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高野新笠陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月21日 (金)
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2022年1月21日 (金) 時点における最新版
京都府京都市西京区大枝沓掛町(山城国乙訓郡)にある贈皇太后高野新笠の陵墓。高野新笠(?-789)は光仁天皇の妃で、桓武天皇、崇道天皇の生母。大枝陵。大枝山陵。伊勢講山古墳。
大枝郷は土師氏の拠点の一つで、新笠の生母の土師真妹の系統に大江朝臣の姓が与えられた。
新笠は789年12月28日崩御。天高知日之子姫尊の諡号が贈られた。 790年1月15日、大枝山陵に埋葬した。 同年皇太后を追贈。806年、太皇太后を追贈。
858年12月9日、近陵に列す。872年12月13日、遠墓となる。 所在不明となり、酒呑童子首塚に比定する説もあった。 1880年、現在地が陵所に治定された。(『国史大辞典』など)