)に相続願いが出されるが長年認められず。1834年(天保5年)5月就任。1848年(嘉永1年)7月23日死去。63歳。
10 寂宗観光 1785-1868 1849-? 曹洞宗。丹波国桑田郡出身。園部藩家臣の宇野藤蔵の娘。俗姓は草木とも。1785年(天明5年)生。尾張国の微笑堂(愛知県常滑市)に住す。1840年(天保11年)豊明市寂光寺を創建[2]。1829年(文政12年)「阿難講式」流布本を編纂。1849年(嘉永2年)2月養林庵に住す。1868年(明治1年)11月10日死去。84歳。
11 宗家祖田観苗 ?-1894 1861-? 六条有言の猶子。園部藩家臣の宇野藤蔵の娘。寂宗観光の姉妹か。1861年(文久1年)4月19日就任。1884年(明治17年)宝鏡寺末から離脱。1894年(明治27年)4月23日死去。
12 天明常倫 1848-1927 1884-? 水野常倫。愛知県大野町出身。旧姓は清水。名古屋の水野平蔵の養子。微笑堂で寂宗観光に師事。1884年(明治17年) 養林庵住職。1901年(明治34年)瀬戸栄国寺を創建。1902年(明治35年)曹洞宗の全国尼僧取締役。翌年、愛知県香林寺に尼僧学林(愛知専門尼僧堂)を開く。1927年(昭和2年)5月5日死去。80歳。
13 霊室見光 ?-1930 不詳 下山見光。1930年(昭和5年)4月6日死去。

資料

  • 西口順子・佐藤文子2000「養林庵文書について:由緒と沿革の紹介をかねて」[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A4%8A%E6%9E%97%E5%BA%B5」より作成

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