ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
麦積山石窟寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年10月25日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
麦積山石窟寺院(ばくせきざん・せっくつ・じいん)は、甘粛省天水市麦積区にある仏教の石窟寺院。
麦積山は秦嶺山脈の山々に囲まれた、独立した高さ150mの小さな山。遠くから見ると麦を積んだように見えることからこの名がある。断崖の地上70〜80mの高所に設けられた194の石窟が現存している。塑像石像は7000体以上ある。瑞応寺という寺院も麓にある。
後秦の姚興の時代頃に創建。清代まで造営が続けられたが、特に造窟が盛んだったのは西秦、北魏、西魏、北周、隋、宋の6朝。また優れた造像は唐以前に盛んだった。
最大の石窟の七仏閣は北周時代の造営で左右31m、高さ15m。 第44窟は、この山に幽閉された西魏文帝の皇后乙弗氏の墓。仏像は皇后を写した顔と言われる。 第133窟は万仏洞ともいう。像は北魏像でもっとも美しいとされ、和辻哲郎は日本の飛鳥仏のルーツをここに求めている。18基の古碑も有名という。
参考文献
- 鎌田茂雄『仏教の来た道』