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龍門石窟寺院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月19日 (火)

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龍門石窟寺院(りゅうもん・せっくつ・じいん)は、河南省洛陽市洛龍区龍門鎮にある仏教石窟寺院莫高窟雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ。

洛陽中心部から南12kmにある。伊水の両岸の断崖に南北1kmに及ぶ。石窟は1352窟、龕750所、仏塔40余基、像は10万体という。造像題記や碑刻も多い。書道史で名品として知られる龍門二十品もある。

仏教を重視した北魏では旧都大同でも近くに雲崗石窟を開いたが、494年に孝文帝が洛陽遷都を行うと、直後からその近くの龍門に造営が始まった。その後、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐にわたり400年掘り続けられた。五代、北宋の時代にも造営はわずかに行われた。

北魏時代に開かれた洞としては古陽洞、賓陽洞、蓮華洞、薬方洞、火焼洞、石窟寺、魏字洞、趙客師洞、普泰洞がある。 唐代では、則天武后の時代の、潜渓寺、万仏洞、奉先寺洞、大万洞、高平郡王洞、極南洞、看経洞が代表的。特に奉先寺洞の大仏は、日本の東大寺大仏のモデルになったとも言われる。この頃から浄土教の発展から阿弥陀仏が急増。地蔵菩薩三階教の窟もある。西方二十五祖の大万洞、二十九祖の看経洞は禅宗で様々な宗派がみられる。新羅窟もある。

伽藍

  • 古陽洞:遷都した494年前後に開かれた最も早期の石窟。太和19年(495)の題記がある。精巧な彫刻が残り、北魏様式を代表する。龍門二十品のうち、19点がある。
  • 賓陽洞:北魏の景明元年(500)に開削され、23年かけて完成した。主像は釈迦。唐代に完成した北洞、南洞もある。
  • 蓮華洞:伊闕洞ともいう。5.1mの釈迦像が主像。天井に蓮華が彫られている。北魏時代。
  • 薬方洞:北魏末に開削が始まり、200年後の唐代則天武后の時代に完成した。140種の薬の製法が刻されている。仏像はいずれも北斉時代のもの。
  • 潜渓寺:唐代で初めて開かれた洞。洞内に泉水が流れている。唐代様式の阿弥陀像などがある。
  • 万仏洞:高宗のために則天武后や皇子が永隆元年(680)に建造。正面に阿弥陀がおり、南北の壁面に1万5000体の仏像を刻す。
  • 奉先寺洞:高宗と則天武后が造営した大仏のある龕。洛陽・奉先寺に付属したためこの名がある。幅36m、長さ41mある。高さ17mの毘盧遮那仏のほか、二弟子、二菩薩、二天王、二力士が彫られている。壁面には1万5000の像がある。東大寺大仏のモデルとなったと言われる。東大寺関連旧跡の一つ。

参考文献

  • 鎌田茂雄『仏教の来た道』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%BE%8D%E9%96%80%E7%9F%B3%E7%AA%9F%E5%AF%BA%E9%99%A2」より作成

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