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高台寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年3月11日 (土)

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開山堂と霊屋

高台寺(こうだいじ)は、京都府京都市東山区下河原町にある豊臣氏ゆかりの臨済宗寺院。豊臣秀吉の菩提寺。豊臣秀吉と北政所を祀る霊屋がある。本尊は釈迦如来臨済宗建仁寺派高台聖寿禅寺。山号は鷲峰山、岩栖不動山。


目次

歴史

高台寺周辺と霊山観音(国土地理院空中写真より)
大雲院・高台寺・八坂の塔・庚申堂の周辺(国土地理院空中写真より)

創建

  • 1605年(慶長10年)、秀吉正室の北政所(高台院、快陽杲心、ねね)の発願で、秀吉の菩提寺として創建。あるいは天正頃に北政所が曹洞宗の弓箴善疆を招き、生母の菩提寺として寺町に建てた康徳寺が前身ともいう。康徳寺の場所は上京区の「高徳寺町」と推定される。現在地は京都・雲居寺金山院の跡地で、当時あった岩栖院を移転させて建設した。酒井忠正や土井利勝が担当した。
  • 1605年(慶長10年)6月28日:北政所が移住。
  • 1605年(慶長10年)9月:徳川家康は康徳寺時代から受け継いだ寺領100石を安堵。
  • 1606年(慶長11年):竣工。
  • 1612年(慶長17年):400石寄進され計500石となる。

転派

  • 1609年(慶長14年):弓箴善疆が引退。その後、住職が短期間で交代し、運営が安定しなかった。跡を継いだ良芸は半年で死去。3世の扶夫は1619年(元和5年)死去。通伝が継ぐが塔頭の住職と不和で退任。鼓山は「名ありて実なし」の状態だった。
  • 1622年(元和8年):転派を申請し8月1日に幕府に認められた。一部の僧は反対したが決行された。建仁寺の三江紹益が入り、臨済宗となった。北政所の意志によるもので、甥の周南紹叔に継がせるため、その師の三江紹益を住職にしたという。
  • 1624年(寛永1年):北政所死去。
  • 1630年(寛永7年):周南紹叔が継承したが、1633年(寛永10年)に死去した。

近世近現代

  • 1789年(寛政1年)2月9日:火災。小方丈、庫裏などを焼失。
  • 1851年(嘉永4年):再建完了
  • 1863年(文久3年)7月26日:松平春嶽が高台寺を宿所としたことに不満を持った浪士により焼かれた。
  • 1885年(明治18年)11月9日:仏殿焼失
  • 1912年(大正1年):大方丈(仏殿)再建。
  • 1955年(昭和30年)6月:寺の南側に霊山観音が創建された。
  • 2016年(平成28年):利生堂建立。
  • 2019年(令和1年):アンドロイド観音建立。

伽藍

名称 概要
方丈
高台寺・3方丈・外観.jpg
本尊は宝冠釈迦如来。1912年(大正1年)再建。大方丈。
書院 小方丈。
庫裏
高台寺 (3).jpg
開山堂
高台寺・4開山堂・堂宇(3).jpg
中興の三江紹益像と、木下家定夫妻像、堀直政像を祀る。その他の位牌も納められている。創建以来の建築という。元は北政所の持仏堂だった。方丈と開山堂と結ぶ渡り廊下「観月台」があり、月を眺める場所となっていた。
霊屋
高台寺霊屋・3堂宇(3).jpg
本尊は随求菩薩で、豊臣秀吉像(向かって右)と北政所像(向かって左)を祀る。随求菩薩は秀吉の念持仏。両像とも創建当時のものという。北政所像の下には遺骸が埋葬されているという。伏見城の遺構を転用という。須弥壇や厨子にはきらびやかな蒔絵が施されており「高台寺蒔絵」と呼ばれている。堂宇の飾金具も他の寺社建築にはみられない華麗な意匠となっている。開山堂から臥龍廊で結ばれている。湖月堂。
高台寺天満宮
高台寺 (2).jpg
利生堂
高台寺・7利生堂(1).jpg
2016年(平成28年)建立。釈迦涅槃図が壁画として描かれている。
アンドロイド観音 教化ホール
傘亭
高台寺・6茶室・傘亭・時雨亭(1).jpg
茶室。伏見城の遺構という。
時雨亭
高台寺・6茶室・傘亭・時雨亭(3).jpg
茶室。伏見城の遺構という。珍しい二階建て。
鬼瓦席 茶室。灰屋紹益ゆかり。
遺芳庵
高台寺・6茶室・遺芳庵.jpg
茶室。吉野太夫ゆかり。
湖月庵
雲居庵
亀井家墓地
高台寺・5亀井家墓地.jpg
津和野藩亀井家の墓地。


塔頭

  • 円徳院:現存。木下家の居館。
  • 月真院:現存。
  • 岡林院:現存。
  • 玉雲院:上京区高徳寺町にあった康徳寺(高台寺の前身)の後継寺院という。廃絶か。
  • 永興院:北政所の居所跡。
  • 春光院:現存。
  • 永昌院:廃絶か。
  • 昌純院:廃絶か。
  • 桂林院:廃絶か。

