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養源院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月28日 (日)
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2020年6月28日 (日) 時点における最新版
養源院(ようげんいん)は、京都府京都市東山区にある豊臣氏ゆかりの天台宗寺院。本尊は阿弥陀如来。毘沙門堂門跡の脇門跡とされた。天台宗系の浄土真宗遣迎院派。(参考:同名寺院養源院_(同名))
歴史
文禄3年(1594)5月、豊臣秀吉側室の淀殿(淀君、茶々)の発願で、浅井長政の菩提を弔うために秀吉が創建。長政らの自刃から二十一回忌に当たる。 翌年、秀吉は300石を寄進。開山の成伯(清伯、盛伯)は浅井長政の弟。慶長2年、紫衣。 元和5年焼失。元和7年、淀殿の実妹で徳川秀忠継室の崇源院(お江)が復興。のち京都・方広寺に属した。 歓喜天も祀る。 (日本歴史地名大系、国史大辞典)
伽藍
- 本堂:旧客殿。伏見城の遺構とされる。血天井で知られる。
- 護摩堂:旧准胝堂。宮中の祈願所とされた。
- 崇源院五輪塔