組織

住職

  • 1長巌周養(生没年不詳)<>:康徳寺開山。久山賢悦(尾張・正眼寺11世)の弟子[1]。神応寺11世。1598年(慶長3年)11月2日死去(神応寺位牌[2]
  • 2弓箴善疆(?-1614)<?-1609>:高台寺開山。神応寺中興。尾張国出身。豊臣秀吉と旧知だったと伝わる。長巌周養の弟子という。秀吉に随従して肥前名護屋城に赴いたというのは1592年(文禄1年)か。慶長初年、秀吉の命で神応寺住職となる。参内して禅師号と紫衣を得たのも秀吉在世中(~1598年(慶長3年))のことだろう。東山に移転する前の時点で康徳寺の住職になっていたか。1605年(慶長10年)、康徳寺は高台寺となったと思われる。1609年(慶長14年)隠退して塔頭桂林院に住したという。特賜「仏性真空禅師」(仏姓真空禅師とも)。1614年(慶長19年)1月13日死去(神応寺位牌)。
  • 3良芸(?-1609?)<1609-1609?>:1609年(慶長14年)に住職を嗣ぐが、半年で死去。
  • 4扶夫(?-1619)<?-1619>:1619年(元和5年)死去。
  • 5直伝龍察(1557-1629)<>:京都坊目誌には「通伝」とあり、塔頭の住職と不和で丹波に退いたというが、丹波永沢寺213世の直伝龍察と思われる。1557年(弘治3年)生。1601年(慶長6年)時点で遠江金剛寺(静岡県浜松市北区三ケ日町)住職に在職しており、『太白峰記』(大白峰記)を書写している(『正法眼蔵陛座』注記)。1615年(元和1年)頃、金剛寺末の新福寺(静岡県湖西市新居町)に住す(『永平寺史料全書禅籍編』)。近くの鷲栖院も再興したという(浜名郡誌)。1618年(元和4年)に高台寺5世(『永平寺史料全書禅籍編』)。同年8月1日、永沢寺住職となる。1619年(元和5年)1月に永沢寺で書写した『永平寺秘密頂王三昧記』の再写本が残る。同年秋に高台寺に戻り、のち神応寺24世となり、1629年(寛永6年)9月2日、同寺で死去(『永平寺史料全書禅籍編』)。永平寺24世の孤峰龍札(孤峰龍察)(1646年(正保3年)8月1日死去。69歳。1578年(天正6年)生か)とは別人とみられる。伊勢金蔵寺(三重県度会郡大紀町)2世の直伝英撮(直伝英察)と同一人物の可能性もあるが、寺伝では1646年(正保3年)8月24日死去となっており、はっきりしない(この没年は同寺開山風国大順の没年(1675年)より30年も早く不自然という)。(石川力山「『永平寺秘密頂王三昧記』再考」[3]、『永平寺史料全書禅籍編』は詳しくは未見)
  • 6鼓山()<>:恒山画龍の弟子か(曹洞宗大系譜[4])。
  • 1三江紹益(1572-1650)<1622-1630>:高台寺中興。建仁寺295世。自坊は建仁寺常住院。奥村紹之の子。妙心寺58世南化玄興の法嗣。建仁寺293世明室宗〓(〓は「口午」)に師事し、その没後、南化玄興に学び印可を得た。京都・景徳寺真如寺を経て1606年(慶長11年)3月、建仁寺に住す。1622年(元和8年)8月に高台寺住職となる。1630年(寛永7年)冬に譲る。建仁寺久昌院に住す。南禅寺後住(歴代外)。1650年(慶安3年)8月22日死去。79歳。友竹紹益。友林紹益。
  • 2周南紹叔(1612-1633)<1630-1633?>:高台院の甥。足守藩主木下家定の八男(七男とも)。1630年(寛永7年)冬に高台寺住職。1633年(寛永10年)2月11日死去。22歳。周南紹淑。
  • 道林()<>:自坊は建仁寺清住院。
  • 悟庵()<>:自坊は建仁寺清住院。書家。橘。勤王僧。紹材。鄧林。慨狂子。1892年(明治25年)8月10日死去。78歳。
  • 竹田黙雷()<>:悟庵の死後兼務。
  • 友雲道契(1846-1909)<>:越渓守謙の法嗣。無依室。
  • 実秀宗真(1878-)<>:藤木実秀。1878年(明治11年)生。黙雷宗淵の法嗣。建仁寺執事長。万休室。
  • 小堀泰巌(1943-)<1999->:建仁寺派管長9代。建仁寺487世。(略歴は建仁寺#組織を参照)

執事長

任期3年。

  • 野田文外()<>:
  • 川本博明()<>:
  • 後藤典生()<>:
  • 奥村紹仲()<2019-2022予定>:宗務総長。2019年4月に高台寺執事長。(略歴は建仁寺派#組織を参照)

資料

  • 重要文化財高台寺開山堂修理工事報告書[5]
  • 国宝建造物高台寺表門修理工事報告書[6]
  • 高台寺誌稿[7]
  • 高台寺旧記
  • 『京都名家墳墓録』「高台寺付近」[8]
  • 「永興寺について」[9]
  • 「近代京都における東山 ・下河原地域の市街地形成」[10]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E5%AF%BA」より作成

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